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FF16の召喚獣を阿含宗の教義で語ってみる

このnoteは、阿含宗という教団に属する雑魚キャラ末端会員信徒であるゲーマーな自分が、ファイナルファンタジー(以下FF)16の召喚獣という世界観と、阿含宗の教義の観点と絡めて語ってみるという変わった読み物を目指しています。

先に結論を言いますと、阿含宗で言うところの霊障、マーク・ウォリンさんという米国の臨床心理学者さんの言葉で言うところの「トラウマの世代間連鎖」という現象があるのですが、FF16を楽しんだ皆さんには、FF16の召喚獣の世界観をイメージして理解してほしい、という内容になります。


はじめに言い訳ぽいもの

FF16のストーリーのネタバレはしませんが、召喚獣の世界観について少し説明をします。これはゲーム雑誌にも書いてある内容ですので、ネタバレのうちに入らないと認識しています。

また今回ボクはFF16を遊ぶためにPS5を購入し、ゲームは初回のメインストーリー、サブクエスト、リスキーモブは全部クリアしましたので、FF16の世界観を借りて少し語ることをお許しいただけると幸いです。

FF16 メインストーリーをクリアした記念

召喚獣を召喚するのではなくて顕現させる

FF16が従来のFFと大きく異なる点のひとつに、召喚獣の概念があります。

従来のFFでは、召喚獣は自分自身とは異なる存在で、その異なる存在を召喚して使役することです。
FF10やFF15等々の主なFFでは、自分とは異なる存在である召喚獣を呼び出して派手な大技を使います。技を使うと召喚獣は帰ってしまいます。ボクなどは貧乏性なので、もったいなくて全然使わない技になってしまいます。
FF11、FF14では召喚士というジョブがあって、自分とは異なる存在である召喚獣を呼び出して、サポートキャラみたいな感じで使います。

ところがFF16の召喚獣は召喚しません。
FF16においては、召喚獣という尋常ならざる存在が特定の人物の魂と結合しているという世界観です。そして、その召喚獣の力を引き出すために「顕現」という行為を行います。

「顕現とは、特定の人物がその肉体を依り代として召喚獣を実体化させること」というのがFF16の世界で語られる定義です。召喚獣そのものに変身します。FF16では召喚しなくても召喚獣と呼ぶのです!

イフリートの顕現状態

また、特定の人物が人の形を保ったまま召喚獣の力の一部を身に宿すことを「半顕現」と呼びます。ゲーム内で主に使う力は、この半顕現です。

FF16の「半顕現」状態の一例
ネタバレ要素でごめんなさい。詳細は語りません。
グラフィック、きれいですよね!(汗)

霊障とトラウマの世代間連鎖の概要

阿含宗の説く「霊障れいしょう」という概念と、マーク・ウォリンさんの説く「トラウマの世代間連鎖」という概念について説明します。

阿含宗の説く霊障

阿含宗では「霊障れいしょう」という概念の存在と、その霊障を取り除くことこそが自分と家族の人生を変えるために最優先で行うことであると説いてます。
霊障というのは、うらめしや~~~っと言って幽霊が出てくる現象ではありません。
霊障とは、他者の魂の欠片がトゲとなって自分の魂に突き刺さった状態のものを言います。このトゲは本能レベルで人としてのあらゆる出来事に対して誤作動を起こします。具体的は恋愛・友情・職業・病気・死に方にといった人生のほぼ全ての出来事に強い影響を与えます。

そして魂のトゲである霊障は、いったいどこから来るのかというと、両親、祖父母、曽祖父母の代の親類縁者が非常に多い。彼らが死の間際に残した「怨念」が我々の魂に突き刺さる。「怨念」というのは、誰かを恨む気持ち以外にも、例えば、つらい病気による苦しみの死ぬ間際の苦痛であったり、自分の人生に対する後悔も含みます。そういう負の感情の魂のエネルギーが子孫の魂に突き刺さる。これを阿含宗では「霊障」と呼んでいます。

人を殺した、殺された。病気で苦しみ悶絶して死んだ。不倫がバレて家庭が崩壊して後悔だらけの人生を送った。子供が不良化して家庭内暴力の嵐が吹き荒れて財産も何もかも失った。こういった人生の苦しみ、悲しみが、死後に「怨念」という特殊なエネルギー体になって、子孫の誰かの魂に突き刺さる。
そうすると、その子孫は理性や根性では抗えない強烈な力が働いて、霊障を起こしている人と似たような苦しみ、悲しみに満ちた人生を送ることになるという現象です。

FF14好きの人に向けた説明

FF16が面白い!と思った方のなかにはFF14も大好きだ!公式のYoutubeもよく見るよ!という方も多いことでしょう。こういう方に向けた霊障の事例を説明した文章がありますので、こちらにも機会があれば目を通してくれれば幸いです。ボクは心配だよという話になっています。
ちなみにボクは元ヒカセンでフロントラインは結構好きでした。フィーストは才能がありませんでした。

