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経験にお金を積むということ


よく、
「自分の"経験"にお金をかけると良いですよ。」
という話を耳にしませんか?

私はこういう話を聞くと、
『旅行とかにお金をかけると良いってことかなぁ?』
『○○体験とか、アクティビティにお金をかけると良いってことかなぁ?』
『やっぱり勉強にお金をかけるのが良いってことかなぁ?』
などのように、
[物質がほとんど手に残らない使い方をするのが良い]
ということを言っているのだと、何となく思い込んでいたんですよね。

でも、それはちょっと違ったみたいです。



例えば
[映画を見る]
のも、アクションの1つですよね。

[洋服を買う]
のも、アクションの1つなんです。

[物を捨てる]
のも、アクションの1つです。

[ご飯を食べる]
[ガチャポンを回す]
[医者に行く]


様々なことがアクションであり、経験なんです。

だから、雑貨集めが好きな人なら雑貨を買い集めるということも
[経験にお金をかけている]
ということになる訳です。

そんな中で何が良くないかというと、
癖で買ってる…。』
何となく買ってる…。』
無意識に買ってる…。』
気付いたら増えてる…。』
などなど、毎度の購入にしっかり意識を向けていないことが良くないみたいですね。



ちょっと、お金の観点で考えてみてください。

お金持ちと貧乏人。何がそれらを分けるかというと、
[資産と負債の識別ができているか否か]
なんです。
(他にも様々な見方ができますが、【金持ち父さん貧乏父さん】という書籍内で触れられているセクションの1つでもあり、とても重要な判断基準の1つです。)

では、何が資産で何が負債なのか。

具体的な例は、私なんかの話よりもマネー本を読破して判断して貰う方がよっぽど良いと思うので割愛しますが、めちゃくちゃ単純な表現をすると、

資産=自分にとっても他人にとっても価値のある物
負債=自分だけにとって価値のある物

なんです。



先ほど例えた、雑貨集めが趣味な人にとって、
【家に買い集められた雑貨たち】
は、その人にとっては資産なんです。

ところが、もしそれらの雑貨類の手入れが悪く、他の人から見たときに
【単なるガラクタ】
にしか見えなければ、それは負債でしか無くなります。あくまで、世の中基準で見たときの話です。

もしも、品質の良い骨董品やアンティークなどを筆頭に、手入れもしっかり行き届いている物であれば、世間から見ても価値は高いので、それらは世の中基準で見てもれっきとした資産になり得る物なんです。



他にも、洋服が好きで買い集めている人であっても、1着1着と親身に向き合って集めていたものであれば、中古で販売しても高値で売れる可能性の高い、資産になる可能性はあります。

趣味で何となく雑多に作り上げた物だと、世間から見たらガラクタになり得ますが、丁寧に作り上げた物たちならしっかり価値のある資産にもなり得ます。

何においても一概には言えないことですが、
自分にとっても他人にとっても価値がある物】
が世間的に見た資産へと変わる訳ですね。



『流行ってるから何となく買った~…。』
『癖でパーツ買っちゃった~。』
『ついつい買っちゃった~。』
など、買って満足してるだけで、それらに思い入れも持たず、手入れもせず、
『大事過ぎて…。』
と言い訳して押し入れの隅っこでホコリをかぶっているような物たちは、資産にはなり得ないんですよね。0円にはならない可能性もありますが、間違っても買ったときの値段より値が上がることはほぼ無いでしょう。

【それ】にしっかり価値を見出せる人の人数が多い物が資産になるポテンシャルを秘めている物質であって、そもそも自分自信が
『いやぁ、これは実に良い品だ!』
なんて喜んで愛でられてない物に、誰が価値を見出すと思いますか?

大事にすることもて余してることは違うのです。



ではここからもっと精神世界の話に寄っていきますが、
『うわぁ!素敵な品!心惹かれて止まない!』
と、出会ってしまった物があったとしましょう。

その品を買うことを目標に、一所懸命に働くのも、価値のある経験を積むことになります。

買った物を
『どうやって丁寧に使おう…?』
と、思案するのも価値のある経験に繋がります。

丁寧に使っていたのに壊れてしまった…
『修理できるかなぁ?』
と、修理店を探すのも素敵な経験です。

こんな風に、たった1つの物であっても、それを所持するために真摯に向き合うということは、立派な経験なんですよね。つまり、こういう場合、[物を買った]のですが、[経験を買った]ことにもなる訳です。こういう経験も、とても貴重な自分の財産ということになります。

他にも、その物を買ったり身に付けたことで発見したり経験した様々な出来事こそが自分の財産になるので、物を買っただけであっても、それが
[経験にお金をかけた]
ことになり得る訳ですね。

