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愚痴止める止めない問題



{2023.05.22の記事}

たまたま最近ハマってるYouTuberさんたちが喫煙者多くて、ここんとこかなり煙草吸いたくなってます。

『買ってしまおうか…。』って傾きつつあります。

次吸い始めたらまた止めれなくなりそうなので我慢したいですけどね…。

影響受けやすい私です。

 

私はかつて、呼吸をするように愚痴を吐くタイプの人間でした。

そういうのが普通というか、当たり前というか、
『人間は愚痴を言うのが自然。』な位の感覚だったかもしれません。


あるときを境に、
『愚痴を言うのを止めよう!』って決めたんです。

決めた当時は、
自分の人生が不幸過ぎて、お金も無さ過ぎて、
『とにかく自分ができることから何とかして開運しよう!』と思っており、たまたま出会った思想
「愚痴、不平、不満を言うのを止めたら幸せになる。」
っていう話だったんです。

正直信じられませんでしたが、藁にもすがる気持ちだった私は
『どうせ、損することは無いのだから、やってみよう!』
と、取り組み始めたのがきっかけです。


止めてみると、思ってた以上に平気だったんですよね。

「愚痴なんて、止められないよね…。」
って意見も世の中にはありますが、当時の私にとってはタバコを止めるよりも全然平気でした。

一人暮らしだったことも功を奏した要因の1つかもしれません。

愚痴を言う相手を作らない(他人と関わる時間を減らす)なども平行して取り組みました。


本当に悩んでいる時は、愚痴ではなく
【相談】という体で人に話すことにして、ダラダラ相談するのではなく、要点を自分の中でまとめてから
「このポイントで悩んでて…」
と、相談するスタイルになりました。

ムカつき過ぎてどうしようもなかったときは友人に
「ごめん、ただの愚痴なんだけど………聞いてくれて、ありがとう。」
と、必ずセットで付け加えるスタイルにもなりました。

とにかく
[無意識にダラダラ愚痴を垂れ流す]
ということを無くしたんです。


愚痴を言わない取り組みを始めたのが数年前の話なので、当時の細かい心境の変化などはもう覚えていませんが、愚痴を垂れ流すという行為が
・不毛だったこと
・無意味だったこと
要は[時間の無駄遣い]だったんだということが何となく分かり出したんですよね。

本当に悩んでるときに問題を解決したいなら、問題の要点を明確にしないと対策は取れないし、
ムカつき過ぎてどうしようも無くなってるときにしても、要は自分がムカつき過ぎてどうしたら良いかパニックになってるだけだった
ということにほんのり気付き始めると
『マジで"ダラダラ愚痴を言い続ける"だけだと何の解決にもならないじゃん!』と、

愚痴を吐くこと=無駄なこと

っていう風にマインドが変わっていったんです。

マインドが変わると
『愚痴なんて、極力言いたくないんだよな…。』って気分へとどんどん変わっていったので、更に他人に愚痴を吐く機会が減っていきました。


愚痴を吐く機会が減ってくると、自分の中で解決策を見出そうとし始める機会がめちゃくちゃ増えるんですよね。

と、言うか、自分の悩みを解決するためには
・誰に、どの部分を相談したら良いか
・自分の中で、どうなったらスッキリするのか
・自分ではどういう行動が出来るか
などなど、
【他人に頼ってお願いしたいポイント】

【自分が取り組むべきポイント】
が自然と判断しやくすなったんです。


そうして、モヤモヤする対象の相手に
「○○を△△に変えてくれないかな?」
「□□を止めて貰えませんか?」
「私は☆☆したいので、●●して貰うことはできませんか?」
など、[ピンポイント且つシンプルな交渉]を持ちかけられるようになり、[ただただ愚痴を垂れ流していた頃]とは全く異なる対人関係の築き方をする場面も増えました。

[怒り(モヤモヤ)を抱えたまま相手に伝える]
のと
[淡々と自分の希望を伝えてみる]
のとでは伝わり方も全然違いました。

伝わり方も違うし、自分の意見が通らないにしても、その断られ方も腹が立つ言い方ではなく、[意見を通せない理由を説明してくれるような感じ]になったり、とにかく自分も相手もお互いに角の立つ言い方が確実に減ったんですよね。


