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【書評】『風を待つ日の』野田かおり歌集

肌寒き春の空気を逃しつつレターパックに課題を詰める

コロナ禍の定時制高校。休校が続いている。
教員をしている主体が生徒たちの家へ課題を郵送するところだろう。
春の空気を逃す、という言い回しに、主体自身のやるせなさが滲むようだ。
この歌集は、コロナ禍の教員生活を明確に詠っている。

ほのほのと運ばれてゆく福祉科の春の準備のマネキン一体

ゆゆゆゆとひとの集まる職場ゆゑ在宅勤務選びて帰る

午後九時をはじまりとして円になり部員四名ラケットを振る

教員生活が描かれる歌を挙げたが、この歌集には独特のオノマトペが登場する歌が数多くあって、
一、二首目の「ほのほの」や「ゆゆゆゆ」もそうである。
一首目は、福祉科なので、介護などの授業で使うマネキンだろうか。
それが一体、のんびりと運ばれていくのを見ている。
コロナ禍でひとけの少ない学校を思うと物寂しい光景だが、
「ほのほの」の描写で、どこかのどかな、穏やかな春の景になっている。

二首目の「ゆゆゆゆ」はとてもユニークで不思議な表現。
休校でも、どうしたって先生たちが出勤してしまう、ということだろうか。
一斉に集まるのではなく、三々五々、足が勝手に学校に向いて、のような雰囲気が伝わってくる。
その状況で、主体は在宅勤務を選ぶ。
密になるのが嫌だから、という切迫した感じがないので、
みんなが出勤しちゃうなら、自分の仕事は家でもできるから帰ろう、といった気遣いがあるのかもしれない。
何と言っても「ゆゆゆゆ」なので、主体が負の感情を持っている感じがしないのだ。
三首目、定時制高校は夕方ぐらいから始まるのだろう。必然的にクラブ活動は夜からになる。
たった4人の部員が円になってラケットを振っている。
この歌、ラケットを振っているのだけれど、どちらかと言えばスローな映像を見ているようなイメージが、私には湧く。

おそらく歌集全体の印象が「時がとまっているような感覚」に満ちているからだろう。
この歌集は春から始まり、季節が一巡して春で終わる。
(あとがきで、そのように歌を配置したと作者も書かれている)
何回か四季が巡る歌集は多いが、一巡は少し珍しいかもしれない。

少し話が変わるけれど、先日この歌集の批評会に参加させていただいた。
その時にパネリストの方からも、ぐるぐると同じ時間を繰り返しているような、というお話が出て、
ああ、やはり!と思ったのだった。
他の方がその一冊をどう読まれたかを聞き、話し合うことも大切な時間だと改めて感じた。

タンバリンやあやあ鳴らす子のやうに葉桜けふは光を散らす

目に見えて自傷はなくも雪の白さんささんさら教室に降る

オノマトペの歌をもう少し。
タンバリンを「やあやあ」鳴らす。心が躍るような、また少し乱暴な叩き方もイメージされる。
そのように子供がタンバリンを叩く、そんなふうに葉桜が光を散らすという、重層的な構造も面白い。
「やあやあ」に比べて、雪の降る「さんささんさら」は静かだ。
これは、実際に雪が降っているのではない、と私は読んだ。
直前に黒板に板書している歌があるので、あるいはチョークの粉かもしれないし、完全に架空の雪かもしれない。
目に見える自傷がない、と言うことで、目に見えない傷があることを示す。
心に何らかの傷を負っている、ということだろう。
生徒たちが、だろうか。教員たる主体自身だろうか。両者か。
そういった傷を抱えた者たちに、等しく架空の雪が降り積もっていく。

人事などもわもわとして春の夜のサッポロ一番やはり塩あぢ

ほよほよとおぼろこんぶはのせられて旧友に似る揚げ出し豆腐

ゆるやかに生きてゆければ 白玉をふにゆいと掬ひ分けくれる匙

家族とはもの喰ふひとの集まりと素焼きの皿に秋刀魚を取りて

カステラにふあさりと倒れ眠りたし二十五時まで働きしあと

個人的には食べ物の出てくる歌がとても印象的だった。
「もわもわ」「ふにゆい」「ふあさり」などはオノマトペの効いている歌でもある。
一首目は人事異動の気になる春。気持ちはもわもわしているが、そんな日でもサッポロ一番は塩味がよい、と断定する。
(私も「やはり塩あぢ」派。けれどここは意見の分かれるところだろう)
二首目の揚げ出し豆腐と旧友が似ているとは、すごい比較だ。見た感じ? 食感?
三首目の上句「ゆるやかに生きてゆければ」は主体の素直な気持ちだと取った。
その「ゆるやか」が例えば、「ふにゆい」とした白玉なのだろう。
四首目の上句、まさにその通りだと実感した。飾らない素焼きの皿にも家族の有り様が表れるようだ。
遅い時間の仕事なので、終わるのが25時になることもあるとわかる五首目。
今すぐ眠りたい。あのふわふわしたカステラに眠ったら気持ちがよいだろうか。
「ふあさり」がキュートで、でもちょっと痛々しくもある。

最後に、力強くて繊細な一首を。

umbrella強く握つては駄目なのだ 明るい雨を頬に濡らして

                      (2021/7 青磁社)



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