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苦悩なんか要らない


私の考え方?世界観?をまとめる話。



世の中には

「人は、苦しみを味わうためにこの世(地球)に生まれてくるんですよ。」

という類いの教えがあります。

多分、本当に苦しみを体験するために生まれてきてる人も中にはいるとは思います。

一方で、

「見えない世界には【闇の勢力】なるものがあって、闇の存在たちが人間を地球に閉じ込め、苦悩を味合わせるような理不尽な契約を結ばせているんですよ。」

という類いの話もあります。

多分、本当に理不尽な契約によって不幸を体験させられてる人も中にはいると思います。

両方等しく可能性はあると思います。



私は、確実に後者の方が事実に近いと感じていて

『ぜってー苦しみから抜け出してやるからな!!!』

と、いう感じの執念を抱いたまま、生きています。

私にとっては、

『不幸になるために生きてたまるかバカヤロー!』

という感覚なのです。



高次元、あの世や宇宙という表現でも良いですが、私たちが肉体を持たず、魂だけで存在する世界では、愛、幸福、光だけが全てです。あの世に苦しみはありません。

だから、そういう苦しみの無い世界に飽きた魂が、苦しみを味わうためにこの世にやってくる、という説が存在しているようです。

反対に、闇の勢力によって、本来なら魂になった時点で地球ではない星なんかにも自由に転生できるところを、地球という監獄に閉じ込めてるから、私たち人間は輪廻転生を繰り返して地球で苦しみ続けている、という説も存在しているようです。

どちらもあり得る話ですね。



まぁ生きてる間に、何が事実か、証明することなんて誰にもできないでしょう。

各々が自らしっくりくる説を信じることしかできないと思います。

と、いう中で
『XXさんという、偉い人が◇◇だと言ってるから、◇◇が真実なんだー!!!』
などと、他人の話を盲信することが一番良くありません。

必ず、いつなんどきであろうと、"自分が"正解を決めなければいけないのです。

誰が何と言おうと、
『"自分は"◆◆だと思うから、◆◆が真実だ!』
と、貫く強さも必要だし、かと言って
『だから◇◇と言うあなたは間違っているー!』
などと他者に強要するものでもありません。

常に、人はみな等しく、自分が自分の意志決定の舵取りをしなければいけない責任を担っています。



『この世には、苦しみを味わうために生まれてきたのです。』
と、唱える側の人からすれば、
『だから、人生には苦悩があるのは当たり前なのです。』
と、苦悩に対して反発は起きないのでしょう。

ところが、私は
『この世で幸せになるために生まれてきてるんだ!』
という意見なので、
『だから、人生には苦悩なんか要らない!
と、苦悩に対して反発が起こります。

私は、苦悩を解消する術があるのなら、貪欲にその術を見付け出したいと考えるタイプなのです。



多分、この世のどこかには私の同志がいる気もしてて、そんなみんなが、本当は苦悩から抜け出す術を見出すためにこの世にきてるのに、
「人間は苦悩を味わうために生まれてきてる。」
っていう言葉で自分の魂の目的を見失ってしまったら嫌だなっていう思いも強いです。

私たちはこの世を幸せで満たすために生まれてきたんじゃない?

苦悩とは無縁の世界を創るために生まれてきてない?



私たちは
・肉体(遺伝子)の自分
・量子(意識)の自分
両方の側面を併せ持っていて、肉体の自分の感覚が強い程、
『これはこうあるべき。』
『これはこうしなければならない。』
『これが正解。』
『こっちが正義。』
と、ルールやセオリーをもってして定義付けしたがります。

その流れから
『スピリチュアリストとはこうあるべき。』
『スピリットに目覚めたらこういう行動を取らなければならない。』
『天の存在が訴えてる、これが正解。』
『ことを荒立てないことが正義。』
などなど、"思い込みによる"なんちゃってスピリチュアリストも結構います。

私は私の同志たちにそうなって欲しくない、って思う気持ちが強いんですよね。メテスのみんななら、きっと大丈夫だと思いつつも、私自身が思い込みから抜け出すのに苦戦した経験が多いから、たまにこうして
「起きてるかー!?!?」
って話を書きたくなります笑