トラウマの世代間連鎖

新興宗教団体の説明を信じる気持ちは無いと考える方もおられると思いますので、教団とは全く関係ないところで、使用する単語は違うけれども同じことを述べている海外の心理療法士さんが存在しますので、ご紹介します。
アメリカで心理療法の臨床をしているマーク・ウォリンさんという方で、「心の傷は遺伝する」という書籍を書いています。少し引用をしつつ説明します。

私が自らの経験や、研修及び臨床から学んだ事は、答えは、自分の人生にではなく、両親や祖父母、ときには曽祖父母の時代にあると言うことだ。
新聞を賑わしている最近の科学的研究も、トラウマが世代から世代へ継承されることを語る。このような負の遺産は、「トラウマの世代間連鎖」と呼ばれ、最近見つかった証拠は、それがまさに現実の現象であることを示唆している。痛みは時とともに消えていくわけではない。トラウマに苦しんだ人がこの世を去り、その人生が忘れられた後も、その人の心や体に刻まれたトラウマは生き続ける

心の傷は遺伝する P.7

前段の阿含宗の教義の説明と同じことを、言葉を変えて述べていることがわかるでしょうか?

他者への恨み、病苦、失敗した人生への後悔が、死の間際を迎える本人の心の傷・トラウマとなるのですが、本人がこの世を去り、その人生が忘れられた後も、その人の心や体に刻まれたトラウマは生き続けて、このトラウマが世代から世代へ継承されるという「トラウマの世代間連鎖」なる現象を説明しています。これは阿含宗が「霊障」と呼ぶ現象と全くおなじです。

現在、精神分析療法の新たなトレンドは、個人のトラウマだけでなく、家族史や社会の歴史におけるトラウマ体験を全体図に含める方向に向かっている。育児放棄、自殺、戦争、子供や親兄弟の早世といったタイプも程度も異なる悲劇が、ある世代から次の世代へ、さらにまた次の世代へと、苦悩の衝撃波を送ることがある。

心の傷は遺伝する P.24

死者の「怨念」が子孫に伝わって「霊障」となるというのが阿含宗の説明ですが、マーク・ウォリンさんは、阿含宗の「怨念」という言葉を「苦悩の衝撃波」という言葉で表現しています。

この書籍について興味を持たれた方は、下記のリンクを参照ください。
また、この書籍についての阿含宗会員信徒視点で解説しているマガジンのリンクも貼り付けておきますので、お時間のあるときに、こちらのシリーズにも目を通していただけると幸いです。

・ブクログへのリンク

・noteのマガジン

FF16の召喚獣と重なる霊障の概念

阿含宗の霊障とトラウマの世代間連鎖という概念を、ざっと認識していただいたところで、本題のFF16の召喚獣に入ります。

FF16の召喚獣とは、結局のところ大量殺戮破壊兵器を自分自身に宿しているのであって、敵対勢力を暴力によって死滅させることで仲間を救っています。
フィクションの世界のお話なので我々は楽しめているけれど、これが現実だったら召喚獣を宿すドミナントという存在は大量の死を世界中に撒き散らす迷惑な存在です。

このFF16の召喚獣という概念を列挙してみます。

  • 自分とは違う召喚獣という存在が魂に宿っている。

  • その力は先祖(親から子、直系とは限らない)から継承する。

  • 例えばフェニックスとバハムートは特定の王家の血筋にのみ現れる。

  • シヴァやタイタンは特定の地域の人々の中に現れる。実際には、どこでどのように血縁関係があるのかわからない。

  • 召喚獣を宿している人間に幸せな人生は望めないし、周りの人々も不幸に巻き込まれる。

  • そして不幸な人生を終えた人の子孫が、再び召喚獣を魂に宿す。この繰り返し。

この流れは概念説明をした「霊障」「トラウマの世代間連鎖」と全く同じです。
ボクがこのnoteで伝えたいのは、フィクションであるFF16の召喚獣は霊障であり、ストーリーを組み立てたFF16メンバーはそのことを理解している!と頭の悪い主張をすることではありません。

伝えたいことは、その逆の視点です。
現実世界の人間の不幸、苦しみ、悲しみの人生を引き起こすのは「霊障」「トラウマの世代間連鎖」という現象によるものであり、それをFF16を楽しんだゲーマーの皆さんに伝えるとするならば、それはFF16の召喚獣の継承をイメージしてほしい!ということです。

召喚獣を宿したドミナントは幸せか? → 否。殺し合いの人生。
「霊障」「トラウマの世代間連鎖」を持つ人間の人生は不幸になる。

現実世界の人間は、FF16の召喚獣のような存在を、皆、魂に宿していて、それを「霊障」「トラウマの世代間連鎖」と呼んでいます。FF16の世界のドミナントと同様に自分の意志で宿したわけではない。
そのように生まれてきてしまう。
そして、気合とか根性とか気をつけますといった奮闘努力では抗うことができず、最終的には自分の意志とは関係なく、他者を巻き込んで、あるいは巻き込まれて、自分の人生が取り返しがつかない状況へ向かっていきます。

