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闇、いと近きもの #7

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 彼らが馬を走らせてから数刻後。その時は突如として訪れた。ガノンのけぶる黄金色の瞳が、荒野の片隅に荒れ狂う黒を写したのだ。

「匪賊への襲撃か」

 状況を断じながら、ガノンは戦神に祈りを捧げた。かように早くの邂逅を得られるなど、まさに思し召しにほかならない。祈りが加護を呼び、戦いの意志によって彼の身体はほのかに光る。襤褸ボロの少年は、わずかに身じろぎした。だが、光が害あるものでないことに気付くと、ひし、ガノンの身体を抱いた。少年にとってはむしろ、温かささえ感じるものであった。

「ハアッ! ハアッ!」

 ガノンはホクソー馬に、二発、三発とムチを入れた。ここで黒狼を追い切り、正体を見極める。仕損じるようなことがあれば、もはや二度の機会は得られない。そう判断したのだ。馬はその評判に違わぬほどの速さを発揮し、瞬く間に暴れる黒を大きくしていく。暫くの間を駆け、ようやく捉える。そう感じた時。

「むっ!」

 ガノンが唸り、馬にその身をへばり付けた。少年も、慌ててその動きにならう。直後、二人の上を黒いものが突き抜けていった。

「黒狼め、どうやら視野も広いらしい」

 直後、ガノンは馬から飛び降りる。身体を光らせ、一足飛びに駆け出していく。少年は、敢えてその姿を見送った。ガノンの判断が、彼を巻き込まないためのものであることが明白だったからだ。少年にできることはといえば、黒狼の正体を見極めることのみだ。叶うならば、ルアーキーでないことを祈りたい。少年は馬にしがみつきながら、ゆっくりと戦場へと近付いていく。
 一方、駆け出したガノンは早くも黒狼と一戦を交えていた。そっけない鎧兜から見れば異彩を放つ刀を抜き放ち、黒狼の放つ黒を掻い潜っていた。刀は段平めいて幅広く、それでいてガノンの膂力に呼応して軽やかに動く。時には放たれし黒の芯を斬り捨て霧散せしめ、時には黒を受け止めてなおその光を保っていた。

「こっちを向け、よ、やあっ!」

 叫んだガノンの身体が、黒を縫って荒野を蹴上がる。空へと舞い上った男は、そのまま殺戮の現場へと飛び込んでいく。その時、黒狼が遂に防御へと動いた。鈍く、重い音が荒野一面に広がる。段平と黒腕が、正面からぶつかったのだ。

「……」

 両者が初めて、顔を合わせる。しかしガノンの顔には、不満の色がありありと浮かんでいた。黒狼たる相手の顔が、闇色に押し潰されていたのだ。獣の如く口角を吊り上げ、目は鋭く、瞳孔は消え失せていた。例えるのであれば、己の上に闇の毛皮をかぶっている。そんな印象だった。

「一刀命奪をもってしても、流石に闇は斬れねえか……」

 ガノンは一旦間合いを取り、段平を正眼に構えた。彼が持ちてしは、かつて小さな街を守るために立った薬師、元盗賊の男が手にしていた剣。何らかの情念により、無銘ながら一刀斬りつけるだけで命をも奪い取るという性質を付与された刀である。悍馬かんばと名高いバンコ馬めいて危うい一物であるが、ガノンはその身に宿る戦神の加護によって、自在に操っていた。

「グルウ……」

 一方黒狼は、完全にガノンと正対する構えを取った。生き残った匪賊どもがほうほうの体で逃げ出していくが、一瞥さえもくれようとしない。完全に興味を失ったと見てもいいだろう。

「ひとまず、その闇を剥がさねえとなあ……」

 ガノンが刀をだらりと下げ、その一方で口角を上げる。従来であれば問答無用に打ち倒すところであるが、今回は少々目的が違う。黒狼がルアーキーであるか否か。それを確認せねばならない。

