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久しぶりに電車に乗ったら、時代の変化を痛感した話

先日、三男と電車に乗った。

2人で電車に乗るなんていつ振りだろうと考えながら切符を購入し、『小』と印刷されたものを三男に渡す。

「さぁ、行こうか」

切符を通して後ろを振り返ると、三男が改札前で立ち止まっている。

「どうしたの?おいで」

手招きをして呼ぶ。しかし、三男は渡された切符をじっと見てから顔を上げ、私に向かって聞いた。

「これ、どうするの?」

「えっ?」

それ、改札に通すんですが。

「そこに入れたらいいよ」

「どこ?」

そっから!?

私は三男の方に近付き、「そこそこ」と指をさして教える。うんうんと頷きながら三男は切符を入れ、すぐに吐き出された切符と小児通過時に鳴る音に驚きながら、無事に改札を通過した。

「僕、自分の切符初めて持った!」

「そうだっけ?」

「そうだよ。だってお父さんはカードだもん。バン!って叩くやつ」

どんな通過の仕方やねん。壊れるわ。

三男から切符を預かって、ホームへ続く階段を降りた。通勤ラッシュが過ぎたホームは閑散としていて、人の少なさにほっとする。

しばらくして到着した電車に乗り込み、ガラガラの車内で三男と並んで座りながら、私は手の中にある切符を見つめた。

今は、切符を買う人も少ないんだろうな。

用事がない限り、普段電車には乗らない。前回、乗ったのは長男の入学式で、その前はいつだっただろうか。ICカードも持っておらず、いまだに切符を買うのが普通だと思っている私は、初めて切符を持ったという三男に軽く衝撃を受けていた。

私がついていけていないんだな。

10年ほど前、旅行先のホテルに黒電話が展示してあって、子供達が数字を回すのではなく、一生懸命押していたことを思い出した。

あの時は、『そりゃそうだよね。もう黒電話なんてないもんね』などと笑っていたが、今回は逆だ。ICカードの存在が普通の三男にとっては、母が切符を買って、さっさと改札を通過したことが不思議だったに違いない。

時代の流れと共に移り変わっていくものはたくさんあって、そうやって世の中はどんどん便利になっていくのだと思う。

この小さな切符も、いずれは無くなってしまうのだろう。それが時代の変化なのだと理解しつつも、私はその変化に自分がついていけていないことを痛感しながら、ガタゴトと揺れる電車に身を任せていた。



降りる駅に到着し、また三男に切符を渡して改札を通過する。

「あれ?切符でてこないよ」

右手を宙に浮かしたまま、不思議そうな顔をしている三男に、なんだか適当な事を言ってみたくなった。

「食べちゃったんだよ」

「えー?どういう事??嘘でしょ、お母さん!!」

駆け寄ってくる三男にフフッと笑いながら、私達は改札を後にした。




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