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先生に教えてもらったこと

「先生、違う小学校に行っちゃうんだって」

4月に入ってすぐ、三男が寂しそうに報告してくれた。

「そっか、残念やね」

「うん…」

4年生の時に担任だった先生が他校へ移動となった。我が家は新聞をとっていないので3月末の発表を知らず、三男は部活でその事を友達から聞いて、表情を曇らせて帰ってきた。

「行ってほしくなかった」

「そうだね」

バスケ選手になるのが夢だったという先生は、背も高くスポーツ万能、細身のスーツをパリッと着こなして真顔で冗談を言い、子供達を盛り上げるのも上手な30代半ばの男性で、ミニバスのクラブチームに入っている三男の憧れの存在だった。

家庭の話もよくされていたので、「先生のね、子供がね」と教えてくれることもあり、先生でありながら近所のパパさんのような感覚で懐いている三男に、私も『バスケも教えてくれるし、良い先生だな』と安心していた。



2年生の終わりに書字障害と診断された三男は、以前よりついていけるようになったものの、やはり学習能力は他の子に比べて遅れている。テストの点数はのび太君よりはマシだけど多分ジャイアンくらいだし、成績表には常に『C』が並ぶ。それでも持ち前の明るさで、毎日楽しく学校に通っているし友達も多い。

私の心配をよそに、太陽のような笑顔で毎日の出来事を話す三男に、長男・次男にはない魅力を燦々と感じるし、助けてくれる友達には日々感謝しかない。

そして先生もいつも気にかけてくれていた。前の方の席でサポートをしつつも、他の生徒と同じように採点をし、三男の『できること』と『できないこと』をはっきりさせて、本人が自分で考えるように促してくれていた。

採点を大目に見てもらっていた3年生の頃とは違って、最初は厳しいと感じていた三男も、次第に自分の『気をつけること』に意識が向くようになり、問題をしっかり読む、字をゆっくり書く、という基本的な作業の大切さを理解するようになって、私がつきっきりで教えていた通信教育も、一人で取り組む日が増えていった。

そんな三男に私の心の負担は随分と軽くなっていたが、やはりこの子の将来を考えると不安は尽きない。昨年度はちょうど次男の受験真っ只中だったこともあり、高校一覧表を見ながら、三男が通える高校はあるのだろうか…と溜め息を漏らすことも少なくなかった。


しかし2学期の個人懇談で、私は先生から大切なことを教えてもらった。

いつもの流れで、学習について、教室での様子についての話があり、「何か気になることはありますか?」と聞かれた時、私は「彫刻刀の扱いは大丈夫でしょうか?他の子に怪我をさせないか心配で」と言った。

字が上手く書けない三男は、そもそも手先が不器用だ。低学年の頃から図工が苦手で、今だに折り紙も碌に折れない。力の入れ具合が分からず、ハサミを持てばTシャツまで切ってくる三男が彫刻刀なんて危険すぎやしないかと、私は心配で仕方なかった。

「はい、大丈夫ですよ。彫刻刀を使う日は補助の先生もいますし、みんな軍手をして机も離していますから。あと三男君の席は窓際の一番前なので他の子との接触もよっぽどないと思います」

三男は左利きだ。窓際の一番前の席ということは、かなり要注意人物扱いであることは間違いないが、それぐらいの方がいい。

「ありがとうございます。本当に不器用な子なので」

ホッとしてお礼を言うと、先生は少し首を傾げて「でも、不思議なんですよね」と言った。

「三男君はとてもバスケが上手です。ドリブルも強くつけますし、シュートフォームも綺麗で、しっかりとゴールを捉えています」

その時期の体育授業はバスケだった。私は彫刻刀から急にバスケの話になったことに戸惑いながらも続きを待った。

「これは僕の経験上なんですけど、本当に手先が不器用な子はバスケもできません。でも彼はボールを上手に操ります。だから三男君は不器用じゃないと思うんです。ただ興味がないだけで、経験を積めばきっとたくさんのことができるようになると思います。ちなみに小さい時に本は読まれましたか?」

「本は保育園の時から全く興味を持たなくて。字と絵の区別すらついていなかったみたいです。私がもっと読んであげればよかったのでしょうが…すみません」

「いえ、お母さんは悪くありません。きっと三男君は他の子より興味のムラが激しいのだと思います。興味がないことはやりたくないのが子供です。でもバスケのことは、僕にもよく質問をしてくれます」

「ええ、うちでも先生に教えてもらったと言っています」

「彼は今、読み書きが苦手かもしれません。これは例えばですけど、このままバスケが好きで強い学校に行きたいと思った時、その高校に入る学習能力が必要になります。バスケと勉強がつながる訳です。どうして勉強が必要なのかを理解したら、三男君の興味はぐっとそちらに向く可能性があると僕は思います」

私はポカンと口を開けた。
今までそんな風に考えたことがなかったからだ。

三男はクラブチームでバスケを頑張っているものの、強豪校に推薦でいけるほどの実力や体格があるかといえば、多分難しい。それでも部活として続けていくのなら、私は偏差値から高校を選ぶしかないと思っていた。

でも、違う。

三男が偏差値ではなく、『バスケが強い高校』を選んでもいい。それには勉強を相当頑張らなくてはならないが、バスケが好きであれば乗り越えられるかもしれない。そう先生は教えてくれた。

「最初から諦めなくてもいいんですね」

「そうです。諦めなくていいんです」

そう言って先生はにっこりと笑った。



「でもさ、また大会で会えるよ」

審判の資格を持っている先生は、小・中学生の大会に審判として参加されている。学校が変わっただけで遠い場所に行った訳ではなく、バスケを続けていれば必ず会える。

「そっか!会えるよね!」

三男の顔がパッと明るくなった。

「会えるよ」

だから頑張ろう。バスケも勉強も。
いつだって先生は見守ってくれているから。

「じゃあ、シュート練習してくるね!」

靴を履いた三男はボールを持って庭に飛び出した。陽の光を受けながら、ゴールに向かってボールを放つ横顔は少し大人びて見えて、またひとつ成長したのだと思った。




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