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病床の父🌻|エッセイ

私の父は、家族を大切にする一方、仕事大好き人間でもあった。

多少の無理をしてでも仕事に没頭するため、周囲の人間も、父の体調が悪いことに気づくのが遅くなる傾向にあった。

私が十代の頃、父は過労で倒れて、九死に一生を得たことがある。

心不全で救急車で運ばれ、そのまま緊急入院となったのだ。

学校帰りに父入院の一報を聞きつけ、慌てて車で病院に向かった日の事を、今でも鮮明に覚えている。

面会は許されるのだろうか。

意識はあるのだろうか。

学生ながら、そんなことがぐるぐると頭の中を巡り、病室のドアを開けるまで、心臓のバクバクは止まらなかった。


今朝までは、普通に朝食を食べていたのに。

会いに行くまでの間に、容体が急変したらどうしよう。


募る不安の思いを抱きつつ、急いで病院に到着する。

先に病院に着いていた母に案内され、恐る恐るカーテンを開けると……

思いのほか元気な父がそこにいた。

父はベッドの机に本を積み上げ、読書をしていた。

やや唇の色が悪いように感じられたが、それ以外は普段と変わらない。

周りの状況は一切気にせず、本に集中していたように見受けられた。

私たちを見かけると、父は本から目を離し、開口一番、こう言った。

「絶対に死なないから。家に戻ると約束する。だから、心配せずに帰りなさい」

こんな状況でよく言うな、と思った。

それでも、緊急入院となりながらも、平静心を失わず、読書を続けている父が誇らしかった。

病状も比較的安定しているように見えたので、私たちはいったん、家に帰った。

当時の私は、医学的なことがよく分からなかったので、まあ、数日経てば大丈夫なのかもしれない、と短絡的なことを考えていたと思う。


父は幸いにして山場を越え、約束通り、病状を回復させ、1ヵ月も経たずに退院した。

病院から帰宅した時の言葉も印象的だった。

「ほら、だから帰って来るって言ったでしょ。

病は気からっていうんだから、あんなとこに長くいちゃいけないよ。」

(※医療関係者の方、ご気分を害されたらごめんなさい。)


退院後、父は自宅療養を続けていたが、しばらく後に、検査のための再入院があった。

その時は、私も再び病院についていったのを覚えている。

検査といっても、心臓の血管がちゃんと滞りなく流れているかの検査であり、一応手術台に乗って病院内を移動し、手術室に入る必要がある。

私は手術室の目の前で父と別れた。

不安そうな私を見て、父は言った。

「絶対大丈夫。だって、担当看護師さんの名前があなたと同じ名前だから。娘と同じ名前の看護師さんだなんて、パパはついてるよ」

手術室に入る直前だというのに、やはり父は、いつも自分の容体ではなく、周りの私たちのことを気遣ってくれていた。

手術室に入っていく父を見送る私。

父は相変わらず、付き添いの看護師さんに対して、

「いやあ、うちの娘と同じ名前ですね。いい名前だ」

なんて言って見せていた。

手術室のドアが閉まる。

父が手術室内にいたのは、ほんの数時間のことだけれども、とても長く感じられたのを覚えている。

幸いにして、検査結果も良好で、再び父は退院し、自宅療養となった。


退院後はリハビリがてら、近所を一緒に散歩したりした。

普段は仕事で忙しくてなかなか話せなかった父と、穏やかな時間を過ごせたのは、今となっては良い思い出だ。

父はリハビリを重ね、数年後には、大病をしたとは思えないほどの復活を遂げた。

強靭な精神力を持つ父だから、私たちも、心臓の病で倒れたことなど、十年以上すっかり忘れていた。


そんな父に持病があったことを久々に思い出したのが、亡くなる直前の頃だった。

家族思いの父は、家族関係の心労には人一倍弱かった。

入院した時のポジティブな精神力や、仕事における最強感は尋常でないのに、子どもの身に何かあったとなると、本当に同一人物なのか?と驚くほどに、心配してうろたえる、心優しい父だった。

