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【書評】『音楽』岡野大嗣歌集

歌集全体を通して、明るさや楽しさを醸し出すのは、
辛さや怒りを醸し出すより難しい、と思う。
それをこの歌集は、鮮やかにおこなっている。
そして明るさや楽しさは、せつなさも伴ってくる。
なぜなら明るく楽しい時間は有限だとみんな知っていて、
みんな知っていることを作者は知っているから。

残念ながら次が最後の曲ですと残念をみんなで抱きしめる

持ってるしいつでも聴ける曲やのにラジオで流れるとうれしいね

大工さんたちが木陰でうなだれて大所帯バンドのジャケみたい

人はみなこころにドラムカウントのオリジナルの掛け声を持つべし

歌集のタイトルだけあって、音楽は大きな要素となっている。
1首目。「残念ながら次が最後の曲です」は、ライブがもう終わってしまうことを告げていて、
この歌は、その「残念」という言葉を、感情に変換する時間ももどかしく会場全体で共有している光景だろう。
「残念」を抱きしめるという描写が、そのかけがえのなさを大きくしている。
2首目。いつでも聴ける曲であっても好きな曲がラジオで流れると、私も嬉しくなって歌い出してしまうのだが、
「いつでも聴けるのに、なぜ」と不思議がられたことがある。
これも先程の共有する感覚が深く関係しているのだろうと思う。
ラジオはその瞬間、他にも大勢の人が聴いていて、そこで好きな楽曲がかかるのは、特別な高揚がある。
DJが選んだ、その同じ曲が私も好き、という誇らしい気持ちもあるだろう。
3首目。光景が目に浮かぶユーモラスな一首。「うなだれて」いるのがよい。
いや、「うなだれて」いないとおそらく歌にならなかった。
4首目。座右の銘、なんかよりよほどいいかもしれない。
オリジナルのドラムカウントを心の中で唱えたら、どうしたって前向きになるしかないではないか。

終点に近づいてきて快速が思わせぶりに見せてくる街

夜のもうほとんど暗いほとんどを拒んで湾岸線のオレンジ

また来たいねがまた行きたいねに変わるころ右手にふたりの街がみえます

ここを旅先にあなたがやってくる 見せたい光を考えて待つ

車内灯を落とした電車に川がきて静かに過ぎていく草野球

坂道に眺めが深くひらいてくバスから街が生まれるように

リビングにトートバッグをつるすとき絵柄はちょっとした照明だ

特徴的だと思ったのは、上記のような、世界の見え方が少し変わるような歌である。
電車が減速して景色が見えやすくなったところを、電車が思わせぶりに街を見せてくる、と捉えたり
夜の暗さを湾岸線のオレンジ色の灯りが拒んでいると表現したり
派手ではないのに、今まで考えたこともなかった見方を提示され、読者ははっとする。
「ここを旅先にあなたがやってくる」は歌集中で私が一番はっとした箇所だ。
(私の頭にこの時、小沢健二の『ぼくらが旅に出る理由』が流れ出したのは、私が単純すぎるからだと思う。もう少し静かな曲が流れて然るべきだ。)
作者は軽々とやってのけているように見えるが、
いつも注意を払って世界を観察していないと、こんなふうには歌えないのではないだろうか。

「夏ちょっと花火みえるよ、みにおいでよ」「行くよ、みえてもみえへんくても」

しばらくのやりとりののちシークレット・トラックみたいに届くおやすみ

駅前だとあなたの思っている距離が広くてそれを知れていく夜

新着のメールの太字 きみからの言葉が届く季節に生きて

友人たち、恋人かな?という人、そして犬。
歌集の中にはたくさんの登場人物がいて、賑やかだ。
1首目。関西弁の「みえてもみえへんくても」が発音しても字面でも優しい。
3首目。主体とあなたの「駅前」の範囲はだいぶ違っていて、
今日、話しているうちにあなたの「駅前」の範囲が主体に段々わかってくる。その時間の大切さ。
4首目の歌に象徴されるように、「きみからの言葉が届く」のは同じ時を二人が、仲間たちが生きているからこそなのだ。
それを「季節」と捉えたところに、詩が生まれる。

昔、CDを買ったら歌詞カードを大切にずっと読んでいたものだけれど
この歌集は、その時の感覚を私に思い出させてくれた。
そして、この歌集を電車で読んだあと頭の中に流れてきたのは、なぜか真心ブラザーズの『サマーヌード』だった。
そんなせつない感情を、メロディーも歌声もなしで、この歌集は呼び起こすことができるのだ。
                    (2021/12 ナナロク社)

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