大学院で身に付けたこと

割引あり

実は前回、前々回のブログは本記事に向かって書かれていました。人の心をえぐることを目的としていたわけではありませんが悲鳴が聞こえてきました。


イントロダクション

私はいわゆる「文系博士」です。厳密には博士号を持っていないので博士ですらないのですが、一般社会的にはそういった表現でよいかと思います。
文系・理系入試が両方ある学部に文系入試で合格し、言語学系の研究室に所属しながら音声学、言語教育学、教育工学あたりに触れてきました。

修士課程に2年、博士後期課程に4年半(うち1年半は仕事でほぼ大学へ行かず)を大学院生として過ごしました。大学院での生活は基本的に、朝大学へ行って、日々のルーティンとしての勉強をして、論文を読んで、研究に関わるいろいろ(実験とかデータまとめとか、原稿書いたりとか)をして家に帰るという生活です。博士後期課程のころは朝10時に大学に行って、夜25時ぐらいに家に帰ってました。その間でバイトしたり、ごはん食べたりもしていたのでずっと研究していたわけではないですが。

研究外の活動としては、定期的に学部生と読書会や映画観賞会を開いたり、ボランティア活動の支援をしたり、そこでリーダーシップトレーニングを受けたり、ということをしていました。

こんな感じの生活をしていた私が、一体大学院生活で何が学べたかについて今回は書いていきます。ちなみに2度の転職活動で高く評価されたポイントを参考にしていますし、どこまで一般性を持っているかは疑問でもあります。いろいろな意見を寄せてもらえると嬉しいです。


リサーチスキル

分野関わらず身に付くと言えるのがこれでしょう。研究の基本はとにかくリサーチ。ここでは目的の情報を収集できることを指します。文献とかデータとか記録とか。

文献に関して言えば、修士で受ける授業で教えられたり、論文の参考文献に掲載されていたり、学会で新しく知ったり、Twitterで流れてきたりしたものをとにかく読んでいくことになります。そうすると後述の構造把握能力や分野の常識も身に付いてきて、世の中にはどの程度の情報が公開されていそうか、というあたりがつけられるようになります。指導教官に「ちゃんと調べて」と言われた経験がある人も少なくないと思いますが、これはそういったスキルで「絶対この手の情報がこの世に存在しないはずがない」ということを確信しているから出てくるわけです。

情報というのは(明確であれ不明確であれ)ある目的に対して必要なものとして収集されます。またある情報というのは多面的であり、それを欲する人々の目的は多様です。それを踏まえて、目的を把握して適切な情報を取得する必要があります。
「大阪でうまいものが食べたい!」と言われた時には観光客なのか地元の人なのか、昼なのか夜なのか、予算はいくらかなどを考えます。また食べ物のジャンルを知りたいのか、特定のお店を知りたいのか、知識として知りたいだけなのかといった背景も考えます。そういった種々の状況から調査したい目的に合わせた情報を提供・取得することをリサーチスキルと呼んでいます。(ちなみにコンサル業界ではこの「目的を把握する能力」を「対人感受性」と呼んでいるようです。これ以上は何も言いません。)

リサーチスキルで満たすべきものは大きく分けて2つに大別できます。早さと精確さです。

まず早さについて。これは目的の情報にどれだけ早くたどり着けるかを意味します。適切なワードでの検索や絞り込み、アクセス先の選定といったインターネット検索技術だけでなく、時には電子化されていない紙媒体にあたったり、読んだことのない書籍から発見したりすることも重要です。
また、文章の構造や論理から次に来る情報の予測ができるようになってくると、文章全体を読まなくても(時にはタイトルからでも)内容が予測できるようになってきます。これはあまり一般の人にはない能力のようです。

