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メンヘラの娘と息子と



{2023.09.08の記事}

今日もギクッとするような部分の話に切り込んでいくので、
『あー、今日の内容何か嫌だな。』と感じたらそっ閉じでお願いします。

 

今日のお話は

メンヘラ母の元に産まれた女性
メンヘラ母の元に産まれた男性

についてのお話を書きます。

全てが…とは言いませんが
結婚できない女
結婚できない男

の層とも深い関わりのある話です。

漏れなく私も結婚できない女側の人間なんですけど、深い部分にメスを入れていきますね。


現代
『結婚できない……。』と頭を抱えてしまう年代親世代
『男性を立てることは大事なこと。』という価値観が根強い可能性が高いです。

人それぞれ程度は違うでしょうし、地域や年齢、個人の性格などにもよりけりですが、
『男を産めば偉い!』
『長男を大事にする。』
『女は男の後ろに下がって…。』
のような意識がかなり残っていた世代かと思われます。

そういった世代の中でも特に【メンヘラ的な極端な親】に育てられた女性は、
「女の子は家のことをやりなさい!」
「そんなこともできないの?!」
「それ位できるのが当たり前!」
母の奴隷かのような扱いを受け、
「何もかも自分(女)がやらなきゃダメ!」
「何ができても全く凄くない!」

何もかもを背負い込んでしまう、自己肯定感皆無な娘が出来上がります。


一方、【極端な親】に育てられた男性は
「あなたはやらなくて良いの、お母さんがやるからね?」
「○○できて偉いね~^^」
「○○で凄~い!」
蝶よ花よ(の男性バージョンって何だろう?)と、無条件に可愛い可愛い、
「何も動かずどっしり構えていなさい!」

自分の事すらまともに自分でやらない癖に自己肯定感だけは無駄に高い息子が出来上がります。



さて、この
〖男性を立てることは大事なこと〗
という価値観。

厄介なことにかなり無意識的に潜んでおり、上記に書いた以外にも
何となく男性が優先されて当然。』
何となく男性は好き勝手しても良い。』
何となく女性は雑な扱いで良い。』
の、ような感覚を持っている人は少なくありません。

それは、女性男性親世代子世代もです。

しかも、顕在意識に上がってこない位無意識に、自然に、そういう感覚を抱えている人が多いので
『考えを改めよう!』と気付きにくいのです。


また、遺伝子的なプログラミングによっても
『女性が家のことをやる。』という無意識が強固なため、
何となく家のことは女性がやらなければならない。』という感覚を持っていながら、そういう感覚に気付けていない人が多いのも事実です。

これらの無意識的な感覚が、女性自身
『女性が全てを抱え込まなければ…。』と無駄なお節介になりやすかったり、男性は
『男性はどっしり構えてればそれだけで良い!』と家のことでは全く動かなくなりやすかったり、拗らせる根本的な原因になっています。

しかし、なかなか気付きにくいから直しにくいんですよね…。


本当に些細なところに男尊女卑的な無意識は宿っていて、
『綺麗なおかずはお父さんに…。』
『お風呂はお父さんが最初に…。』
『何か行動するにもお父さんに許可を取って…。』
という母親の姿を見て育ったような人の中には、本当に自覚できないような些細な男尊女卑的感覚が積み重なっています。

長男を筆頭に息子の立場の人間は、男性(自分)が優遇されることに対して
「ありがとう。」
ではなく
「当たり前。」
となりやすいです。

娘の立場の人間なら、女性(自分)が冷遇されることに対して
「それはおかしい!」
ではなく
「当たり前。」
となりやすいのです。


稼ぐことも、家事をすることも、自分1人で賄えるようになった現代において、本来ならば
『男性が何となく優遇されるのはおかしい。』
と気付いて改めなければならないし、
『女性が何となく冷遇されるのはおかしい。』
と気付いて改めなければならないはずなのですが、男尊女卑の感覚の本質を見誤っていることで、おかしな女尊男卑に発展しているケースも少なくありません。


女性も男性も改めて
『公平な社会とは何か』という部分について、思い込みの根底から見直すことが大事なのではないでしょうか。

少し注意しなければならないポイントの1つに、
【夫の稼ぎだけで妻と子供を養うことができた人間】

[まだまだ現役で仕事をしているのもおかしな話ではないのが現代]
ということで、[感覚が全く異なる立場の人間同士が混在している]というものがあります。


現役で仕事をしている=自分もかつての若者だったし、自分が若かった頃は…

と考えてしまいやすいような人の数がそこそこ存在します。

他の記事でも書きましたが、

〖生きる時代が異なれば求めるものが異なる〗

ということを理解できていない人間の声が強く響きやすい
という点は、頭の片隅に置いておくことをおすすめしておきます。

一部ですが、この
【かつて若者だった人】
の意見のせいで時代に沿った選択ができなくなっている部分もあります。

同時に、そういうタイプの親元に育った人間は、無意識的な強い思い込みのせいで判断力が鈍っていることも少なくないのです。


自分の強固な思い込みに気付き、それらを手放すのはちょっと難しい場合もあるかもしれません。

しかし、自分の思い込みに気付くだけで瞬時にそれを無くすことだってできます。
『自分の親が…。』
『自分の上司が…。』

ではなく

『自分はどう考えるだろう…?』

振り返ることができる人間が増えることを祈って、この記事を書いています。


ちょっと方向性の異なるところから切り込んでいきますが、
「男性と女性、どちらが得だと思いますか?」
という質問、解答がYouTube上でなされているのをいくつか見たことがあります。

