反省「しない」のではなく「できない」非行少年
ケーキを3等分に切れない非行少年たち
私はこの本の帯を見て衝撃を受けました。
「本気で書いた図?」
「非行少年に何が起きている?」
犯罪に関する本はめったに読まない私ですが、あまりに気になったのでページを開いてみることにしました。
そこに書かれていたのは非行少年の知られざる実態
みなさん、非行少年にどんなイメージをお持ちでしょうか?
私は次のようなイメージを持っていました。
しかし実態はこれとはかけ離れていました。
ケーキを3等分にできない少年たち。
彼らは、そもそも知的障害に近い状況、いわゆる「境界知能」の少年たちだったのです。
支援を受けられない「境界知能」の子どもたち
みなさんは上記についてご存じでしたか?
おそらく多くの方は、
「ADHDと知的障害はわかる。ただしIQ70という基準までは知らなかった。」
という感じではないかと思います。私もそうでした。
ADHDまたは知的障害と診断されれば、支援が必要であるということはまわりの大人たちも理解します。
一方、境界知能の子どもはIQ70以上であるため、支援の輪から外されてしまうのです。
「IQ70」という基準は誰が決めた?
そもそも知的障害の基準はなぜIQ70未満なのでしょうか?
本来、支援の必要性などを基準に障害のレベルを決めると思いますよね。
しかし、知的障害の基準はもっと政治的な判断により操作されていたのです
。
現在の「IQ70未満」という基準は、1970年代以降のものです。
1950年代の一時期は「IQ85未満」でした。
この基準だと全体の16%が知的障害に該当することになります。
それでは人数が多すぎる、支援現場の実態に合わない、などの理由から基準は「IQ85未満」から「IQ70未満」に変更されました。
こうすることで知的障害の割合は16%から2%へと大幅に減少することになります。
無論、障害の症状は何一つ変わっていませんが…。
普通に生活するにはIQ100はないと厳しいと言われていますから、境界知能でも日常生活を送るのは厳しいと言えます。
知能検査だけで判断する危うさ
作者は知的障害について、知能検査だけでは判断できないと主張しています。たしかに人間の知能を表現するのが一つの数字だけ、というのはあまりに乱暴な気がします。
また、知能検査の結果「知的には問題ない」と診断されることで、支援の対象から外されてしまうという、本来の目的とは逆の効果を発生させる可能性すらあります。
IQが高いが融通が利かない、IQは低いが要領がいい、など一人ひとりの特徴を見逃してはいけないのです。
境界知能の少年がたどる道
必要な支援を受けられない彼らがたどる道は、次のようなものです。
対人関係が苦手
勉強ができない
スポーツができない
じっと座れず注意ばかりうける
⇩
障害に気づいてもらえない
正しい支援を受けられない
⇩
多くの挫折
いじめの被害
⇩
過度なストレス
⇩
非行(計画力が低いため、後先を考えずに犯行に及んでしまう)
⇩
少年院へ
⇩
反省を強いられる
⇩
「見る力」「聞く力」などの根本的な認知機能が低いため、自分のしたことを理解できない。
本当は反省していない(できない)のに、叱られるのを恐れて「反省したふり」をする。
反省以前の子どもたち
少年院に来た感想を問われ「まあまあ」「楽しい」と答える少年。
人を殺したにも関わらず「自分はやさしい」と本気で答える少年。
自分が置かれた状況や犯した罪について理解できていない人が、反省をするというのは、非常に困難なことです。
非行少年たちは反省「しない」のではなく、「できない」。
これは私にとって衝撃的な事実でした。
「反省したふり」は再犯に繋がりますし、何より被害者が報われません。
反省を強いる前に、「見る力」「聞く力」などの根本的な認知機能を底上げする必要性があるのです。
私たちにできること
認知機能を底上げするためには、トレーニングが必要です。
トレーニングというと、人的負担や経済的負担が気になるところ。
しかし、作者は「1日5分」で「お金をかけずに」できると語っています。
認知機能のトレーニングは誰でもすぐに取り組めるのです。
トレーニングの具体的な内容についてはここでは割愛しますが、詳細が気になる方はぜひ「コグトレ」と検索してみてください。
点と点を結ぶ、同じ図形を選ぶ、などの多くのトレーニングが紹介されています。
非行少年は「自分と無関係」ではない
知的障害や境界知能、非行少年と関わりがない、という方も多くいると思います。私もその一人。
しかしだからと言って、この問題が自分とは無関係かと言うとそうではありません。
私がそう感じた理由は、次の2点です。
一つは、犯罪者の問題は国力の問題にも繋がっているということ。
「犯罪者を納税者に」
これは本書の目的の一つです。
刑務所の費用、本来なら本人が納めることができた税金など、損害額は年間5,000億円はくだらないとのこと。
犯罪と経済を関連付けて考えたことがありませんでしたが、国力の問題は国民一人ひとりと関わってくる問題と言えます。
もう一つは、事件の背景には社会全体で解決すべき問題が隠れているということです。
もしこの本を読んでいなければ、私は反省しない少年に対して「なんてひどい人間だ!」と思って終わっていたことでしょう。
しかし、今では「反省しないのではなくできない。そのため、認知機能がトレーニングが必要」という、原因と対策がわかりました。
このように事実の「背景」に関心を寄せること、そしてその原因と対策について考える、ということは、非行少年に対してだけではなく、世の中で起きている様々な問題に対しても必要な視点です。
たとえば「介護士が入居者を虐待した」というニュースを聞くと「この介護士はなんてひどい人間だ」と思うかもしれません。加害者個人の責任にしてしまえば、議論はそこで終わってしまいます。
しかし、介護という過酷な現場で、介護士の労働環境は適切だったのでしょうか?悩みを相談できる人はいたのでしょうか?
介護をしていると、入居者から暴行やセクハラを受けることもあります。
本来なら犯罪になるようなことも「介護」という名のもと、見過ごされている側面もあります。
入居者から暴行を受けていた介護士が耐えきれなくなって犯行に及んだとしたら、それはその介護士個人の責任と言い切れるのでしょうか?
ニュースは「わかりやすい悪者」を作り上げて、視聴者の怒りを引き出すのが得意です。そして加害者個人の責任にして終わってしまう。
だからこそ、一人ひとりが「作り上げられた悪者」の背景について知り、原因と対策まで踏み込んで考えなければ、根本的な問題の解決にはつながらないのです。
最後に・・・
この本は、教育関係者、子どもの認知機能に悩む家族はもちろんのこと、これまで犯罪について考えたことがない方にもぜひ一読していただきたいです。
みんなが気付かないところで傷つき、もがいている人が大勢いることを知っていただけるのではないかと思います。
最後に、私が印象的だった箇所を引用して終わりにさせていただきます。
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