何年か前の春分の日、私はほんの数分だけ、量子の自分の意識が物凄く強まる経験をしました。

このとき、
『あぁ、全ては完璧なんだな。』
と腑に落ちる感覚で、本当に世界には幸福しか無いような気持ちで満ち溢れていました。このとき、
『あぁ、キラキラ系スピリチュアリストってこんな感覚なのかもなぁ。』
と、深く理解した部分と、
『世界は完璧だ。私が何を言うことも無いんだ。』
という深い悟り感から、
「幸せ、感じてみましょ~✨」
のような発言への強い胡散臭さを同時に体感しました。

この、自分が自然の一部の中に溶け込んだような感覚こそ、量子の自分本体の意識であり、常にその感覚で生きることがゴールなのかと、その当時は思ってたんですよ。

それからしばらくずっと、そこまで強いワンネスの感覚に繋がることがありません。あくまで人間の範疇での意識体という感覚までにしか繋がらなくなったのですが、この部分は今日書きたいことに関係ありません。



私が今日書きたいことっていうのは、
『幸せって、こういうこと。』
『スピリットに目覚めるってこいうこと。』
っていう、【"イメージ先行"から唱えられた幸福の形】に自分を当てはめにいく人を減らしたい、っていう話なんです。

【イメージからくる、思い込みによる幸せの形、状態】
これって、肉体側の人間の意識感覚なんですよね。

量子側のスピリットの意識感覚だと、【自分が幸福そのもの】っていう感覚だから、[幸福を"感じる"]とも少し違うんですよ。自分が幸福の一部なので。感じません。

ですが、
"スピリチュアリストが言ってそうなこと"を唱えて自分も満足してる"つもり
になってしまうと、メテスのみんなが使命を思い出しにくくなってしまうので、それを避けて欲しいなって思うんです。

私たちは、幸せの形に当てはまりにきたんじゃなくて、幸せになりにきてるんです。



本当に本気で心から満足してる人なら、全く問題無いとも私は考えてます。

だけど、少しでも
『何かモヤモヤする?』
と感じてる場合は、道はそっちじゃありません。

目の前に提示された【幸せの模範スタイル】に自分を納得させにいこうと躍起になることではなく、【自分が心から満足できる状態】を貪欲に追求することだと思いませんか?

自分の本心から逃げなくて済む自分になることだと思いませんか?



今年に入ってから私は
『私自身の"楽しい"をもっと発信することが大事だと思う!』
と、考えてきました。

今月に入った位から、
『【人間を不幸に貶めようとする意識】をこの世から抹消させる方法を提示することも、やっぱり大事だ。』
と感じるようになりました。

多分どっちも必要ではあるんですけど、私は[人間の意識の中にある、もう不要になった過去のプログラミングのエラーを見付けて示しておく]方が得意なんだと思います。

まぁ提示したからと言って自分の意識を書き換えるのは基本的にはそれらを読んだ人それぞれでしかないんですけどね。

それでも、遺伝子のエラーやバグを乗り越える人間が1人現れれば、集合的無意識などによって、他の人も乗り越えられるようになるので、それなりに必要な作業をやってるんじゃないでしょうか。

必要なメテスのみんなにも上手く届いてたら良いんだけどな?

思い込みに逃げないで共に"自分にとっての"極楽浄土目指そうぜ?



皮肉なことに、人生で苦悩した経験が多い程
『自分の願いは叶わない…。』
っていう意識が強く染み付いてしまってるから、【自分の本質的な望み】を直視すること自体に恐れを感じてしまうことも結構多いんですよね。

そういう恐れから目を背けた上で
『幸福とはこういう形なんだ~。』
って、目の前に提示されてる分かりやすい幸福にすがりたくなる人も、結構います。

私は私の同志には、それらに流されないでいて欲しいし、お互い現実世界で出会うことはないのかもしれないけど、共に精進してこーぜ、って思ってます。

コンニャク頭、フニャフニャ腰に心棒入れてこーぜ笑



【幸せそうな人】に自分を当てはめにきたんじゃない。

『自分は【幸せな人】なんだ!』ってアピールしにきた訳でもない。

自分こそが幸福そのものであって、その意識、エネルギーを妨げる何かをぶっ壊すためにやってきてる仲間へのメッセージでした。


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