きっと私は卒アルを見て涙する
いつもより少し早めに夕食を作り終え、ソファにゴロンと横になってスマホを弄っていると電話が鳴った。
私はまたセールスだろうかと溜め息を吐く。どこから番号が漏れているのか、子供達が中学・高校と進むにつれて、某有名大学の学生から『家庭教師』の売り込み電話がかかってくるようになった。普通のセールスなら「必要ありません!」と強気で断るのに、相手が学生だと突っぱねるのも可哀想で「ごめんね、塾に通ってるから」と優しく断ってしまう。そのせいか、度々電話がかかってくるのだ。
ゆっくり立ち上がってディスプレイを確認すると、そこには『中学校』と表示された文字が見えた。
「中学校?」
次男が何かしたのだろうか?さっき帰ってきた様子はいつもと変わらなかったけれど…
胸騒ぎを抑えながら慌てて受話器を取ると、電話は次男が在籍しているバスケ部の顧問の先生からだった。
「お忙しいところ、すみません。バスケ部顧問の〇〇です」
「はい、お世話になっております」
「次男君から聞かれているかもしれませんが、卒業アルバムの撮影についてお伺いしたいことがありまして…」
その一言を聞いて、私は心の中で『そうだよな』と呟いた。
*
中3次男はもう長い間、部活に参加していない。
それは中学校生活が全国一斉休校によってスタートから挫かれ、例年より遅く入部した部活の大会や練習試合が軒並み中止となり、あらゆる制限によって練習内容が通常とは異なっていた環境が大きく影響していると思う。
二度目の緊急事態宣言がようやく解除となり、これから試合もできると周りが歓喜に溢れていた中1の3月。彼は夜中に私の部屋のドアをノックして、「バスケが無理なんだよね…」と涙を流しながら胸の内を打ち明けた。
「試合に出る自信がない…」
その時、すでに2件の練習試合が決まっていた。しかしずっと禁止されていた対面練習が再開され、しかも試合が続々と決まった状況に、彼の心は追いついていなかった。
「ボールを持つのが怖い。すぐパスする自分が嫌い」
そう言ってボロボロと泣いた。
もともと人と競い合うのが得意ではない子だ。それでも小学校から同じバスケ部の友達と一緒に頑張っていこうという気持ちがあったと思う。
しかし、身体がぐんぐん成長していく同級生と比べて次男の成長は遅かった。基礎体力作りやシュート練習では気にならなかった体格差も、対面練習が始まったコート内での違いは明らかだっただろう。
私は、次男に「頑張れ」とは言えなかった。
一人で考えて考えて、どうしようもなくなって助けを求めてきのだ。言葉を詰まらせながら、ぐちゃぐちゃな感情のまま、でも必死で伝えてきたのだ。
そんな彼に、たとえ愛情であっても突き放すことなどできなかった。
結局、基礎中心の平日練習のみ参加すると決めたものの、その約束も徐々に破られていき、去年の秋頃からは全く部活に参加しなくなった。
*
「次男君にアルバム撮影どうする?と聞いたところ、『別にいいです』と言われまして。ご両親とも話し合ってねとは伝えたのですが、参加はどうされますか?」
もう一度、『そうだよな』と心の中で呟く。
部活に参加していないのだから、本来なら退部すべきところを在籍させてもらっている。当然、写真撮影に参加させるかどうか先生も悩まれただろう。
「次男から話は聞いていませんでしたが、本人の言う通り不参加でお願いします。ご迷惑をお掛けしてすみません」
「よろしかったですか?話し合いをされなくても」
「ええ、大丈夫です。在籍させて頂いていること自体、申し訳なく思っていますから」
先生は「そうですか。分かりました」と言って電話を切った。残念なような、ホッとしたような声だった。
私は受話器をそっと戻して、再びソファに身体を埋めた。
これでよかったのだろうか?
自分に問う。
アルバム撮影に参加しないことではない。それは当然だと思っている。
ただ、どこかのタイミングで部活に戻れる瞬間があったのではないのか、その瞬間を私は逃してしまったのではないか。
そう自分に問う。
中1の次男が夜中に私の部屋にきてボロボロ泣くより前に、私は彼のサインに気付いていた。表情から態度から、きっと限界が来るだろうと思っていた。
それなのに、踏み込まなかった。
『見守る』といえば聞こえはいいかもしれない。でも実際は踏み込むのが怖かっただけだ。日常が変わることに対する勇気が持てなかっただけだ。
次男が部活に行かなくなって、それがいつからか普通になった。
本人は後悔していないと思う。
アルバムに写真が残らなくても気にしないと思う。
でも、私はどうだ?
写真が残らないことではない。
親としてこの問題に正面から向き合ったのだろうか、きちんと言葉にして伝えたのだろうか。
何度も自分に問う。
*
受験生となった次男は、今、前を向いて歩いている。今週行われている期末テストでは「平均でこれ以上は取りたい」と目標を掲げて頑張っている。
身長もぐんと伸び、体重はまだ私より軽いけれど、笑顔や会話も増えた。
あの頃の、自信を失っていた彼はもういない。
そんな次男を間近で見ながら、『向き合わなかった』と吐露するのは違うのかもしれない。でもやっぱり『向き合えばよかった』という思いは拭えない。
面倒くさい人間だ。
私はとてつもなく面倒くさい人間で、とてつもなく不器用な親だ。
だからきっと出来上がった卒業アルバムを見て涙する。戻れた瞬間があったのではないかと後悔する。
そんなこと次男は望んでいないのに。
それを私は分かっているのに。
「別にいいです」
先生にそう答えた次男の方が、よっぽど大人だなと苦笑する。
私はこらからも『向き合えばよかった』『言葉にして伝えればよかった』と後悔する面倒くさい人間だと思う。
子供が幾つになっても不完全なままで、せめて子供と一緒に成長できればいいのに、同じことを繰り返す不器用な親だと思う。
それでも。
それでも成長していきたい。
後悔や反省をしながらでも、子供たちの側で少しずつ成長していける親でありたいと思う。
成長することを諦めない親でいたいと思う。
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