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通貨がミントだったら


もしかしたら、一昨日の記事を読んでからでないと今日の話が全く通じないかもしれないので、一応リンク貼っておきます。



超シンプルに言うと、私は

基本的な生活費の通貨は【お金】であるべきではない。
贅沢品や遊興費の通貨に【お金】を使えば良い。

と、いった考え方です。

リンクの記事内で書いた通り、【お金】自身が持つエネルギーは小さく、動かすためには私たち人間が何かしらエネルギーを与えてあげる必要のある代物です。

ところが、もしもミントが通貨なのであれば、これは放っておくだけで爆発的に育つので、[生活に困窮する人]は限りなく減ります。恐らく日本ならば全国どこでもミントは勝手に増殖するでしょう。

むしろ生えすぎたミントを刈る方が大変になるかもしれないので、生活困窮者やホームレス、お年寄りなんかにも刈って貰う代わりにそれを分け与えるなど、本当に生活困窮者は減ります。



【お金】が簡単に手に入るようになると、インフレが起こります。ですが、それは【お金】だからですね。そういう、扱いにある程度の知識や工夫が必要な【お金】というものは、贅沢品や遊興費の通貨に相応しいし役立つ訳です。

あくまで空想上の話を書きますが、現代人の私たちはほぼ100%、トイレットペーパーを毎日使いますよね。そのトイレットペーパーの原料がミントで賄える世界なのであれば、納税がミントで補える訳です。(ミントでトイペを作るという部分は空想に過ぎませんが、仕組みは現実的にあり得る仕組みです。)

また、ミントなら歯磨き粉の香料にも使えるし、一部食品(まぁ飾り程度ですが)、薬、基礎化粧品類、石鹸などなど様々な生活用品類にミントを使える余地がある植物とも言えますよね。

本当に多岐にわたり活用できるとなれば、沢山栽培する必要がありますが、ミントの繁殖力ならば生きている人が使う分のミントを全員で賄うことはとても簡単です。

加工費用などは、贅沢品・遊興費類の市場で生まれた納税金で賄えば良いでしょう。

あくまで
・基礎生活費
・贅沢品費、遊興費
立場を住み分けることで、ミントは通貨になり得ます。(あくまで、本当にミントが生活用品に使い回せる植物だと仮定したら…という話です。)



別に、ミントに拘る必要は無くて、私が言いたいのは

「基本的な生活費に利用される通貨が"簡単に育つ何か"になることで、全ての人間の暮らしが楽になりますよね。」

という部分です。

昔から、米や作物が年貢として納められていたとは思いますが、育ちやすいもの、育ちにくい手間暇かかってしまうもの、様々な作物があります。その中で、
【確実に生活物資に幅広く使える可能性もあり、尚且つ勝手に育ちやすいもの】
が年貢、現代なら納税の通貨になるべきだと、私は思うのです。

現代の私たちは、豆を育て、それを売り、換金した上で納税し、味噌を買うような生き方をしています。

豆を育てているなら、豆をそのまま納めれば良いし、味噌は豆から作れば良いですよね。

"換金"という手間に無駄が生まれているという点は、もっと多くの人が気付いた方が良いと私は考えています。



申し訳ないですが、現代の日本にこんなにも
「お金を!」
「お金を!」
とお金ありきな思想が広まってしまっているのはアメリカの影響が強いと思います。

が、以前にも書いた通り、アメリカ人はお金好きな人間が集まってから出来上がった国という背景があり、
「お金さえ稼げばそれで良い。」
といった単純思考の傾向も強いです。

↑この辺を鑑みた上で、日本という国の政治や経済を見直さないと、
『生活が苦しい。』

『生活が苦しいから子供を産み育てたくない。』

『生きていたくない。』
こういう人を量産してしまいます。

日本が古来から長い時間をかけて培ってきた生き方を見直すことが非常に重要だと思いませんか?

