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オーラを纏って踊る。

以前、「オーラを出すにはどうすれば良いですか?」と質問をしているダンサーの方がいました。

オーラとは出すものではないのではないか?

どうやって出すかと考える前に、他にもっとすることがあるのではないか?と私は質問に疑問を感じたのを覚えています。

そして、私は、オーラを出そうとしなくて良いと思っています。

自分の踊りが自分に伝わった時、自分の内側に存在する光が輝き出し、その輝きが放射線状に放たれ、その放たれたものが自然とオーラとなり現れるから。

自分が自分と繋がった時、その内側から溢れ出るものは、出そうと試行錯誤するものではなく、自然と出てしまうもの。

その作為のない純粋な美しいオーラに人々は魅了される。

純粋な美しさは私達本来の姿だから。

オーラを出そうとしなくても、ありのままの私を表現することが出来たならば、オーラは自然と放たれていく。

私は、オリエンタルダンスを純粋に楽しみ、愛しているかどうかを大切にしてきました。

この踊りが私にとって純粋にしたいことかどうかを大切にしてきました。

私が愛していることを私にさせてあげるということは、私への最高の愛。

私が踊りに愛を注げば注ぐ程、私は自分自身に愛を注いでいることになる。

だからこそ、踊っている時、私は至福の中にいる。

この踊りを愛して愛して愛して踊っているうちに、自分自身が愛で満たされていき、自分の内側にある光(=愛)の存在と深く繋がれるようになっていきました。

光と深く繋がれるようになればなる程、踊りへの愛が深まり、踊りへの探求が深まりました。

愛とは、その対象を知ろうとすることだから(知りたくなってしまうとも言える)。

踊りを探求することは、自分自身を探求することにもなりました。

そして、私が自分の為に注いできた愛が、探求が、私の中に蓄積され、私が踊った時に自然と外側に放たれていくようになりました。

それが、私という踊りを創っていきました。

私というオーラを放つことに繋がっていきました。

どのようなオーラを出すのかを目指す必要もありません。

薔薇のように華やかなオーラの人。

ひまわりのように明るいオーラの人。

百合のようにエレガントなオーラの人。

スミレのように可憐なオーラの人。

オーラにも色々あります。

自分らしく在れれば、本来の光が輝き出す。

他の何者にもならなくて良い。

それぞれが自分自身で在れば良い。

ありのままである自分から放たれる輝きが、唯一無二の美しいオーラとなるのだから。


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