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般若心経「空」の本質は他人の人生は変えることができるの意味

このnoteは「他人は変えられない」という最近流行している思想に染まらないでほしいということを、仏教の般若心経「空」の思想から説明するものです。

般若心経の説く「くう」とは「縁起」のことです。
縁起が良い、悪いの縁起ではなくて、因縁果報の法則のことです。

縁起の法則:因縁果報とは
因:保育園に通う我が子は、車に轢かれて死亡する運命の星を持っている
縁:その日、その時、その場所に、自動車が突っ込んでくる
果:交通法規上、全く問題の無い場所にいた我が子に車が衝突する
報:我が子は死亡し、家族は絶望のどん底に落ちる
主人公は、死亡した子供ではなく、子供を持つあなたです。

お釈迦様は「縁起の法」という言葉で因縁果報の法則を説明したのですが、数百年後に当時の仏教界で色々あり、おかしな思想の方向に行きかけたところで、ナーガルジュナ(龍樹)が「縁起」という言葉を「空」という言葉に変えて説明して、仏教思想が誤った方向に行くのを防ぎました。
これは仏教思想の歴史の常識ですが、この話の「色々」は長くなりますので、このnoteでは省略します。
まずは「縁起」=「空」と理解してください。

このnoteでは下記の事柄を中心に述べていきます
・「他人は変えられない」という思想は仏教的に誤りである
・なぜなら「縁」を変えることによって「他人の人生を変えることができる」から
・「縁」を変えるというのは般若心経の「空即是色」のことです

「縁」を変えて人生を変えるということ

般若心経の一節
色即是空:この世の現象(色)は「縁起」「空」であり、
空即是色:「縁起」「空」がこの世の現象(色)となる

これを踏まえて最初の悲しい因縁果報の法則を改めて見てみましょう。

因:保育園に通う我が子は、車に轢かれて死亡する運命の星を持っている
縁:その日、その時、その場所に、自動車が突っ込んでくる
果:交通法規上、全く問題の無い場所にいた我が子に車が衝突する
報:我が子は死亡し、家族は絶望のどん底に落ちる

前提条件として、子供が事故死するという運命の星を持っていると仮定してください。運命の星の存在そのものに突っ込みたい人は、遠回りになりますが、このnoteの最後に関連するnoteリンク先を貼り付けましたので、こちらのnoteをお読みください。
とにかく、そういう運命の星を持っているのだ、とします。

因果律

世の中は、因果律という考え方があります。
「因→果」の流れは
・子供が事故死する運命の星を持っている
 ↓
・だから事故死する

となります。A→Bという流れは確定で、これは即ち「他人は変えられない」という思想に行き着いてしまいます。

色即是空

仏教の「縁起」「空」の思想は、因果の間に「縁」が入ります。
「因→縁→果」という流れです。
これは、
・子供が事故死する運命の星を持っているという「因」に呼応して
 ↓
・事件が起きるその日、その時、その場所に、なぜか子供がいるという「縁」が発生する
 ↓
・事故に遭遇するという「果」が生じる

これを般若心経では「色即是空」と表現しています。
この世の現象(色)は「縁起」「空」の法則に従って発生するのです。

空即是色

ということは、事件が起きるその日、その時、その場所に、子供がいないという「縁」に変えることができたならば、結果が変わるということです。
つまり「他人は変えることができる」。それも運命レベルで。

これを般若心経では「空即是色」と表現しています。
「縁起」「空」の内容によって、この世の現象(色)が生み出される

このnoteで使用している子供が事故に遭遇する事例で例えると

因:保育園に通う我が子は、車に轢かれて死亡する運命の星を持っている
★何らかの方法で縁を変える。その変わり方は多様です。★
縁1:その日、その時、その場所に、自動車が来る前に故障して止まった
縁2:何かの事情が発生して、その日、その時、その場所に、子供が行かなかった
縁3:その日、その時、その場所に、車は突っ込んで来たけれど、ほんの数センチの差で、車は子供の横を通り抜けた
果:子供は車と衝突しなかった
報:悲劇が訪れなかったことが縁が変わったからだと気づくことなく、今日も家族は笑顔いっぱい、平和に暮らしている

最終的には子供が持つ悪い運命の星に対処しなければいけないのですが、それでも「縁」を変えることで、当座の危機的状況は(大半は当人たちが知らないうちに・・・)回避されました。
それができる!というのが仏教の「縁起」「空」の思想です。

「他人は変えられない」なら他者は救えない

「他人は変えられない」が「自分は変えられる」
という考え方が流行しています。

コミュニケーション技術としてのNLPや、自己啓発、マインドフルネス瞑想を推奨する人などが、この考え方を主張しています。
確かに、会社の同僚の言動を変えたいという問題では「他人は変えられない」が「自分は変えられる」という考えの方が有効でしょう。

ここでは、もっと大きな運命レベルの話を見てほしい。
このnoteで述べている子供が車に轢かれてしまう事例で言えば、「他人は変えられない」ので、この子供を救うことはできません。
あなたは、それで良いですか?