本物の神仏を勧請する

仏教、特に密教では神仏の召喚(正しくは勧請かんじょう)を行います。FFのように目に見える形で物理的に召喚獣が現れたり、目に見える形で魔法を使えたりということはないけれど、密教では召喚魔法に該当することを昔から実際にやってきていました。

ゲームの世界で破壊の力を召喚するのは構わないけれど、現実世界においては人々を救済する力をこの世の中に顕現させる必要があります。

神様、仏様は意志を持った存在です。ゲームで言うところのマナ、エーテル、魔素と呼ばれるような無機質なエネルギーではありません。そして、よくよく認識して欲しいのは、神様、仏様という存在は、趣味が人助けであるということです。そういう趣味の持ち主である神様、仏様側から見て、他者を救いたいという熱い祈りのエネルギー送り込んでくる人間がいるならば、「汝、よくぞ申した。我が力を貸してやろう」みたいなことになるわけです。

密教では、神仏にお願いして護摩ごまという炎の中に降りてきてもらって、人々の不幸の原因である悪因悪業カルマを焼き尽くすということをします。
そして、その炎の中に降りてきた瞬間が時々、写真として残ります。

フィルムカメラ時代の写真です

ボクもそれっぽい写真を何枚か撮影していますが、たとえばこれです。

左奥の炎を見てほしいかなと思っています

これもそれっぽい。

印を組んで祈る神仏ぽい姿に見えませんか?

阿含宗の護摩法要は、ゲームの概念で言えば、聖属性と火属性の両方の属性を混合させた召喚魔法の行使です。神仏を勧請して、人々の魂、地域そのものを聖属性と火属性の魔法で浄化するということを、ガチでやっています。

まとめ

ここまでの話をまとめます。
このnoteでは、この2点を知ってほしいです。

  1. 阿含宗では「霊障」、米国のマーク・ウォリンさんは「トラウマの世代間連鎖」と呼ぶ人生の不幸の原因となる現象があり、それはFF16における召喚獣の継承による不幸の連鎖の概念をイメージすると理解しやすい

  2. 密教の世界では、神仏を勧請するという召喚魔法の行使が行われていて、人々の魂、地域そのものを聖属性と火属性の魔法で浄化するということを、ガチでやっている。写真も見てね!

マーク・ウォリンさんの「トラウマの世代間連鎖」についてのリンクは本文中に貼り付けました。そちらを参照ください。
阿含宗の霊障という現象について、もっと知ってみたいなという方は、例えばこちらの書籍を参照ください。

勧請された神仏、召喚魔法行使の現場に立ち会ってみたいという方は、こちらを参照ください。毎年2月初旬に京都で阿含の星まつりというイベントを行っているのですが、2023年2月に向けて書いた特集記事です。次回の2月の星まつりの日に京都に来ることをご検討ください。
このnoteに書いていることはボクのガチ体験です。周りに何らかの霊能力を持っている人がいる方は、その方と一緒に星まつりに来てください。

仏教の修行はマインドフルネス瞑想だと主張する人がいるけれど、その主張は完全な誤りです。あれは瞑想する自分の心の平穏や自己啓発としては有効かもしれないけれど、今まさに、あなたの目の前で家庭内暴力や自傷行為を繰り返す家族を救うことはできません。
誰が瞑想をすると、誰が救われるのか?
自分がマインドフルネス瞑想をすると、瞑想をしていない家族による家庭内暴力や自傷行為、配偶者の不倫が止まると言うのか?
こういう視点を持って、彼らの主張を見ていただければと思います。
問題を起こしている家族を救いたい、あるいは他者の問題行動に巻き込まれて苦境にある自分を救ってほしいと真に願っている人にとっては、彼らの主張するマインドフルネス瞑想は全く役に立ちません。

家族も巻き込む人生の不幸、家族レベルの「霊障」「トラウマの世代間連鎖」は、これらを浄化消滅させる聖属性の力を持った神仏の力を借りて解決を目指すしかありません。
今、まさに「霊障」「トラウマの世代間連鎖」を思われる現象に遭遇していて、自分の人生や家族が危機的状況にあるという方、勇気を出して阿含宗の道場に相談に来てほしいと思っています。
FF16のテーマである「人が人として生きられる場所を作る」ために。
このnoteが、ただ普通の生活がしたいだけなのに、それすらかなわない、どうか助けてほしいと切に願っている人の目にとまることを、こちらも切に願っています。

最後に、神仏の存在、神仏の加護の有無について、統計的な数字によって考えてみるというnoteも書いてありますので、こちらも参照ください。
特に悩める宗教2世、3世の皆さんは、自分の教団と比べてどうなのか?冷徹に数字が示す
現実を直視して考えてみる機会を持ってみてください。


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