「ガアッ!」

 そんな逡巡を抱えていては、先手は容易く奪われる。黒狼が地を蹴り、ガノンへと飛び掛かっていく。黒を伸ばすでもなく、無造作に腕を振りかざす。それは純然なる殺意か、あるいは、無策の行為か。すべては闇に阻まれ、区別はつかない。

「フンッ!」

 ともかく、戦神の加護を受けし者を相手に、そのような攻撃は通用しない。ガノンは受け止めるでもなく、わずかな動きで黒腕をかわした。そのまま黒狼に正対するため、素早く振り返る。だが、狼の動きは疾かった。

「オオオッ!」

 獣じみた吠え声とともに、黒狼はその身をさらに速める。ガノンにかわされようとも遠間に着地し、足のバネを使って加速する。身体が千切れんばかりの、高速移動だった。変転自在に襲い来る黒は、やがて速さのあまりに、常人の目には捉え得ぬものとなっていた。

「ぬうっ!」

 ガノンは唸った。いくら戦神の加護があるとはいえ。いくら最小限の動きでかわせるとはいえ。相手の加速が上回れば意味がない。どこかで見切るか受け止めなければ、徐々に不利となるのは明白だった。事実、ガノンの動きは少しずつ大きくなっている。限界の時は、近かった。

「しゃあねえなぁ!」

 蛮人は一つ吠えた。続けて、大きく足を踏み鳴らす。そのまま踏み鳴らした足――右足だ――を荒野に沈め、大きく腰を落とした。誰が見ようとも、迎撃の構え。しかしその視線は定まらぬ。攻撃の機を窺う黒狼は、常に動きを絶やさない。一度見失えば、たちまち嬲り殺されるであろう。

「……」

 二人を見守る襤褸の少年は、密やかに固唾をのんだ。彼の目には、もはや起きている事象の判別が付かぬ。わかるのは、己が願いを託した男が、真実黒狼と向き合わんとしていることだけだった。

「黒狼ッ! 正面から来いやぁ!」

 再び、蛮声が荒野をつんざいた。少年は、思わず耳をふさいだ。荒野の空気がビリビリと打ち震える。まさに咆哮。おすの、心根からの叫びであった。

「ガルウウッッッ!」

 直後、獣の叫びが荒野を引き裂いた。黒狼が、漆黒の獣が、ガノンの正面に姿を現す。そして、雷霆の踏み込みでガノンの元へと駆け込んだ。

「グルアアアッッッ!!!」

 黒に染まった爪牙を振るい、狼はガノンを屠らんとする。しかし蛮人は、【大傭兵】は。足を踏み固めた場から、一歩たりとも動かない。戦神に祈りの言葉を捧げ、目を閉じる。襤褸の少年はこの後に起こる惨事を思い、目を背けた。そして、獣にも負けぬ蛮声が、またも荒野に響き渡る。

「カアアアッッッ!!!」

 ザウッ!!!

 見よ。ガノンの振るう一刀命奪の剣が、見事に黒狼のまとう黒のみを引き裂いた。むろん、ただの芸当ではない。薄皮一枚を剥ぎ取るが如き、げに難しき刀技に他ならない。驚きを得たのか、あれほどの俊敏を誇った黒狼の足が止まった。ガノンは当然、それを逃さない。踏み込み、引き裂いた黒へと刀を差し込んだ。

「化けの皮、見せよやあああッッッ!!!」

 いよいよ響く雄叫びに、少年は恐る恐る目を開いた。少年が願いを託した男は、生きていた。生きて刃を、黒狼の黒へと突き立てていた。顔を覆っていた黒を、剥ぎ取っていた。その先に見えたものを、少年は忘れるはずもなかった。髭が生えていようと。頬がこけていようと。見間違えるはずもなかった。

「ルア兄っっっ!!!」

 またしても叫びが、草木も生えぬ荒野にこだました。

#8へ続く

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