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ある種の悟り




{2021.04.15の記事}

[悟りとは何か]
を定義付けようと思うと、とても難しいですね。

すなわち、悟ろうと思ったとしても[目標が漠然としていて目指しにくい]ということなのでしょう。

世の中に様々な宗教的教えが存在するのはこれも理由の1つだと思います。

恐らく
「悟りとはこうですよ。」
と人に説いて、それを聞いた人100%が本質を理解するのも難しいのでしょう。

その曖昧さ故に[考えを悪用されてきたケース]も、歴史が物語っていますしね。


人と人は繋がっている、つまりワンネスという考え方も悟りの1つだと思います。

また、精神的な男性性と女性性のバランスを取るのも悟りの1つだと思います。

私は
[悟りとは差を取ることだ]
という考え方がしっくりきます。

では何の差を取るのか…
というと答えは多岐に渡ります。

数ある差取りの中で、マインドとスピリットの差を無くす、要は本来の自分(スピリット)に正直に生きるのも悟りの1つだとも思います。

最近、私は
『マインドとスピリットの差を無くすのが、悟りだ、大事だ。』と強く思うことがありました。

[自我の意見を一致させていく]
と表現すると良いでしょうか。

よく
「エゴを無くしましょう。」
と言われますが、社会を生きる上で自我を完全に無くして生きるにはまだまだハードルが高いのが現状なのかな。
と思うのです。

もしかすると全ての人がスピリットだけに従って生きられる世の中がこれから形成されるのかもしれません。

それでも現状はまだまだ課題が多いと思います。

そんな中で、自我を無くそうとするのは少しミスリードなのかな。
と私は思ったのです。

自分の自我もれっきとした"自分"であり、魂もまた"自分"です。

2人の自分の意見が離れ過ぎると、人は苦しさを感じるのでしょう。

その2人の自分をベストパートナーに出来る人が幸福を得られ、悟りに近付ける人なんだろう。
と考えました。

自我(エゴ)、マインドと言われる存在もまた【頑張ってきた自分】です。

現代において無視されがちな魂、スピリットもまた、私たちの意識に訴えかけようと【頑張ってきた自分】です。

『お互いに必死に頑張ってきたんだな!』
って、とても実感するんです。

これらのどちらも、無理に押さえつけようとするのは、良い選択とは思えません。

だから、マインド(エゴ)に対して
頭ごなしに「NO!」
と言い過ぎるのも良くないのではないでしょうか。

とにかく、
・マインドとスピリットの意見の差を無くす
・バランスを取る

のは簡単なことではないのが私の体感です。

悟りへの道は遠いのでしょうねw

メインで私が伝えたい話は以上です。


余談として、私は自分の中に3人感じるんですよ。

●マインド
●スピリット
●もう一人が理性

なのだと思います。

個人的に、自分の意識のどこからどこまでがマインドでスピリットで理性なのか、興味はありますが、全て自分の心なので分割は容易ではありませんw

むしろ差を無くす筈なのに分離させるってのはおかしな話ですしねw

厳密に言えば、理性とも少し違います。恐らく、理性というより【生命維持機能】に近いのだと思います。

私があえて【理性】と表現したこの感覚が強い人程、俗に言われるサイコパスだったり、合理主義者に当たるのかな。
と思うんですよね。

合理主義者はマインドの自分が薄いか、
ほぼ居ないような感じなのでしょう。

合理主義の人が、一般的な人に対して
「なぜそこで悩むのかが理解できない。」
と発言する理由はそれだと思います。

一般的な人(多くの人)が[マインドの自分を重要視していることによって悩みが発生しやすいから]では無いでしょうかね。

スピリチュアル界隈でよく耳にする【目覚め】とは、結局のところマインドコントロールが解ける、ということなんだろうな。
と、いうのが私の意見です。

マインドコントロールが解けた上で、今度はマインドとスピリットと理性の3点のバランスを取っていく。

これが[自分の人生を生きる]ってことに繋がるのでしょう。

このネタは語り出すとキリが無いのでこれで終わります。

正三角形が望ましい形ではあるが
三角形の大きさは人それぞれで良い

こういうことなんですね。

悟りについて考えを深めたい方や、哲学好きな方の好奇心を少しくすぐれたなら幸いです。

[答えの無いことを考えること]が好きな方を私は応援します。

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