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ジャッジをやめるために出会った一冊

小さな頃から、本の虫だった。

私は幼い頃、眠る前の読み聞かせを必ず親にねだり、新しい絵本をつぎつぎに欲しがり、小学校に入る前には読み書きが完璧にできる子供だったらしい。
小学校に入学したら図書室というパラダイスを見つけ、毎日新しい本に出会えることが嬉しくて、休み時間もずっと図書室にこもっていた。

小学校3年生の時にクラスの女子に仲間はずれにされてからは、ますます図書室にいる時間が増えて、「本の中にはなぜこんなに素敵な世界が広がっているんだろう」と仲間はずれにされている現実をろくに見ずに、フィクションの世界に浸っていた。

いまだに覚えている当時ハマっていた本は、カエルの3兄弟が冒険するシリーズ物の絵本だった。
どうしてもタイトルを思い出せず、大人になってからネットでも探したのだけれど見つからず、いまだに探し続けている。


私の両親は大学の万葉集のゼミで出会い、その後2人とも国語系の教師になるという国語脳が突出している人たちだった。実家には今も文学全集が何セットもあり、行くたびに本は増えている。

そんな環境だったので、親は本に関してだけは寛容で、買い物に行った時「これがほしい」と言えば買ってくれていた。

そんな風に本に囲まれて育ってきたので、私の人生に影響を与えた本は数知れない。

もしそのうち一冊だけ選べと言われたら、山田詠美著『放課後の音符(キイノート)』を選ぶと思う。
なぜこの本を選ぶのかと言うと、親に初めて「買うのはよしなさい」と言われた本だったから。

当時12歳だった私は、八王子のくまざわ書店の店頭に平積みされていたこの本に出会った。
今チェックしたら超絶ダサい装丁になっていたので画像は出したくないけれど、初版の装丁は水彩画で描かれた花が白い薄紙で包まれている、それはそれは美しいもので、その一角だけプレゼントが置かれているように輝いて見えた

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↑初版の装丁

思わず手にとって開き、最初のページの1行目
「カナは17歳だけど、もう男の人とベッドに入ることを日常にしている。」
で、12歳の私の心はぐさぐさに刺されてしまった。

ちなみに、これを確認するために手元にある『放課後の音符』の1行目を読んだのだけど、いまでも読むと鳥肌が立つ。
そのくらい引き込まれ、続きが読みたいと熱望させる1文だった。

家に帰って自分のベッドで宝物みたいに読みたい、と思い
いつものように親に「これ買いたい」と差し出すと
「この本はやめておきなさい」と、親に初めて断られた。

山田詠美さんはデビュー当時(1985年)から、文藝賞を受賞しながらも「黒人と恋愛するアバズレ」のような誹謗中傷にあっていて、純文学なのか猥褻なのかという議論にも巻き込まれていたらしい。
今となっては信じられないくらい、いくつもの差別が重なった見方だけれども、それも30年以上かけてたくさんの人たちが戦ってきた結果、社会に受け入れられるようになった成果だ。

1990年当時、小学生の女の子が読む内容としては、その内容はたしかに刺激的だったのかもしれない。
しかしその時私は初めて、子供だから、というジャッジを憎んだ

それ以降、「子供だから」「女だから」「まだ若いから」「経験がないから」「結婚してるから」「日本人だから」という、「◯◯だから」こうしなさいとコントロールされることに、とても敏感になった。

大人になった私は、ジャッジされたからと言って怒り出すことはもうない。
だからと言ってそのジャッジを受け入れることも絶対にしない。

ジャッジする相手に、たったひとつ伝えたいことは「私が持っている何かではなく、私自身を見て」ということ。

だから私も、何歳であろうが人種が何であろうが家族であろうが他人であろうが今問題を抱えていようがいまいが、その人自身を見たい、といつも願っている。


あなたの中にあるジャッジには、どんなものがありますか?

次のお話:

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