『問題を解決するためにお金をかければ良い!』
というアメリカ的スタンスから脱して
『問題を解決するために無駄を取り除けば良い!』
という意識に強く転換しなければいけないのではないでしょうか。



残念ながら、お金を簡単に稼げてしまう人にとっては、
「お金がエネルギー効率の悪い代物である。」
という点を理解できないでしょう。

「パンが無いならお菓子を食べれば良いじゃない。」
そんなセリフと同じように
「お金が無いならお金を稼げば良いじゃない。」
と、唱える人はいなくならないのではないかと思います。

自分が簡単にできることに対して
『なぜ自分はこれができるのだろう?』
と探究する物好きはそうそういないでしょうからね。お金があって、遊べる時間も十分に有している人ならばなおのこと、【お金】というものの本質を知ろうとも思わない人がほとんどなのではないでしょうか。

ですが、私は、
【ただ生きるだけであれば【お金】は必要ない世界】
を目指す義務が我々人間にはあると思うのです。



ミントとは言わずとも、勝手に簡単に育ったり、用途も汎用性の高い作物が生活の通貨になれば良いと考えています。

こういう話をすると、大体
「そんな空想に浸ってないで、現実を見ろ、黙って働け、黙って稼げ。」
と説き伏せようとする人間も必ず現れます。

私にしてみれば
「真実を見れていないのはどっちだ。解消すべき問題の論点から逃げて頭を働かせていないのはそっちじゃないか、黙って世を変えるために思案してみろよ。」
という話なのですが、どうもこの手のタイプに伝わるほどに話を噛み砕けません。

通ずる人だけに私の考え方が伝わったらそれで良いかな、と冷めているところが私の良くないところなのかもしれませんね。

でも、マインドコントロールされてしまってる人間とは深く関わりたくはありませんので、致し方ないでしょう。

大分前に全く別の話で書いた通り、人間はホメオスタシスの働きによって、自分の生活を変えないでいようとする意識の方が強くなるので、どうしても
『自分の生活(常識)を変えようとする考え=自分の生活を脅かそうとする敵!』
という感覚にもなりやすいです。

だから、自分にとっての当たり前から大きく外れた世界観の話を考えようとすることすら恐怖心を覚える場合も大いにあり得る訳です。その恐怖心が、頑なに"たとえより良い方向への変化であったとしても"変化をはね除けようとするし、そういう人間は多いんですよね。

変化を恐れる度に
『あぁ、自分は変化に恐怖心を感じてるんだな。』
と自覚を持てる内はまだ良いのですが、
[自分が恐れている]
という事実すら認められないほどに拗らせてしまっている人もいるのだから、困ったものです。

そんな中でも、私と同じように色々と気付いて前に進むよう促されている人も大勢いるはずなので、気付いた人はどんどん先へ進んでくださいと、背中を押せる話が少しでも残せたら良いと思っています。



贅沢品、遊興費、これらの種類には際限がありません。

様々な物、形、サービス、既存のものから新しく誕生するものまで、その形のとどまるところを知りません。だから通貨は【お金】という統一でき、尚且つ稼ぐためにある程度のエネルギーを要する価値のある通貨が重宝します。

だから私はお金はお金で出回る市場を無くすべきだとは考えません。

ただし、何度も言うように、
[ただ生きるだけ]
であれば【お金】が無くても大丈夫であり、生活費(物資)の負担が軽く、どんな人であっても簡単に生きられる世の中にすることはとても大事だと私は思います。

[生きるだけ]の基盤に必要な通貨がミントのような簡単に育つ作物であれば、生活が楽になり、贅沢品や遊興費を稼ごうと思う意欲も活力も湧きやすいし、結局廻り廻ってお金持ちも増えるんですよ。

言い方は悪いですが、民への施しは負債ではなく還元率の良い投資なのだと、もう少し考えた方が良いです。



一昨日の記事でも書きましたが、
『生きるためにはお金が無ければいけない!』
と強く思い込み過ぎてしまっている私たちにとって、まず、
『生活費の通貨がお金じゃなかったらどうなるのか?』
とイマジネーションを膨らませてみることは非常に大切です。

完全にお金が無くなった世界をイメージするのは、現代ではとても難しいと思うのですが、こんな風に
・生活費はミントが通貨に
・贅沢品・遊興費はお金が通貨に
と、分けて考えてみることは、比較的取り組みやすいのではないでしょうか。

是非一度、皆様にも頭の中でユニークなイメージングをしてみてください。多分、色々面白い発想が出てくるはずです。



通貨は、【お金】である必要は無いのです。

豊かな生活、国、世界を創るために必ずしも【お金】が必要ではないという点を考えてみられる人が1人でも増えると、きっと面白い世界になるはずです。


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