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闇、いと近きもの #4

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 貧民窟の悲惨な事件から、およそ一年が過ぎた。その間に街は、すっかり荒れ果ててしまった。すべては、ルアーキーの暴挙が根源だった。彼が弑した者どもの中に、自ら指揮を執った領主が混じっていたのだ。領主は、貧民を嫌うあまりに反対を振り切り、自ら前線に躍り出た。その結果、闇に堕ちた青年の殺戮と向き合ってしまったのだ。
 その後、街の治安は混乱した。領主には子がなく、周囲の者は失職を恐れて領主不在を隠そうとした。だが、噂は飛び交うものである。必然、街の空気にも淀みが生まれる。そこを流民に襲われたのだ。流民は市場を破壊し、多くの物を持ち去った。ルアーキーが商人に預けた貧民の子らも、多くがここで消息を絶ってしまった。結果、あとに残されたのは、荒れ果てた街だけであった。しかしここで疑問が残るであろう。かの街を勢力下においていたはずの国家は、なぜ街の救済に動かなかったのか? その理由は、彼らにあった。

「……奴らは街に火を放ったか」
「流民に襲われ、半ば滅びた街でしたからな。食料の調達などをさせぬためには、最良の手と言ってもいいでしょう」

 未だ煙の残る街の痕にて、語る男が二人。一人は黄金色にくすぶる瞳を街の周囲へと向け、一人は家宰じみた服を身にまとい、街跡に冷たく目を光らせていた。黄金色の目をした男の体躯は大きく、いかつく、そっけない鎧兜に身を包んでいる。

「まったく。お陰で俺た……我々【赤き牙の傭兵団】は飯の供給さえままならん。後方から来る奴らを待たなきゃ、にっちもさっちも進めんと来た」
「それが、敵軍の狙いなのでしょう。ダガンタ帝国の本軍も、最近は侵攻速度が鈍っているとの報告が」
「厄介だ。ああ、厄介だ。昔のように暴れられたら」
「……」
「やらねえよ。ああ、やらねえ。貴様が認めん限りはな」

 一時。ほんの一時だけ目を鋭くした家宰を見て、ガノンは鷹揚にうなずいた。彼がこの家宰――ダーシアを引き込むには、ラガダン金貨千枚どころではない心身の負荷が掛かっている。ガノンが私欲で手放すには、あまりにも惜しい人材だった。

「とはいえ、だ。飯のアテはあるのか? このままじゃ決戦の頃には俺たちは動けなくなってるぞ」
輜重しちょうの者どもを急かしてはおりますが、限界が近いですな」
「……ちっ」

 ガノンは、【大傭兵】と謳われる男は兜を外し、火吹き山の如くうねる赤髪を掻きむしった。そんな姿から家宰は、主人の苛立ちを感じ取る。下手をすると、侵攻限界点よりも先に、ガノンの精神が暴発しかねない。そうなれば、傭兵団は瓦解の危機に陥ることは必定だった。ダーシアは本格的に、己が頭脳を稼働させ始めた。
 しかし。程なくして家宰の頭脳は、急停止を強いられることとなる。

「なあ……」

 二人の前に、襤褸ボロをまとった少年が現れた。それは物陰からぬるりと、あまりにも唐突に通りへと躍り出たのだ。

「何奴!」

 一歩遅れて、家宰が主人を護りに前へ出る。しかし家宰は、心中でいたく後悔していた。もしも害意がある者が相手だったならば、この一歩がすべてを終わらせていた恐れがあるからだ。彼は己を、脳内で激しく罵った。

「ただのみなしごだよ。武器もなんもない。それとも、コイツを剥がすかい?」

 襤褸の下から、目が光る。それが人間への不信によるものであることを、ガノンは真っ先に見抜いた。彼もまた、遠い昔にそういった空虚を湛えていたからだ。ガノンは家宰を押しのけ、少年と直に目を合わせる。互いの射抜くような視線が、ピタリと交わった。