また、例えば、現実にある下記のような家庭状況の人に対して「他人は変えられない」と、あなたは伝えますか?

・家族が、激しい自傷行動を繰り返し、目を話すことができない
・家族が、薬物で警察のご厄介になったのに、まだ薬物断ちできない
・家族が酒乱で、もう二度と酒は飲まないと約束したのに、他所で酒を飲んで酔って暴れて、他人に大怪我をさせた
・家族が、他所で多額の借金を作り、その尻拭いを自分がすることになった
・家族が、他所で不倫をしていたのが発覚し、家庭が崩壊した
・家族が、激しい家庭内暴力を繰り返し、自分の命の危機を感じている

問題を起こしているのは、自分ではなく、家族です。
自分は、自分の意志とは関係なく、家族の問題に巻き込まれています。
「他人は変えられない」ならば、破滅的な人生を歩む家族を変えることはできません。
ならば、どこに、この問題の当事者や家族の救いがあるのでしょうか?

「自分を変えられる」として、自分の何が変わると、家族が自傷行為をするのをやめて、家族の酒乱も治って、家族による家庭内暴力も止まり、家族が多額の借金を作らなくなるのでしょうか?
自分が変わると、交通法規上、全く問題ないところにいた家族が、車に轢かれなくなるのでしょうか?
そうであるならば、そのメカニズムはどのようなものでしょうか?
そのメカニズム、その仕組を論理的に説明できるでしょうか?

自分ではなくて、家族が自分の意志で変わると決心しなければいけないのだという主張もわかりますが、問題を起こしている当事者が、、自分を変えるためのチャレンジをしてくれるでしょうか?

そして、最初の子供の事例も思い出してみてください。
幼い子供は、自分を変えるとか自分が瞑想することができませんから、自分を変えることは困難です。ということは、子供が交通法規上、全く問題ないところにいたのに車に轢かれて死んでしまったのは、自分を変えられなかった子ども自身に責任がある、という理屈になります。
本当にそれで良いでしょうか?

自己啓発やマインドフルネス瞑想界隈で「他人は変えられない」と主張している人たちは、結局のところ、現時点で家族に大きな問題を抱えていない意識高い系の人たちが

自分が!
自分が!
自分が!

と自分のことばかり述べているように感じられてなりません。

しかしながら人生とは、自分の意志とは無関係に他責の出来事に巻き込まれて、つまり悪縁が発生して、狂ってしまうものなのです。

まとめ

色即是空:この世の現象(色)は「縁起」「空」であり、
空即是色:「縁起」「空」がこの世の現象(色)となる

仏教の立場で言えば、空即是色なのだから、「空」即ち「縁」を変えることで、運命を変えることができる。その対象は、この世の現象ですから、自分だけでなく、他人や国家、国土も対象に入ります。
つまり「他人は変えられる」のです。

「縁」を変えることで他者の人生も変えることができるという思想を最初から持っていない自己啓発教室や、瞑想教室の皆さんは「他人は変えられない」と言うしかない。

だから話を聴く側は、彼らの立場なら、そういう説明になるよね、と空気を読み、察してあげてほしい。
そして本当に自分や家族に困った事件が発生したとき、彼らでは自分たちの助けにならないことを知らなければなりません。

もし仏教を語る人でありながら、「他人は変えられない」「自分が瞑想をすることが仏教である」という人がいたならば、このnoteで挙げた事例を並べて、あなたたちの説明では、この人たちを救うことができませんね?と確認するのも良いでしょう。

交通法規上、全く問題ないところにいるのに、見えないところから車が突っ込んできて、自分や家族が死んでしまうというような、人間の認知限界を超えたところから来る事件・事故は、いくら人間が気をつけても、どうにもならない問題です。

「他人は変えられない」と語る仏教(が存在するかどうか知りませんが・・・)が、こういう事件・事故をどうやって未然に防ぎ、人々を救うというのでしょうか?
ボクは彼らの返答に興味は無いけれど、そういう人たちと日常的に接している人は、議論してみると良いかもしれません。
不幸な他人の運命を変えず、他人を救えない仏教って仏教なのですか?と。

過去のnote

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神仏の加護は数字に出るんですよ、という話。
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ちなみに現在の阿含宗の活動を支える方々の年齢層は高いので、自分たちの活動をネットで宣伝するためのIT知識も技量も発想もありません。宣伝したのは阿含宗との関連を全く知らないであろう一般の方です・・・

じっくり書籍で般若心経を学びたい

単純な般若心経の翻訳本ではありません。
・仏教思想の変遷、阿含仏教から龍樹の空に到達するまで
・漢訳の流れ
その他、がっつりと関連情報が記載されています。
阿含宗開祖が説明した当時の動画を見て学ばないと、書籍の理解は難しいのではないかなあ、とは思います。
それくらいに難易度が高いです。


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