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今日も息子は靴を履いた

昨日から、新学期が始まった。

前日が高校入学式だった長男は、こないだまで何度起こしても起きず、ほぼ毎朝、私をお抱え運転手として使っていた前年度とは打って変わって、一度声を掛けただけでシャキーンと起きた。

そして今までは、三男が家を出る頃にフルグラをかき込んでいた生活から逆転し、「にぃちゃん、行ってらっしゃーい!」とパジャマ姿のまま手を振る三男に、「行ってきます」と朝の光より眩しい笑顔を見せて、颯爽と自転車にまたがって駅に向かって行った。

「はぁ、ドキドキする〜」

長男を見送った後、三男は落ち着きなく部屋の中を動き回った。

「お母さんは、ぼくが何組だと思う?」

「1年生の時は4組、2年生は3組だったから、、2組かな」

「そーかなぁ。そうだったらおもしろいね!」

去年は始業式がなく、学校から自宅のポストに投函された手紙一式を見てクラスを知った。自分のクラスを自分で確認するという始業式のイベントは、三男にとっては初めての経験で、数日前からずっと「何組かなぁ」とソワソワしていた。

私はクラスより担任の先生の方が断然気になるのだが、三男が「だれと一緒かなぁ」と楽しそうなので「友達がたくさんいるといいね」と言う。

「さぁ、時間だよ」

登校時間になると、待ってましたとばかりにピョンと立ち上がり、「行ってきます!!」とランドセルを背負って元気に飛び出して行く。そんな三男の背中に「気をつけてよ!!」と叫ぶと、返事の代わりにドアがバタンと閉まった。

そうして玄関に静寂が訪れると、私は2階に続く階段を見上げた。

さて、残るは、、

二男だ。

ちゃんと起きるだろうか、、

在校生は同日行われる入学式が終わってからの登校となっていた為、10時までに中学校へ行く。8時半に起きると言ってはいたが、果たしてちゃんと起きてくるだろうかと不安だった。



先月から、練習試合やバスケ部内でのゲームにもストレスを感じるようになった二男は、平日の授業後のみしか部活に行かなくなった。

その為、部活に行くという習慣がなくなった春休みの大半は家で過ごし、靴を履いて出掛けたのは3回だけだった。その3回も遊びに行ったのは一日だけで、あとの2回は散髪と自転車の買い替えという必要に迫られたもので、時間も一時間程度で終わるとすぐに家に帰ってきた。

あのドアが開かなくなる日が来るんじゃないか。

階段を上がってすぐにある二男の部屋のドアを見て思う。それは休校中も、年末年始の休み中も頭の隅を掠めていた。それでも、お腹が減ったら降りてくるし、学校が始まれば普通に登校する二男を見て、毎回心配し過ぎだったなと思っていた。

でも、今回は、、

不安だった。泣きながらもうバスケが無理だと言った二男が、今度は学校が無理だと言うんじゃないかと怖かった。



春休み前、夫と私と受験が終わった長男の3人で家族会議を行った。

できるだけ、二男の相手をしよう。

部活に行かず部屋に引きこもる日々が続けば、色んな面でこれから無気力になるかも知れない。外に積極的に出るのは難しくても、とりあえず部屋にこもる時間を減らしたい。その為に、意識してこっちから声を掛けていこうと話し合った。

まだ子供と大人の狭間にいる二男は、自分からは行動しないが、聞けば素直に答えるし、誘えば一緒に作業もする。春休みの間、長男はゲームに誘ったり、夫はパソコンの使い方を教えたり、私は一緒にパズルをして過ごした。

とにかく、二男と話そう。

些細なことでいいのだ。会話があればいい。今日は桜が綺麗だったよとか、明日の夕飯は何が食べたい?とか、変なお客さんがきて大変だったんだよねとか。

そうやって、すぐに忘れてしまう位どうでもいいことを毎日喋っていた。



8時25分。予定より5分早く二男は起きた。

普通に朝食を食べ、普通に顔を洗って髪を整え、普通に制服に着替えて、抑揚のない声で「行ってきます」と言って出て行った。

なんだ、、

あっさりと学校へ行った二男に、やっぱり心配しすぎだったんだと思った。

でも、良かった、、

心配しすぎたと思いながらも、普通に学校へ行った二男に心底ほっとした。



長男の入学式で、校長先生だったかPTA会長だったかが、挨拶の中で言っていた。

「思春期の子供たちはいろいろ悩みますからね。それは10年、15年経てばなんてことないんですが、今はその悩む気持ちを大事にしてあげて下さい」

それを聞いて、『あぁこれは親にも当てはまるな』と思った。

子供が悩むように、親も悩む。

子供のことを想うほど、その気持ちは強くなる。

でも、後になればなんてことないのだろう。いづれ、あの時はこうだったよねと、笑い話になる日が来るんだろうと思う。


それでも、悩んでいる今は大事なんだな。


これからも私は心配するし悩むだろう。本当はドーンと構えていられる親になれればいいのだが、多分この心配性は一生治らない。

だから、この気持ちを大事にしたい。


昨日、二男は靴を履いて学校へ行った。そして今日も玄関に靴はない。そんな普通のことが嬉しく感じる今を、大切にしようと思った。



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