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ごんぎつねの話



{2023.06.03の記事}

何か、ショート盤久々だな。

こーゆーライトな話も沢山書けるようになりたいんだけどなぁ…。

伝えたいことが溢れやすい私。

 

個人的に思わず大爆笑してしまった話なんですけど、

「最近の子供はごんぎつねが読めない!国語力の低下が………」

みたいな話があるらしいんですよ。

内容をかいつまんで説明すると、国語の授業でごんぎつねの話を習う際、

兵十という男性の家で
多くの人が集まり、
鍋で何かが煮えている

↑という情景をきつねのごんが目撃し、
ごんは「葬式だ…」と気付きます。

というシーンがあり
「この時、鍋の中で何が煮えているでしょう?」
という問に対して児童が

「お母さん!」

と、答えてしまう事案が勃発していることに対して
「これは読解力が低下していて危ない…。」
って危惧されているらしいです。

私個人的に爆笑なんですけど!


そもそも、最近の子供って、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが生きてるって子も多いはずなんですよ。

って、ことは、葬式に縁遠いって子も少なくない可能性が高いですよね。

ましてやこのご時世、葬式があったとしても、沢山の人が一気に集まってダラダラ同じ場所で食事して…
なんて状況もあんまり無いんじゃないでしょうか。

と、なると、
[葬式で何をするのか知らない、分からない]子供がいるのって
当たり前じゃないですか。

葬式で何をするのか知らない、分からないのなら、
『もしかして、死んじゃった人を鍋で煮るの?』
『昔は、死んじゃった人を鍋で煮ていたのかもしれない。』
って考える子が出てくることって、別に変なことじゃないと私は思います。


私も子供の頃、一瞬
『もしかして、お母さんを煮………いや、さすがにそんな怖いことせーへんよな笑』って頭に過った記憶があります。

が、私のように邪推せずまっすぐ

「お母さんを煮てると思います!」

って答えられる子供、逆に素敵だと思うんですよね。

本当、この話題、個人的に面白いです *⌒艸⌒


私はさぁ、[現代の子供の立場になって]
『もしかして、葬式で何をするのかが分からないのかな?』って考えてみてあげられない大人がいる方がよっぽど怖いんですけど!

何なら、話の筋に一切関係ない、
[鍋が煮えている]
って表現ぶっ込んでくるごんぎつねのストーリーにも
『その表現要るの?』って思ったり、

ストーリーとか文脈に伏線張られてないのに
「何が煮えていると思いますか?」
って質問も
『意地悪じゃない?』って感じるし、

子供のこと危惧する前に、
色々見直した方が良いところ
あるんじゃないでしょうかね?


私もほんのり覚えがあるからついでに言いたいんですけど、

〖空気読んだ回答させようとする文化〗

いい加減止めていきませんか?

確か、教科書に書かれてるごんぎつねの話に挿し絵とかがあって、その挿し絵から
『大根が描かれてたから、大根を煮ているのかもしれない…。』
『畑の絵があったから、きっと畑で採れたものを煮てるんだ…。』
って、[連想]してみたり、
『生前に食べさせてあげられなかった鰻をお供えするつもりなのかもしれない…。』
『お母さんの好物だった物を煮てあげているのかもしれない…。』
とか[情緒的な空想すること]でしか、

【鍋の中身】

について答える術って無かったんじゃなかったかな?


それって、
読解力の問題じゃないんですよね…


この、危惧するポイントのズレ具合ももはや爆笑なんですよ●>∀<

いや、もしかして、笑い事じゃないのかな?


とりあえず、本気で
「鍋でお母さんを煮ていると思います!」
って考えちゃった子供たちは安心してください、皆様が考える方向性は間違っていませんよ◎

ちゃんと想像力があって素晴らしいですね!

そのまま、まっすぐに育ってください!

って私はエールを送りたいです〃⌒∀⌒

ゆっくりしっかり情緒やモラルも身に付けて、視野の広い大人になってくださいね *⌒艸⌒


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