もう1つが精確さです。何かについて調べた時、収集した結果から調べた結果をまとめるわけですが、その時に過不足のない説明を行います。その際に、過不足ない説明をするのに適した情報を取得することが精確さです。この精確さは、論文には絶対的に求められるものですが、研究面でもかなり必要となってきます。仕事でも、「○○について調べました!」「いやそうじゃなくてさ…」みたいな場面は多々あるかと思いますが、これは相手の求める目的に対して過不足のない説明ができていないために発生するコミュニケーションです。

文章の読解力

よく文章の読めない人ほど「本の読み方は自由だ!」なんてことを言っていますが、文章を読むという行為は「正確に読む」という行為と「解釈を行う」という行為に分かれます。大学入試までに問われるのは前者の「正確に読む」という行為です。ある程度正確に文章が読めない人は大学に入る権利はないよ、ということですね。そうはいってもなかなか正確に読むということ自体も難しいですし、第二言語で文章を読まないといけない人だとより辛いかと思います。このあたりは業界・分野の知識でカバーすることも出てくるでしょう。
文章が正確に読めて初めて後者の「解釈を行う」ということが可能になります。テキストに沿っていない解釈や感想というのは、"garbage in, garbage out"と同じです。解釈とは、テキストから得られる情報に対して意見や反駁、思想の発展などを加えることを指すため、まずは文章が読めなければいけません。ただし、解釈を加えようとする行為のもとで何度も繰り返しテキストを読むことで解釈できるようになるため、読めなくてもテキストに基づいた思考を続けることが必要です。大学院では多くの人と文献を読んだり、議論を酌み交わすことでこの能力を醸成していきます。
多様な知見を深めたければ、良書をもとに人と意見を交わすことがよいでしょう。現在のアカデミックな世界では専門が細分化されすぎて、この部分が不十分な気がしています。この話はまたいつかどこかで。

構造把握・理解力

博士課程に進学すると大なり小なりある分野や事象について大局的な視点から問題にあたり、そこから特定の研究課題にアプローチしていくことになるかと思います。ある論文を読んだときにはごくわずかな研究課題に取り組んでいるように感じられるかもしれませんが、その背景には大きな問題意識があったりします。大抵大きな問題は自身の専門分野に限った話に収まらないことが多く、必然的に周辺分野についての知見を深めていくことになります。教鞭をとる立場を得られた人は教育問題や大学生の就活問題と絡めて考える場面も多いかもしれません。このように自身の興味関心を周辺へ広げていく作業と深堀りしていく作業を繰り返していると様々な場面で同じ構造で社会が動いていることが見えてきたり来なかったりします。
またそういった類似構造に気付く場面が増えるだけでなく、あるものを見た時にどういった構造になっているのか、どういった要素が影響しあっているのかといったことも必然的に分かるようになってきます。もちろん分野で得意不得意はありますし、観点としても得意不得意はありますが。

ちなみに背景にある問題意識をうまく研究課題として切り分けたり、論文になりやすい単位に分解したりすることが得意な人は大学教員という職業は向いていると思います。論文量産能力と言ってもよいかもしれません。優れた研究者とは異なるのかもしれませんが、これから大学教員を考える人たちはこのスキルの高さは間違いなく求められるでしょう。


なぜこんなことを書くのか

詳細は別記事で書きますが、研究・教育領域から一般企業に転職するにあたって大学教員や文系博士の肩書の弱さを強く実感しました。私としては大学院に進学して3年ほど教鞭をとらせてもらって非常によかったと感じていますし、進学を希望する人は「とりあえず進学してみる」みたいな選択をもっとライトにしてほしいと思っています。ただその選択ができない社会だなと改めて感じました。その状況には強く課題意識を持っていて、博士課程終了後の出口を広げていく必要があると思います。
そこで私にできることは博士課程まで出た人間に何ができるのかを説明していくことかと思いました。
この記事で書いたことはほんの一端であって「俺はこんな力を持っているんだ!」「私はこんな人を輩出してきた!」みたいな声がどんどん上がってほしいなと思います。

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