障害
昨日の記事を訂正前に読んだ人へ
やっぱり、DIYブログの続きは来週にします!
身頃編は1週間で仕上げられるか不安になったので、フード編の続きを来週にします!
世の中にはさぁ
【障害者】
っていう言葉や概念があって、社会の中で"普通に"生活するのが困難な人を指してる訳ですが
「社会にはこういう障害がありますよ!」
って教えてくれてるだけの人な訳で、その人を【障害者】という扱いにするのは本来あるべきかたちではないんですよね。
『変わらなきゃいけない、変えなきゃいけないのは社会のあり方やルールなんだ。』
っていう視点から世の中を見直さない限り、解決するものもしなくなりますよね。
そういう観点から見ても、
【障害者】
っていう言葉を使うのは良くないんじゃないかと思います。
まぁ、こうしてブログを書くときは便宜上、社会通念上、この言葉で書くんですけど、
『概念からして間違ってるんじゃない?その言葉。』
と、ほんのり思ってます。
特に【発達障害】っていう概念。この概念は本当に社会に必要なのか、私には疑問に感じる場面の方が多いです。
noteでもnoteじゃなくても、
「自分は発達障害なのですが……」
と公言している人のブログはとても上手だし面白いと私は思うことが多いんですよね。読んでいても、
『発達"障害"…?本当に?障害なんてないじゃん!』
と、不思議な感覚に陥るんですよ。
ADHDなど、衝動性や集中力の無さという点が発達障害たる所以だったりするはずなのに、
『文章超まとまってんじゃん!』
と、私は思うことが多いんです。むしろ、多分発達障害じゃない人の方が支離滅裂な文章を書いてる人が多い気がするんですよ。
(私はとっちらかってそうで怖いです)
まぁ何て言うか、確かに会話と文章は違うし、発達障害傾向によって、仕事のジャンルや業務によっては支障が出る、という部分は理解しているのですが、適所で適職に携われば最強となり得る存在だということも知っているので、なぜそんな最強人類が【障害】という看板を背負っているのか…
【発達障害】
なんて言葉や概念を設定した人間の方がよっぽど頭に問題あるんじゃないかと私は思っています。
まぁ社会って難しいですからね。
100人いて、99人が
「この方法が良い。」
と言えば、残りの1人は他の多数の意見に従わざるを得なくなるのが社会だったりします。
だけど、その99人は
『自分の意見を通して貰えたんだ、ありがとう。』
と、いう意識や感謝を持ってないと、譲ってくれた1人だけが辛い思いを抱えたまま生きるしかなくなるんですよね。
「意見を譲ってくれたのだから、困ったときは言ってね!」
ほんの少しサポートできる人が99人いるのであれば、譲った1人は困らずに生きられるのに…
「意見が揃わないのが悪い!」
と、いうスタンスになりやすいのが
「障害者」
という言葉や概念に詰まっていると私は思います。
多数の意見が通って当然!
この考え方を改めない限り、障害は無くならないのではないでしょうか。
逆に言えば、感謝の心が障害という概念すらも打ち砕くのではないでしょうか。
皆さんは、障害って何だと思いますか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?