誰よりも強く、そしてきっと誰よりも優しい。

自分の体調管理の結果、心不全を起こしたときには、「絶対に死なない」と言い切っていたのに。

娘の私と少し喧嘩になっただけで、「娘に恨まれるぐらいなら、生きていたくない」とポロッと弱音を吐くような繊細さも併せ持っていた。


父が他界した今。

もっと父の心に寄り添うことができなかったのか。

娘として、もっとしてあげられることがあったのではないか。

深い反省が尽きることはない。


子どもの頃に一度、死後の世界について、父に聞いてみたことがある。

「もしパパが亡くなったら、もう話せないの?」

すると、実に粋な答えが返って来たのを覚えている。

「あの世から通信送るから大丈夫。ちゃんと受け取れるように、修行しとけよ」

わが父ながら、イケオジの代表のような答えだ。


結局、通信はハッキリと受け取ることはできない。

ただ、夢の中ではよく父が出てくる。

病気であったことなど微塵も感じさせないほど、夢の中の父は若々しい。

時々、家族のことを心配している。

「会えなくたって、いつもそばにいる。見えていないだけだよ」

という言葉も聞いたことがある。

私は目を覚ますたびに、父のパワフルさに圧倒される。


病床でも平静心を忘れず、「絶対に死なないで家に帰る」と言い張っていた父。

死して後、なおも娘の夢に出てきては、「いつもそばにいるよ」という父。

何という親バカなのだろう。

そんな父のことを、いつも愛おしく思っている、

親バカ万歳。父は私の誇りだ。


最近、共作小説「白い春~君に贈る歌~」を執筆するようになって、病床の父の思い出がよく浮かぶ。

病に倒れ、緊急入院となっても、一切動揺を見せず、気丈に振舞っていた。

心配する私たちを逆に励まし、笑いかけて見せていた。

本当は、心の中は不安でいっぱいだったはずなのに、子どもの私たちにはそれを微塵も感じさせなかった。

父のその姿が、私の描く上野紗良像にも影響しているかもしれない。


たとえ自分が重い病で入院しても、周りの人を逆に励ますぐらいの自分でありたい。尊敬する父がそうしてくれたように。

もちろん、実際の終末医療の現場は過酷なものだし、自分が果たして、周りの方を励ますほどの明るさを保てるのかは自信がない。

ただ、希望としては、死の瞬間、最後の最後まで、誰かにとっての光でありたい。

そんな私の拙い思いが、小説の行方を照らしますように。



〈お父様へ〉

いつも私たちを見守って下さり、本当にありがとうございます。

こちらでは、相変わらずの日々が続いていますが、私は共作小説を執筆し、創作大賞を目指す、というとんでもないチャレンジをしております。

って、観ているだろうから知っているよね。

思ったような道じゃなくてビックリしているかな。

娘がネットに連載小説を書いているなんて、きっと考えたこともない未来だよね。

でもね、結局は、誰かの役に立ちたいって思いが同じなら、どんな場所でも輝けると思うの。

私は今、自分のやりたいことが実現できていて、とても幸せだよ。

そして、私が一度やり通すと決めたことは、必ずやりきるタイプなのは知っていますよね。笑

必ずやりきります。

そして、この先も、ちょっとビックリするような方法を取るかもしれないけれど、必ず道を切り開いていくよ。

たとえどんな道を辿ろうとも、心の軸には、いつも変わらない愛があるし、あなたへの尊敬の思いも変わっていません。

私があなたを信じているように、どうかあなたも、私のことを信じて見守っていてください。

もうすぐ父の日。

私にとって最高の父であるあなたに、心からの感謝を捧げます。


愛しています。

どうか安らかに。




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☔️この記事はクロサキナオさんの企画参加記事です☔️
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