「用を言え」

 ガノンは、短く口を開いた。慌てて家宰が止めに入ろうとする。しかし彼は、鋭く睨む。

「首領。なりませんぞ」
「俺の勘を、愚弄するか」
「っ……」

 ガノンの言葉に、家宰は一歩引き下がる。それを見て、襤褸の少年は口を開いた。あいも変わらず顔は見せないが、幾分か口ぶりが柔らかくなったように感じられた。

「人を、探して欲しいんだ」
「なんと」

 家宰が、相槌を入れた。しかし直後には口を覆い、首領に向けて頭を下げた。今は少年とガノンの会話の場。割って入るのは無粋だった。

「……名と、特徴は」
「ルアーキー」
「!」

 短く示された名に、ガノンの表情はかすかに揺らいだ。忘れもしない。己がまだ、荒野に漂う旅人であった頃。わずかに道程を交わした少年の名だ。それをまさか、滅びた街で耳にすることになろうとは。ガノンは、問い質したい衝動をこらえて口を開いた。

「そいつは、おまえとどういった関係なのだ」
「ルア兄は……」

 少年はとつとつと口を開いた。二年ほど前にこの街に現れ、貧民窟の仲間となったこと。少年たちの労力を貪っていた商人から、正しい取引の約定を引き出したこと。そして一年前に別れ、未だ戻ってこないことを。

「流民の襲撃や軍隊連中の放火で、おいらたちもバラバラになっちまった。誰が生きてて誰が死んだのか、もうさっぱりだ。だけど、そいつをルア兄に伝えることすら叶いやしない。だから、探して欲しいんだ」
「ふむ……」

 ガノンは、そのすべてをほとんど無言で聞いた。少年の話はとりとめがなく、長いものだった。しかしながら彼は、一言一句を胸に刻み込んでいた。かつて行き逢った少年の足跡そくせきを、己のうちへと飲み込んでいた。

「報酬は」

 そうしてガノンは、ゆっくりと口を開いた。だがまろび出た言葉は、傭兵にとっての最大原則だった。傭兵は情では動かない。それらを動かすには、報酬が必須だった。

「出せない。だけど」

 少年は、再び襤褸の下の目を光らせた。ガノンはそこに確信を抱く。己の話を、盗み聞きされたか。

「アンタは苛立ちを募らせている。なにか、刺激を欲してるんだろう?」
「……」

 ガノンは、少年の目を見据えた。同時に、前へ出んとした家宰を手で押し止める。彼の頭脳は今や、知識神もかくやの勢いで回っていた。

「俺が苛立っていたのは事実だ。だが、俺も一軍を率いる身。欲を満たすだけでは動けぬ」
「くっ……」

 ガノンの物言いに、少年は歯噛みする。しかしそこに、割って入る声があった。

「いいでしょう」
「ダーシア!?」

 家宰じみた服をまとった男が、少年の前にするりと出る。そして優雅に一礼をした。ガノンは驚きを隠せず、少年は口をあんぐりと空けた。

「首領。団の差配は、一時それがしが預かります。首領は、思うがままに」

 家宰は首領に向けても一礼した。ガノンは戸惑った。なぜにこの男は突然に、己の暴挙を許したのか。彼には理解し難かった。

「苛立ちに震える首領を見ているのは、こちらとしても心苦しいのです」

 家宰は、ガノンに向けて間合いを近付けた。そして、瞬時のうちに耳元を制し。

「ルアーキーなる者と、なにやら因縁があるご様子。理屈などこねずに、果たされれば良かろう」

 核心を突く物言いを、小声で言い放った。

「……」

 ガノンは、家宰を睨もうとした。しかしその時には、再び家宰は距離を取っていた。彼にかしずく、配下の姿を取っていた。

「わかった」

 ガノンは、小さく言葉を吐き出した。襤褸の少年が、じりりと距離を取る。だが彼は、それさえも手で制した。

「恐れるな。おののくな。俺は一人の男として、貴様の願いを請け負おう。ただし」

 少年の目が、一瞬輝く。だが、続きの気配に再び曇った。それに気付いてか気付かずか、ガノンは言葉を続けた。

「少年、貴様も命を賭けろ。俺に付いて来るがいい」

#5へ続く

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