ですがやはり、
『流行ってるから何となく買った~…。』
『癖でパーツ買っちゃった~。』
『ついつい買っちゃった~。』
などの買い方は、経験じゃない買い方なんです。それはただの条件反射ですね。だから、そういうお金の使い方は何の身にもならない可能性の方が高いし、現代の大量生産大量消費型の社会においては身にならない買い物をしてしまうチャンスが際限なく広がっているので、
「物にお金を費やすべきではない。」
という話も増えてしまうのです。

まぁ、分かるんですけど、その意見もちょっと短絡的過ぎる気がするんですよね。



前にも書きましたが、私は長生きする気満々な一方で
『いつでも死ぬ可能性はある。』
ということも頭の片隅に置いてるんです。

だから、【死んだ後に持っていけるもの】って、物質じゃなくて、思い出とか経験とか、自分の中に積み上がってる色々でしかない。って考えてる側面も強くて、そういう観点で観ても
[物と真摯に向き合う]
ことの大切さを年々実感していくんですよ。それは値段とかデザイン…みたいな視覚で捉えるだけの見方をするんじゃなくて、五感、六感を使って物と対話する位の勢いです。

当然、これまでに出会って、捨てた物たちとは上手く対話ができなくなったり縁が切れたりしたということなので、全ての物と懇切丁寧に一生大事に付き合う訳でもないんだとも思ってるんですけどね。別れはくるし、別れるときは一瞬ですよ。

でも、私にとっては
[物を買う]
って、ただ物質を手元に迎えるということじゃなくて、
『物を買うという形で経験を積んでたんだな。』
って、この前気付いたんですよね。

お金を使うこと、物が手に入る、入らない、物を扱う…色んな消費行動を経て、本当に多くのことを学んだっていうことを実感したんです。



で、さぁ。

買い物が好きな人って世の中にいっぱいいると思うんです。依存症の人もいるかもしれませんけど、依存症関係なく純粋に買い物が好きな人。

こういう人たちは、[買い物をすること]が、その人の資産になるから、
「物質にお金を費やすべきではない。」
っていう思想は持つべきじゃないな、と私は思ったんです。

ただし、ただ買うんじゃなくて、買い物するときにしっかり意識や自覚を持って取り組むことを重要視してみることが、とても大事なんですけどね。[物を買うこと]をしっかり経験に昇華させてあげられるような取り組み方が望ましいってことです。



最初にお金とか資産って視点で書き始めたので、矛盾するように感じるかもしれませんが、

【お金】を支払って【物】を手に入れる

この活動に対して
お金が無くなる~💦』
って感覚になってしまう庶民が多い訳ですが、まず
素敵な物を手に入れられた~♥️』
って、自分の手元に来た方にフォーカスを当てることが基本中の基本なんだと思います。

『自分の元にやってきたものが何なのか?』
っていう視点で見つめることができてから、次々と新しいステップに繋げていけるのかな、と。

で、
『これは○○円だった…。』
とか、お金と連動して記憶しておくんじゃなくて、
『自分の元にやってきてくれた何かを介してどういう経験を経ていくのか…?』
っていう風に、【お金】の存在をある程度無視した上でそれらと付き合っていくことが重要だって私は感じてるんです。

支払うときなんかには
『対価交換に便利に役立ってくれてありがとう!』
ってお金が働いてくれることに感謝するのも大事かもしれませんが、支払いが終わったら、それはもう別れた元カレと一緒で脳内ゴミ箱に入れてしまうことも凄く大事だなって、私は実感してるんですよね。いつまでも未練たらしくしてると、次の縁を逃すなって。

本当に、元カレより今カレを大事にしなきゃいけないのと一緒で、支払ったお金じゃなくて手元に来た何かとどんな経験を経ていくかって部分にフォーカスするっていうことが豊かさに直結してるんだろうな、と強く感じます。

こんな感じで、物を介しても十分に豊かさは享受できるものなので
『買わないようにしないといけない!』
とは、絶対に考えるべきじゃないよ、と、私は思った訳です。



経験にお金を積むって、ただ単純に経験を買うってことだけじゃなくて、買った何かを経験へと昇華させられれば何でも良いって話なんだな、って解ったんですよね。

そしたら、やっぱりいつも書いてる通り
・意識すること
・自覚を持つこと
・地に足付けること
なんかはとても大事なことなんだな、って改めて感じたので、私のブログを読んだ人も、日々の生活の足元に転がってる幸せを探したくなるような話をちょいちょい書いていけたら良いな、と思いました。(小並感)

まぁ…書けるかは分かんないんだけど、とりあえず私は
『もしかして…旅行とか行かなあかんのかな?』
とか
『もしかして…やっぱり勉強せなあかんってことなんかな?』
みたいな変な焦りを手放せたので、他にもプレッシャーを感じてた人の肩の荷を降ろすことに貢献できたら良いかなって思ってます。

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