その後、インナーチャイルドという概念とか、心のブロックがどうのこうの…
などの話と出会い、諸々を経て

[イライラする原因は、自分の中にある]

ということを知り、実感していく流れになっていきました。

そうして今となってはイライラしたり、モヤモヤすることはあっても
『愚痴を吐く理由が無い。』という心境なんです。

『イライラ、モヤモヤの原因は絶対に自分の中にあるから…。』と自分の心の中に振り返るので、
『愚痴を吐こう。』という概念自体が消えてしまってる状態です。


私はこんな感じの経験を経てきているので、

〖愚痴を吐くのを止める〗

っていうアクションはかなりおすすめです。

1度で良いので、【1ヶ月】とか、【2週間】、など期間を決めてでも
『一切愚痴を言わない!』ということに真剣に取り組んでみる機会を設けるのはとても良いことだと思っています。


スピリチュアルな話が好きな方々の中では
「悪い波動を放ち続けるのは良くなくて、愚痴なんて他人にも悪い波動を与えるから………。」
みたいなニュアンスで語られることが多いかもしれません。

そんな中私は、愚痴を吐くことの一番の問題点

["無意識に"ダラダラ愚痴を吐いている]

という点だと感じています。

『愚痴を止めよう!』と意識することで、[無意識に愚痴を吐くこと]を止められるのですが、意識を持って自分を観察してみると
・何の実にもならない
・何の意味も無い
・何の結果にも繋がらない
[愚痴を吐くという生産性の無い時間]をいかに貪っていたのか、実感するタイミングがあると思います。

私のモットーは

『金は稼げても時間は稼げない。』

なので、こういう生産性の無い時間は極力減らした方が、確実に時間を有効活用でき、幸せな時間を増やす余地を得られると考えてしまう節があります。

なので、私個人的な価値観としては、【タバコを吸っている時間】よりも【愚痴を吐いている時間】の方が人生においては『大分無駄な時間』だと思う位です。

人によって、様々な見解はあると思いますが、私個人的には
[愚痴を止めること]に意味があるのではなく、[愚痴を吐いていることに自覚を持つこと]が最重要ポイントだと思うんです。


自分が愚痴を吐いている

ということをまず自覚し、その後愚痴を吐くのを止めるか止めないかは、各々が決める話なのではないかと思います。

先ほどからタバコを例に挙げているのですが、私は愚痴とタバコって丁度似てる感じがするんですよね。

私は元喫煙者なので、目の前でタバコを吸われても一切嫌悪感はありませんが、人によっては近くに喫煙者がいるだけで不快感を感じる人もいますよね。

同じように、愚痴を聞かされても
「そんなことがあったんだねー?」
と、受け流せる人もいれば
「愚痴に引っ張られて気分が重くなってしんどい…。」
と、愚痴が苦手な人もいると思います。

なので、誰でも彼でも相手に愚痴を吐くのは止めて、
「ちょっと愚痴っても大丈夫ですか?」
って、確認し合えるようになれば
・溜め込んで爆発する人
・愚痴ばかり聞かされて爆発する人
双方を増やさずに済むんじゃないかと思うのです。

分煙ならぬ
分愚痴です。


愚痴をよく聞かされがちな人も、自覚を持つのって大事だと思うんですよ。
『自分は愚痴を聞かされても平気◎』
なのか
『自分は愚痴を聞かされ続けるとしんどい×』
のか…

自分の精神衛生を保つために、
【他人から垂れ流される愚痴にNOと言う勇気】もたまには必要です。


たまに、ダラダラダラダラ愚痴を話している間に自分の考えがまとまるタイプも居るんですよね。

愚痴に限らず、話すことで考えがまとまっていくタイプです。

こういうタイプの人は、愚痴だろうと何だろうと、喋らせてあげることが大事だったりするんですよ。

が、エンパス体質だったり、相手の感覚に強く影響されやすいタイプの人が聞き役に回ってしまうと、話している相手がスッキリしていくのに比例して、聞いてる方がどんどんどんどんしんどくなっていきます。

