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vol.13 「プライド」と題された昔の日記に追記をしてみた

「プライド」(2020.12.18)

私は物心ついた頃からプライドが高い。
就職活動していた時はそれを言い換えて、「頑固」だとか「自分の意見をしっかり述べる」だとかそういう風に言い換えていた。
いざ社会に出てみると、そんな奴はただの厄介者にしかならないことに気づいた。

プライドが高くて、我が強くて、、。

私は、人が言うことにすぐ自分の考えを言い返してしまう。
「でも〜」とか「実はこうでこうで〜」とか、言い訳ばかりが重なってしまう。
先輩社員に、楯突いてる生意気な新入社員というイメージばかりがこびりつく。だから職場の人間関係が上手くいかない。

昔から私はそう。
型にはまった自分の考えだけが正しいと思ってる。
前に、母親に
「あなたは自分の言うことに何でか、強い自信を持ってるけどその自信はどこから来るの?」
と指摘されたことがある。
こういう風に言われることが度々あって、
それは大体自分がおかしな間違いをした時に言われる。
自分が正しいと思いすぎて周りが見えなくなっていた。

私は、他の人のあらゆる考えを飲み込むことがなんだか出来なくて、
肯定することが苦手だ。
怒られている時も、叩きつけられてる現実を直視することができないで、
型にはまって自分を守ってばかりいる。

それに、やっぱり私は変わらず人見知りだ。
大人数の場はいつも苦手。
いつしか人と会話することが面倒くさくなり、一人暮らしで、1人でいることが楽になり、
その楽な環境に甘んじることが自然と多くなっていった。
そんな環境が今の自分を作っている。
臆病者で、自分1人の考えだけが膨れ上がって強大なものになっていく。

自分だけがサイキョー。自分だけが正しい。

そんな自分の正義を暴力的に振り回すモンスターと化していた。このままじゃいけない。
私は色んな人の価値観に触れていないとダメになる。

人に関心を持たないと。人を全力で好きにならないと。
最近はそう思うようになった。
モデルハウスの接客がうまくいってないのも、元を辿ると、人に関心を持ててないから。
知ろうとしてないから。

色んな価値観に触れて、色んな考え、思想に触れることで自分の凝り固まったモンスター思考が少しでも柔軟なものになれば…。
きっと色んな人の発言が肯定できて、色んな人の考えを知りたくなって、人に関心も持てるようになると思う。
そうなると普段の接客も、事務所での自分の見られ方も、全てがうまく好転するんじゃないのかなあ、そういう風に思った今日この頃です。

(2020年12月18日に書いた日記を再編集しています。)

(2022.12.29)

2年前、日記に記した社会人一年目の文章はひどく暗い。
社会人一年目、沢山の上司からの𠮟責を浴びて、よせばいいのに自分自身を責めながらスマホに打ち込んだ文章だ。

私が書いた日記は、大多数が上記のような文章でとても公開できるものじゃない。
「一人でいると、頑固な自分の価値観がより一層凝り固まってしまうから、外の刺激を沢山受けよう」という内容を、回りくどく書いている(笑)

2年の時を経て、ちょっとだけ成長した私が二年前の日記に追記をしたいと思います。お付き合いいただけると幸いです。



その時の自分はもう何もかも上手くいっていない気がして、
「プライドが高くて頑固だから」とか、
色々理由をつけてよく自分自身を責めていた。

ただ、2年経ってもこの性格は治らないし、人見知りも治らない(笑)
"今の性格を治さないといけない"と思う価値観は、長い間自分に無理をさせてしまうし、苦しい。
自分の生まれながらの性格が一種の"病気"である錯覚に陥り、その先、2年ぐらいは自分を悩ませてしまう事になる。

自分の性格を一種の"病気"みたいな"治す"という対象で見る事なく、"向き合ってあげる"事が大事だ。

人見知りである自分をちょっとは労ってあげたら?と思う。
プライドが高い自分をちょっとぐらい認めてあげたらいいと思う。

私は、自身を生まれながらの人見知りだと思っているが、その分、人との出会いを求めることに関しては誰よりも貪欲だと思っている。

誰とでも仲良くなれるような性格じゃないから、
価値観が同じような仲間と出会えた時の喜びというのは常人とは比べようもないくらいに大きい。

この日記を書いた1年後、
私は会社帰りにとある飲み会に参加して、1人の男友達ができる。
その友達はダーツからビリヤード、ボードゲームなどありとあらゆる趣味が自分と似てて、一緒に飲みに行ったり、2人きりで旅行に行く仲にもなる。
その男と長野へドライブに行き、田舎の田園風景を見て2人で興奮した。

「すげ〜!まわりに建物も何も建ってないぞ!」

こんな何もない田舎の風景を手放しに感動できる友達ができるとは!
誰にも共感されない価値観が一致した時の喜びと
人見知りである自分が愚直に出会いを求めた結果が生んだ達成感と充実感というのは何物にも代え難い。

慣れないガールズバーに行ったり、
マッチングアプリを使いこなしたり、
交流会で色んな人と会ったり、
積極的に飲み会に参加したり、

その出会いを求める愚直さと頑固さが功を奏したのだと思う。
その喜びと達成感を知る事ができると、どんどん他者への興味が湧いてくる。

(この人はどんな過去を過ごして、どんな価値観を持っているのだろう…。)

共鳴できたら万々歳。いや、共感できなくてもそれはそれで面白い。

私は自分の過去のことや価値観について、このnoteに全て曝け出していく覚悟を持って、週一投稿を心掛けている。
その一つ一つの投稿に、これから出会うであろう人たちの価値観などを交えて、自分と照らし合わせる事ができたらそんな自分の記事を読んでみたいし、それはすごく充実した内容なのだと思う。



2020年の日記を見てると、
自分を責めて、上のような怪文書みたいな内容になる事が多い(笑)

それを見る度、
(noteに使えそうな文章があったらそのまま写したいのに内容が暗すぎて使えるものがねえじゃねえか!)と思う。
2年後の今になっても処理し切れていない現在進行形の問題も山積みだ。

これからもどんどんそんな呪いの怪文書に追記して2020年を退治していきたいな。
2020年を踏み台にして立つ景色はどんな景色なのかな?
それをできれば皆さんにも見届けてもらって、一緒に共感してもらえれば、それほど嬉しい事はないです。

来年もどうぞ、よろしくお願い致します。
良いお年をお迎えください♪

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