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【愛知県の皇室伝承】1.「大友地区」地名起源譚:大友皇子生存伝説 in 三河国(岡崎市)

1.岡崎市の大友皇子伝説

 ※大友皇子は、明治三年(一八七〇年)に第三十九代人皇として「弘文天皇」の諡号を贈られているが、この記事では探訪地「大友」の周辺において支配的だった「大友皇子」の表記を基本的に用いることにする。

「大友」地区

 第三十八代・天智天皇の崩御後、皇位継承をめぐる内乱――壬申の乱――が勃発した。この骨肉の争いの敗者とならせられた大友皇子は、今となってはどこにあったのか不明な「山前やまざき」なる地において縊死いしされたといわれる。

第39代人皇・弘文天皇像。(法傳寺所蔵)

『日本書紀』に曰く、「走りて入らむ所無し、乃ち還りて山前に隠れて自らくびれぬ」。そんな非業の最期をお遂げになったとされる大友皇子だが、意外なことに日本各地に生存伝説が残されている。今回取り上げるのは、愛知県で古くから語り継がれてきたという伝説だ。

 愛知県岡崎市。江戸幕府の開祖・徳川家康の故郷であることから徳川家・松平家の城下町というイメージが強いが、この地には矢作川やはぎがわにおける日本武尊やまとたけるのみこと伝説を筆頭に、皇室にまつわる伝承も豊富にある――。

「東大友町」という信号機の交差点名標識。

 名鉄名古屋本線の宇頭駅に降り立ち、東へ一キロメートルほど向かうと、そこは岡崎市の西端部にあたる「大友」という地域である。

「皇子丸藪之館跡」

 この地の東部には「東大友神明社」と通称される神明社が鎮座する。当社には、天照皇大神、保食神、猿田彦命、建御名方命というメジャーな四柱の神々とともに、珍しいことに大友皇子が御祭神として祀られている。

桜の季節の(東大友)神明社。

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