話す側も聞く側も
『自分はどういうタイプかな?』ってある程度自覚を持っておくことは大事です。


愚痴を聞くのが苦手だと一口に言っても
・少しも聞きたくない
・少しなら大丈夫
・聞けなくはない
などなど、個人差ってありますよね。

必ず[自分がどの程度耐性を持っているのか]自覚しておくことで、自衛できます。

また、場合によっては
「今日だけね!」
「1時間までね!」
「30分だけね!」
など、時間で区切って愚痴を聞いてあげるのも1つの方法です◎

[自分が"しんどくならずに済む程度]を把握しておけば、途中でシレッと切り上げたりもできるので、意識してみると良いかもしれません◎


◆何故自分は愚痴を吐くのか
◆愚痴を吐くことで何を得られるのか
◆愚痴を聞くことに耐性はあるのか
この辺りの部分を各々が考えてみておくと、自分が取るべき行動が見えてくるはずです。

ピンときた方は参考にしてみてください。

おわり


最近思うこと

年齢とか世代で人を量るのは違うと思うんですよ。

とは言え、社会情勢や時代背景も、各々の価値観を形成する大きい要因の1つだったりもするじゃないですか。

だから、世代間で価値観が相容れない場合も出てくるし、
『異なる価値観の相手に自分の価値観を強要しないようにしないとな!』って軽くでも意識を持っておくことも大事だったりすると思うんです。

これは、年上年下関係なくね。

『時代背景が違うから理解し合えない部分は出てくるのが当然かもな…。』って部分はどんな人でも念頭に置いとくだけで寛大になれること、結構あると思います。


と、前置きした上で、私、
「スターシドがなんやらかんやら…。」
「ライトワーカー、ライトウォーリアーがどーちゃらこーちゃら。」
「インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボーチルドレン、なんたらかんたら…。」
「自分はツインレイだからなんやらかんやら…。」
って、自分にラベル貼りたくないんですよ。

最近強く思ってて。

『私は自由になりたくてスピリチュアルなことを調べ出したのがきっかけなのに、自分にラベリングしたら結局自由じゃねーじゃん!』

って。

それで、自分へのアイデンティティとか、ラベリングを減らしていこう活動真っ最中なんですけど(難しいけど)あえて言うなら、私は多分インディゴ世代だと思うんですよ。分かんないけど。

私自分のオーラが白く湯気みたいに見えるから、インディゴかどうか、定かではないけど、多分インディゴ世代な気がするんですよ。

だからと言うべきか、よく発信されてるスピリチュアルな話

合わねー!!!

って感じること多いんです。


多分、私と同じように、
『スピリチュアルな世界について、何となく興味があるのに、誰のどんな話にもピンとこないんだよな…。』っていうタイプ、結構いるんじゃないかと思うんですよね。

だからあえて

「スピリチュアルな発信してる人の話は2割程度で聞いといてえーで!」

って思うところがあります。


私個人の意見ではあるけどさぁ、

スピリチュアル=自分の精神と繋がること

これが基本だと思うんですよ。
これだけ、これが全て。

自分の精神と繋がることが目覚め…みたいな。

だから、

自分の意見が唯一の正解

ってのがスピリチュアルの本質だって思うところがあるんです。

だから、

「世の中に溢れてるスピリチュアル系の話に惑わされなくて良いからね◎」

って、一部の人に伝えたいんです。


多分私以降の世代って、
【心も"頭"もバランス良く使っていくのを目指す】ハイブリット型(?)のスターシードが多いんじゃないかって気がするんですよ。

そういうタイプには巷でよく発信されてるようなスピリチュアル系の話じゃ通用しないから、

下手に『スピリチュアルを学ぼう!』って考える必要が無いスターシード

も居るはずなんですよね。

少ないのかもしれないですけど。分からないけど。


だから、一部の人に

「別にスピリチュアルなこと分かってなくても大丈夫やで!」

って言っときたかったんです。

自分にとっての正解は
自分の中に必ずあるから
自分の中から見付けれるようになっていけたら、
そんでえーねん

って、必要な人に届くと信じて書いときます。


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