私個人の意見としては、
「そんな、損か得かという視点で見たら、妊娠→出産→産後…と物理的に動けなくなる期間を迎えるリスクを一切背負っていない男性の方が得に決まってんじゃん!」
と考えています。

そんな私なので、

"物理的に動けなくなる期間があるリスクを背負っている立場の女性"に対して、
「それがリスクだと感じなくて済む世の中に変えることが本当の意味での男女平等ちゃうんか」

と思うのです。

これは、
【物理的に動けなくなる期間に対する生活費が与えられる】
という点だけでなく、
【物理的に動けなくなる期間を乗り越えてもキャリアアップに何の支障もない
という配慮がなされていることも重要になりますし、何より
【会社という組織に属さなくても、家で子供の世話をしながらタイミングを見計らって仕事に取り組める、独立という形を図りやすい】ことが、真の男女平等に最も近い考え方なのではないでしょうか。
(こういう考え方なので、この少子化も問題視として挙がっている現代にインボイス制度を取り入れるのは「今じゃ無かったやろ…」と思ってしまうのはまた別のお話………)


話を元に戻しますが、私たちは
自分の親がちょっと変わってるかもしれない…メンヘラなのかもしれない…。』って、まず気付きにくいんですよ。

だからこそ

『自分が育った家の常識は他人の常識ではないかもしれないな?』

という体で他人と接し合うことが大切です。

そして、

『自分の思い込みが全て正しいとは言い切れないからな…?』

という前提をしっかり持った上で相手の話を聞かないと、色んな場面で見誤ります。


本当に
〖自分の常識をまず疑ってみる〗
ということができないまま生きるにはしんどい時代
になってきているのが、現代なんです。

また、
「△△さんが言ってたから間違いない!」
と判断付けるのが難しい時代でもあり、自分なりの答えを見出だすことが大切な時代なのです。


ちょっと不思議系な話を書いておきますが、メンヘラの親を持つと親の生き霊が自分に強く取り憑きがちです。

有名どころでは菅原道真をはじめとした怨霊をイメージすると分かりやすいと思いますが、日本人は念が強い人が多いので親をはじめとする先祖のカルマ(呪い)が強く
自分が何とか乗り越える!』という強い意志を持つことが必要な場合もあります。

とにかく、
自分はどう考えるか。』という視点で物事を捉えることがとても大事だと思っておくと良いでしょう。


自分が何かを選択・行動するとき
『幼少期などに周りの大人から言われたことをそのまま選んでいないか?』常に振り返る機会を増やすことで自分にとっての最適解を見付けられるはずです。

どうか、

[自分の価値観だと思っていることが自分の親の価値観をトレースしてるだけで本意では無かった…]

と気付ける人が1人でも増えますように。

価値観をアプデして、自分が心から求める幸福に気付き、手に入れられる人が増えますように。

必要な人に届きますように。

おわり


久々に私の想いをちょっと書くよ

本文とあんまり関係無い話なんですけど、私がこうして動画ではなくブログで自分の考えを綴っている理由の1つに
行間の読めない人に読んでほしくないから。』みたいなところがあるんですよね~。

我ながら
「性格の悪さ全快かよ笑」
という気もしなくも無いんですけど、
私が普段書いてる程度の長さの文章を読める人=ある程度行間を読める人
って信じてるんです。

だから、ちょっとハッキリした物言いすることも、言い過ぎず含みを孕んだ言い回しすることも、しやすいなって思ってて、比較的自由に表現できてるのかなって思ってるんですよ。

勿論、間口を狭め過ぎないように、言い回しも多少は工夫してるし、改行・強調・絵文字を入れて読みやすくなるように工夫もしてはいるんですけど、正直、

『行間を読めてないだけなのにギャーギャーあげつらおうとしてくる人を寄せ付けたくない。』

って思いを含んでるんですよねー。


また昭和否定的な言い方しちゃうんですけど、ゆとり世代より前の世代って
『できない人に合わせないといけないよ!』みたいな思想が強過ぎる気がするんです。

※私個人の感覚です。

だから、
[分かる人にしか分からない]
[伝わる人にしか伝わらない]
みたいな作品に対して
「それは意地悪だ!」
みたいな感覚になる人が多い気がしてて、けど私は
「そこじゃねーんだよ!」
ってイライラしてしまうタイプだから、行間が読めてない人をターゲットにしたくないんですよ。

多分、普段からよく私のブログを読んでくださってる皆さんは分かってると思うんですけど、私は
『分かる人がどんどん先に進むことの方が大事。』と思ってるタイプなので、
『分からない人を相手してる場合じゃない。』と考えるタイプなんです。

少し前の記事で書いた、
『元水泳部は船を調達しに行くのが先決で、泳げない人を介抱している場合じゃない。』みたいな、ね。


だから、
『どういう媒体を使って私の想いを形にしていくのが良いんだろう?』って若干考えあぐねてる節もあります。

なーんかインスピレーション湧かなくて、
『もしかしたら発信するのに向いてない人間なのかもな…?』って風にも思ったりします。

答えが見出せなくてモヤるんだよなぁ。

でも、これからも多分
『伝わる人にだけ伝われば良いや!』というスタンスは貫いていくと思うので、必要な人はお受け取りください。


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