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止まる時間、加速する時間

ごきげんよう!のぶのぶである。
今回は再び三人で共通のテーマで綴るタームになる。

「時間」をテーマにどうでしょう!とはヤスからの提案だ。
天下人になった彼らしい深く広大なテーマだ。様々な切り口が思い浮かぶ…。

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

ワシが好んでよく舞った敦盛の一節。
オギャーとこの世に目覚めてから最期、目を閉じるまでの間、様々に繰り広げられる情景の明滅。ワシにとって時間とは人生だ。
ということで目覚めている今、この時間の流れについて楽しく考えてみようぞ。

誰しも経験あると思うが、時間という奴は一様に流れている訳ではない。何かに夢中になっている時、退屈している時では感じる長さは全く違ってくる。
先日、とあるカフェ(現代ではワシも独りお供なしで行く)でこんな情景に出くわした。

ワシの目の前の席で若い男女が仲良さそうに話をしていた。友達以上恋人未満な雰囲気で少々不穏な空気を醸している。
会話の中、奴ら共にジリジリと互いの距離を縮めていっていた。女子は笑いながら積極的にボディータッチ、グイグイと攻める。男は躊躇しながらも手に触れたり、ぎこちなく肩に手を回しかけたり引っ込めたり。おなごの逞しさは今も昔も変わらない。

押され気味の男子へ「おい、出陣じゃ!」とワシも心中で励ましの声をあげつつ見守る。
会話も段々と内容のない気もそぞろな感じになってゆき、ついに男子が腰に手を回し女子と瞳を交えた。その刹那、場の空気が変わり、二人のとろけるような視線が絡み合う。店内の喧騒がかき消え、ワシの頭の中では矢澤永吉の「時間よ止まれ」がリフレインされていた。

「一瞬」は「永遠」なのだ、と悟った。

とまあ、時間という奴は一定で流れているもんではない。おぬしにも幾度か経験はあるだろう。笑


「時間」というのを人類が意識し始めたのは多分、農耕が始まってからではないかと思う。どの古代文明もその初期に種蒔きと収穫時期を知る為、日・月・星の運行を観測し始めているからだ。日の本の縄文遺跡でも東西南北・二至二分を意識して作られたものモノが多々あり、後の神社仏閣の方位や町の条里にもなっていたりする。
ストーンヘンジなどの遺跡や日本の環状列石を見てみるといい。そんな古代人のまなざしを感じることが出来るぞ。

1日を測定する為に作られる様になったのが5000年以上も前のエジプトのオベリスク。日時計の始まりだ。
その後様々な時計が生み出され、技術も発達し、時を秒刻みにし我々の生活を制御するようになっていった。特に現代人が「時間に追われる」様になったのは産業革命の中、鉄道が開通してからの様だ。
それまで町ごとに時間はバラバラで、その土地の教会、日本では寺の鐘が時を知らせていたのが、鉄道が町や村を結び「時刻」も繋がれ統一される事になっていったようだ。

テクノロジーというのは世の様相を一気に変えてゆく。ワシの時代はそれが鉄砲だった。現代はその進化のオンパレード時代だ。
という訳でそれまでゆるかった約束事も分単位で刻まれ人や物が動かされる様になった。

本来時間から解放される筈の「リラックス」も今の時代は「リトリートの旅3日間!」などと時で刻まれる。昔の湯治場なんぞは「治るまで」というもので、いつしか目的と時間が入れ替わるようになったのがワシがオモシロク見つめる時の変化だ。

元々日本の美意識で身体感覚の中に時間を制御するという手法・文脈がある。
超簡単にいうと「ゆっくり動く」だ。これは全身の神経を澄ませ意識を磨く事に繋がるのだが、長くなるのでまた別の機会に触れるとしよう。

とまあ、少し話しが固くなってきたが、「時間」は今の時代、最も熱きテーマになってきているのは間違いない。
エンタメの世界では映画「インタステラー」や「テネット」、日本アニメでも「君の名は」に「魔法少女まどかマギカ 」などなど、時間をテーマに量子論の香りのする面白いモノが数多出てきておる。なかなかあっぱれな作品ぞ!一度観ることをお勧めする。

…嗚呼、もうこんな時間か。
ワシのタイムリープも今回はここまで。時空の狭間へ戻るとしよう。
皆のもの、長く短い人生、大いに楽しもうぞ!! では、また会おう。

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