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ニートの美術館強化月間 〜ショパンミュージアム in ワルシャワ編〜

実は先週の木曜から土曜日にかけて、
二泊三日でワルシャワへ観光しに行ってきた。

ワルシャワはパリよりちょっと早めに秋が訪れていて、
秋とポーランドはちょっと相性がいいなと思った。

ワルシャワ郊外のカフェテラスからの景色

ワルシャワに来ても、美術館強化月間は続きます。
ショパンミュージアムが、正確には美術館と言えないことは置いておいて、
ここも、25歳以下のEUの学生は無料で入れるとのことなので、
滑り込まない選択肢はないですよね笑

ショパンミュージアムと記念撮影笑

ショパンミュージアムの構成

ショパンミュージアムは3階に分かれていて、地上階はワルシャワ時代のショパンについて、2階はパリへ移った後のショパンについて学べるようになっています。
地下は音楽が聞けるブースがあり、ショパンが今まで制作した楽曲を学ぶことができます。

革命

ショパンはポーランドとフランスのハーフで、ショパンが生まれた1810年(1809年?諸説あり)、ポーランドは、ロシア、プロシア(現在のドイツ)、オーストリアの三国により分割されていました。
1830年にポーランドは、独立するためワルシャワで反乱を起こしましたが、帝政ロシアに制圧され呆気なく独立は失敗に終わります。この頃、ショパンはワルシャワから逃げるよう、家族から友達に言われていましたが、ポーランドへの愛国心が強いショパンはギリギリまで拒みました。友達がポーランドのために血と涙を流し必死に戦っている中、安全な場所で座っているだけの無力な自分のことが嫌でしょうがなかったよう。
そんな時に書いた曲が、この革命。

帝政ロシアへの怒り、無力であることの悔しさ、
大好きな母国と家族から離れないといけないという哀しみが楽譜にぶつけられているよう。その全ての感情がひしひしと伝わってくる。

別れの曲

この曲も聞いたらわかるという人が多いのではないでしょうか。
別れの曲という名前で有名です。
パリについて2年目ごろに書いた曲で、田舎を懐かしむ心情や、一人で生活していく心細さ、これからのパリでの生活への不安などをなんとなく感じる。

ショパンのパリ時代の大恋愛相手が、あのロマン派美術の大先生だった。

個人的にテンション上がってしまったポイントは、
ショパンはジョルジュサンドと交際していたことが判明したとき。

え??ジョルジュサンドってあのロマン派美術館に、肖像画飾られているあの人?!

ジョルジュサンドの肖像画@ロマン派美術館

確かに、この美術館はもともとアリ・シェフェールという画家の邸宅で、当時ロマン派の芸術家であるドラクロワ、ジョルジュサンド、ショパンが足繁く通ったということは小耳に入れていた。

ただ、この3人がただ来ていただけで、そんなそこまでの仲とは知らずびっくりしてしまった。ドラクロワはこのカップルの絵をよく描いてたみたいです。

なんかロマン派美術館は大好きで、無料で入れるし、たまに散歩がてら行ったりしてたのだけど、ロマン派美術館とショパンミュージアムでそんな繋がりがあったなんてちょっとロマン感じちゃいましたよね笑

ドラクロワが描いた二人のデッサン

そんな大恋愛中に制作したのがプレリュード(前奏曲)

今回のショパンミュージアム訪問で、ちょっと音楽の教養が身につ来ました。
よかったよかった。
あと、仕事さえあれば完璧なんですが。
あははははは笑


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