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【愛知県の皇室伝承】4.漂着した皇族「開元王」の栄枯盛衰 民話「海に消えた皇子」(豊橋市)

※写真はすべて令和四(二〇二二)年四月五日

皇子「開元の宮」伝説:
『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』より

牟呂大海津公園

 愛知県豊橋市の西部、牟呂むろに「牟呂大海津おおかいづ公園」という公園がある。毎年三月末から四月初頭にかけて、園内に植えられた数十本のサクラが一斉に見事な花を咲かせるので、地元住民にはごく身近な花見スポットとして親しまれている。

牟呂大海津公園(南西の出入口付近にて)

 ところで「津」とは港、港町を意味する言葉だ。牟呂大海津公園は三河湾から三キロメートルほども離れた位置にあるが、その名が示す通り、かつては確かに海岸線が公園の辺りにあったようである。古の牟呂地区は、三河湾に張り出した小さな半島だったと考えられている。

 公園の西方に建つ瑞雲山真福寺が所蔵する『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』には「宮のあがらせ賜ふ所を、王海津おうかいづと号せり」とある。つまり「大海津」とは、かつて皇族の「王」が上陸した「津」だという歴史に由来する地名らしい――。

瑞雲山真福寺の寺伝

 瑞雲山真福寺。寺伝によれば、平城京遷都の二年前、すなわち飛鳥時代の最末期である和銅元(七〇八)年に創建されたという「東三河屈指の古刹(※真福寺公式webサイトより)」である。しかもただ古いばかりでなく、皇室ゆかりの寺でもあるのだという。前掲『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』には「そもそも当寺開基者、元明天皇之第三之皇子也」とある。

瑞雲山真福寺、山門の前にて

 元禄九年(一六九九年)に、当寺七世の南林和尚が漢文であらわしたという『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』。その末尾に添えられた和解わげを一部、現代語訳したうえで以下に記す。

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