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仏教は心理学ではない

仏教は心理学ではない
という話です。

先日「仏教は心理学である」というnote(リンクは貼りません)を読んで、どんな内容かと思って読んで見れば非常に残念な内容でした。

よくある自己啓発系、意識高い系、いちぶのスピリチュアル系の人たちが語る仏教には、共通して誤った認識があります。

・自分のことだけを考えている
・仏教は心の問題を解決する手段だと考えている

仏教は心の問題を解決するためのものだから心理学であるという視点になるのでしょうが、確かに仏教は心の有り様を問うものでもありますが、それ以上に、人間の人生そのものを扱います。
人間の人生というのは、他責の問題に巻き込まれて不幸になっていくことが多々ありますから、自分だけの問題ではありません。

仏教の根幹は
・教えは「縁起の法」
・修行は「成仏法(八法十六法、三福道、七科三十七道品)」
にあります。
そもそものスタート地点である縁起論、別名「くう」の認識が誤っていることが、これらの人々が根本的な部分を誤っている原因なのだろう、とボクは思っているところです。

結論を言えば、縁起論は心理学の範囲を遥かに超えています。


縁起論

苦集滅道

仏教は難しいことは言っていなくて、

苦集
悪因悪業・カルマがあることが原因となり、自分の表面的な意志とは関係なく不幸をめてしまって「」に満ちた人生を歩むのであって

滅道
それを解決するためには悪因悪業・カルマを消させる必要があり、そのための具体的な方法()は「成仏法(八法十六法、三福道、七科三十七道品)」ですよ

これだけです。

縁起を具体的事例で考えてみる

あなたは交通法規上全く落ち度が無い正しい場所で信号待ちをしていたのだが、そこに車が突っ込んできて、気づいたら即死していた。

なぜ、この日、このとき、この場所にあなたがいて、
なぜ、この日、このとき、この場所に車がやってきて、
なぜ、見事な位置とタイミングでクリティカルヒットして
なぜ、あなたは即死してしまったのか?
どうすれば、このような「苦」の人生を避けることができたのか?

これを考えることが仏教です。
これを未然に防ぐこと、人生の防災と言える運命転換をする修行が仏教の修行のスタート地点です。

仏教を心理学だと語る人に、このnoteで繰り返し問いたいのは、
これの、どこに心理学の要素がありますか?
ということです。

なぜ、この日、このとき、この場所にあなたが

なぜ、この日、このとき、この場所にあなたがいたのか?

毎日の同じ時刻の通勤通学のいつもの信号待ちかもしれないし、
家を出る前にトイレに行きたくなっていつもより遅かったかもしれない。
幸せで楽しい家族旅行の最中かもしれないし、
あるいは不倫旅行中だったのかもしない。
事情は様々で、それは心理学の領域でしょうか?

なぜ、この日、このとき、この場所に車が

他者である運転手さんが、なぜ、この日、このとき、この場所に来たのかは、あなたの制御外の出来事です。
この人は、あなたに憎しみを持っていて、あなたを見つけて、ひき殺すために車で突っ込んできたかもしれないし、
運転中に突然心臓麻痺等々の突発的な病で車の制御を失ったのかもしれないし、
反対車線から子供が飛び出してきて、それを避けようとして急ハンドルを切ったら、あなたに衝突したのかもしれない。

あなたをひき殺す目的を持った運転手さんは心理学的に語れるかもしれないけれど、運転の最中に突然の病で倒れてしまったり、飛び出してきた子供を避けようとして急ハンドルを切った運転手さんの心理を考える必要があるでしょうか?
そして反対車線で子供が飛び出してきたことが事故の根本原因ならば、飛び出しをした子供の心理を考えることが、あなたを救うことになるのでしょうか?

これの、どこに心理学が入り込む余地がありますか?

なぜ、見事な位置とタイミングで

ここは仏教が語る「縁」のポイントです。

なぜ、車が衝突する対象が、あなただったのか?
なぜ、隣の人ではなくて自分だったのか?
なぜ、人のいない方向に車が突っ込んで来てくれなかったのか?
なぜ、天文学的な確率を乗り越えて、このタイミングだったのか?

この日、このとき、この場所に、お互いが数分、もしかしたら数秒違って存在していれば、このような事故にはならなかったかもしれない。
車は事故っていたかもしれないけど、自分は助かったかもしれない。
それなのに、本当に天文学的な確率を引き当てて、見事なタイミングで出会ってしまって、気づいたら即死しているわけです。

これは仏教で言うところの「縁」の問題です。
これのどこに心理学があるのでしょうか?
どこに「あなた」の心理が働く余地があるのでしょうか?

縁起のまとめ

非常に、本当に非常に重要なのは、ここで挙げた事例の事故は、
事故を起こしたいという意志、心理を持った人物が一人もいないということです。

「あなた」は即死したいと思っていないし
運転手さんは、他者をひき殺したいと思っていないし
対向車線で飛び出した子供は、何も考えていない

でも、あなたが即死する交通事故が発生してしまう。
それは縁起論でいう因縁果報の法則です。


あなたに、事故死するという悪因悪業、カルマがあり
運転手さんに、他者を死なせてしまうという悪因悪業、カルマがあり


その日、その時、その場所で巡り合ってしまうという
誰も意図していない出会い、「縁」が発生し

果報
あなたは即死して、色々な関係者も大変な悲しみ、苦しみに遭遇する
・事件後、家族やその他の人々に大きな影響を及ぼすこともポイント

修行法
だから、このような事件が発生しないように、やるべき仏道修行というものがあるのですよ。具体的には・・・(このnoteでは割愛します)
そして自分を救うためには、必然的に他者も救う必要がありますよ。

という教えが仏教です。
どこに心理学があるのか?ボクには理解できない。

さいごに

仏教は心理学であると考えている人は、もういちど、考えてほしい。
心理学を、どう、こねくりまわすと、

あなたは交通法規上全く落ち度が無い正しい場所で信号待ちをしていたのだが、そこに車が突っ込んできて、気づいたら即死していた

という事件を解決できますか?
これを解決するのが仏教です!

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