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私が目指す本当の健康とは?「依存から自立への旅立ち」 vol.2

「土台を作ろう、自分を磨こう!」と決めた途端、業績が低迷中の営業所長に任命。 まずは営業所を日本一にするぞ!と決めた「社長への道」への第一歩が始まりました。

掃除と日本一

北陸3県をエリアとする金沢営業所は、
女性事務2名、男性営業3名、所長の私の合計6名の小さな営業所でした。
業務用食品メーカーなので、
販売先は食品問屋で、問屋の営業と協力して販売するスタイルです。

それなりのシェアはあったのですが、観光地でもあり、
他社との競争も激化していたため、なかなか簡単にはいかない状況でした。
業績も悪く、昨年比を割っている状態で、
全国的にも他の事業所よりも悪い状態でした。

スタッフも今ひとつ元気が無く、目標達成も諦めが強い感じでした。
このままではいけない!
前向きにしよう!
雰囲気を変えよう!
そこで、あることを始めました。

掃除です!

掃除をすることから始めました。
ただでさえ古い事務所で、皆の気持ちが淀みを産み、雰囲気もとても暗く感じていました。

朝一から全員で掃除・整頓タイム!
とにかくピカピカに磨く。

すると、空気感・雰囲気が変わって来ました。
そして事あるごとに私が
「金沢営業所を日本一にするよ!」と宣言しました。

少しずつ輝きが出て来ました。

弱点克服!

次に、物流システムを見直しました。
北陸は、東京からも名古屋からも離れていたため、注文してから問屋に届くまでの納品に時間がかかり、チャンスロスがありました。

観光地なのでシーズンや天候の影響をもろに受けてしまうので、
リードタイムを短くする必要がありました。

タイミング良く、前の営業所が金沢に拠点を作る事になり、
相談すると、格安でデポ機能を作る事ができることがわかりました。
すぐに本社に掛け合い、収支計画書を提案し、OKを取り付けました。
3ヶ月後にオープンし、画期的なスピードでデポが完成しました。

これで、急な対応が出来ます。
問屋さんからもとでも喜ばれました。
スタッフも売り上げが上がり、
お客様に喜んでいただけたことで、笑顔が出てきました。

そして、もう一つ!
金沢営業所の一番の弱点であった、外食ルートへの進出を決めました。

北陸の外食のNo.1にアタックしよう!
そう決めて見ると、有名なラーメンチェーンがありました。
地元では知らない人はいないくらい、
そして東京や名古屋、タイやベトナムにも出店しています。

「ここだ!」
すると、親会社の商社との繋がりがあり、そのご縁から商品部長を紹介していただけました。
が、この部長が個性が強く、新参者には冷たく当たります。
最初は、なかなか相手にされませんでしたが、毎回何かしらネタを持って会いに行きました。

ピンチはチャンス!

そんな時、米騒動が起きました。
日本のお米が底をつき、外国から輸入したお米でまかなうという事態です。
米不足の問題が起きたことで、チャンスが訪れました。

『平成の米騒動』1993年に低温・日照不足により深刻な米不足になりました。

ラーメンにはチャーハンが付きもので、そのチャーハンは冷凍品を使っていました。
「チャーハンのお米の質が変わるので、見直したい」
と商品部長から話が来ました。

チャンス!

お米とチャーハンの製造ラインを持っているメーカーは無いか?
と、探しました。すると、現れるのですね、思いは叶う
熊本のJA関連の会社が両方とも持っていて、ラインも空いているとのこと。

すぐに連絡を取り、もらったレシピで試作品を作ってもらいました。
これが土俵に乗り、工場に何度も出向き、遂に完成となりました。
これは、大きな売り上げにつながりました。

最初にお話しした、金沢デポとこのチャーハンで
金沢営業所は一気に人口比シェアNo.1となったのです。
就任3年目の事です。

この時は本当に嬉しくて、営業所全員で達成打ち上げ食事会を開きました。
一生の思い出です。

この業績が認められ、私は東京本社に転勤となるのです。
ここでも試練が待っていました。
それは、次の回でお話しします。