ワインはどこまで「高く」できるのか

高額ワインが話題です。

とはいってもワインの価格は一部で天井知らず。販売価格がボトル1本で数百万円を軽く超える、なんていうのも珍しくありません。そうした事例を考えればボトル価格が数万円、なんていうのは大した部類に入りません。むしろそんな価格で買えるのであれば良心的!という評価が平然と下されるのもこの界隈では「よくある光景」です。

とはいってもそんなに高額になるのはやはり一部のものだけに限った話。日常的に飲むワインに毎回毎回、数万円ものお金を払い続けることができる人はそう多くありません。
世の中には数千円どころか、数百円で買えるワインさえごろごろしています。しかも、そうしたワインが意外にも美味しかったりします。そうなると疑問に思うわけです。

なんで、このワインこんなに高い(安い)の?

高いワインには高いなりの、安いワインには安いなりの理由があります。
数千円の原価をかけて造ったワインが数百円で売られることはありません。仮に原価が数万円かかっていれば、そのワインの価格は数万円から始まります。

ただものには限度があるように、ワインの原価にも限度があります。1本のワインを造るのに数百万円も原価がかかることはありません。
お話としては

「この1本のワインを造るために一からすべてを見直して、数千万円の投資をした。そうして造り上げたのがこの1本だ」

なんてセリフが出てくるかもしれません。
でも、それは比喩です。1本造って「はい、おしまい」。なんてなりません。その1本はスタートで、そこから減価償却が始まり、ゆくゆくは利益の確保が始まります。その時には「この1本」は「この1万本」くらいになっているかもしれません。その時の原価はボトル1本で数千円です。

安いワインを造る方法、というのは実はよく話題に上がります。時代は良コスパ。誰もがお得によりいいものを手にできることを望んでいます。
でも、ワインを「どこまで高くできるのか」という話題はあまり見かけません。売る側は自分たちの商品を1円でも高く売りたいので、販売価格を上げるための試みはいろいろされています。

でもそうではなくて、「これをしてるからこれ以下の価格では売れない」という話を聞いてみたい。そんな要望があるんじゃないかという気がふとしました。というか、自分自身が知りたい。そこで、ここにまとめてみることにしました。

「ワインはどこまで「高く」できるのか」。ぜひお付き合いください。

自己紹介が遅くなりましたが、私、ドイツでワインを造っている現役の醸造家です。現在は所属するワイナリーの醸造責任者を務めつつ、所有する18haのブドウ畑でのブドウ栽培も担当しています。自分で(原料であるブドウを)育てて自分でワインにする、という立場です。
ですので、少なくとも自分の所属しているワイナリーでのコスト構造は大体、知っています。もちろんその内容をここで大々的に公表することはできないですが、それを指標にワインを高くする方法を考えていくことはできます。ですので、ここに書かれていることは大概、ドイツでの事例を念頭に置いているものだ、と思いつつ読んでください。

閑話休題

ワインを「高く」する方法はいろいろあります。
例えば巨額のマーケティング費や宣伝広告費を突っ込む、利益率をきわめて大きく確保する、なんてことをすればワインのボトル価格はうなぎ上りです。また世界的な栽培、醸造コンサルタントを雇い入れ、その人物に莫大な報酬を支払う、なんてことをしてもやはりボトルの販売価格は高くなります。

この記事ではこうした部分には目を向けません。一般的な範囲で「普通に」ブドウを栽培し、ワインを造ったらどこまでワインの「原価」が高くなるのか、それに伴ってワインのボトル価格が「高くなる」のかを見ていきたいと思います。つまり特殊で過剰な変動費は無視する、ということです。
この意味で、この記事の内容が世界の高価格ワインの価格が高い理由を説明しているわけではない点に注意してください。

さて、製造業において製品原価を押し上げる大きな理由の1つは「原料価格」です。ワインの場合は「ブドウの価格」です。つまりワイン価格を高くしたいのであれば、まずはブドウの原価を高くすればいい、ということです。

ブドウの原価を高くする方法。いくつか思いつきますが、簡単なのは「収量制限」です。
1本のブドウの樹から収穫できるブドウの量(収量)を少なくすることで畑の運営にかかわる費用を分散する母数を小さくして原価を高くする、という考え方です。

通常、ワイン用にブドウを栽培している場合の収穫量は次のような式で計算できます。ちなみに慣例的にブドウの収穫量は面積 (ha: ヘクタール)当たりの重量(kg)で表されます。

枝1本あたりの果房の数 x ブドウの樹1本あたりの枝の数 x 面積当たりの植樹本数

ブドウの枝1本あたりにできる果房の数はどんな品種であっても2~3房が一般的です。またブドウの樹1本あたりの枝の数は栽培方法によっても異なりますが、一般的な垣根仕立てと呼ばれる栽培方法では6~8本です。続いて面積1ヘクタール当たりの栽培本数も国や地域によって異なりますが、4,000本~10,000本です。

つまり上記の数式に基づいて計算してみると、1ヘクタール当たりのブドウの収穫量は

3 x 8 x 10,000 = 240,000 房
2 x 6 x 4,000 = 48,000 房

の間にある、ということになります。
ブドウの1房あたりの重量はブドウの品種や、クローンと呼ばれる同じ品種の中での種類の違いに大きく左右されますが、ここでは便宜上、300gと仮定します。そうすると1ヘクタールでの収量では14,400 kg ~ 72,000 kgと計算できます。

この重さはブドウのヘタや果皮、種などすべてを含んだ重さです。ワインになるときにはそうした固形分はすべて取りさらわれます。収穫されたブドウから得られるワインの量はおおよそブドウの重さの78%です。

つまり上記の収量から得られるワインの量は、11,232 L ~ 56,160 Lということです。これをボトルの本数になおすと、14,976本 ~ 74,880本 (0.75リットル/本にて換算) となります。通常のブドウ栽培でかかる面積当たりの経費はこの本数で割られるわけです。

ではブドウ栽培で面積当たりどのくらいの経費が掛かるのか、というと、43,000 ユーロ ~ 57,000 ユーロ(人件費込み)です。この金額にはいろいろと細かい条件がつくのですが、ここではそれは無視します。概算として大体これくらい、と思ってください。おそらく通常の畑運営をしていればもう少しコストは下がると思います。
この年間経費を上記の生産本数で割ってボトル1本あたりのコストを計算します。

43,000 / 14,976 = 2.87… € / 本
43,000 / 74,880 = 0.57…
 
57,000 / 14,976 = 3.81…
57,000 / 74,880 = 0.76…

通常の収穫量でブドウを収穫した場合、年間の栽培コストが1本あたりのボトル価格を押し上げる幅は、60 セント ~ 4 ユーロです。日本円に直せば100円弱から500円程度になります。

ちなみに「ブドウの原価」という意味では、

43,000 /  48,000 = 0.90… € / 房
43,000 / 240,000 = 0.18…
 
57,000 /  48,000 = 1.19…
57,000 / 240,000 = 0.24…

となり、1房の原価は20セント弱から1.2ユーロ程度となります。

さて、ではこの原価をどこまで高くできるのかを考えてみます。

単純な話としては面積当たりの収穫量を減らせばいいはずです。つまり、植樹本数を少なくし、ブドウの樹1本あたりの枝の本数を減らし、枝1本あたりの果房の数を減らせばいいことになります。
しかしここで1つ、問題が出てきます。その過程でブドウの品質を下げてしまっては意味がない、ということです。

よくブドウの収穫量を減らせば減らすほど収穫できるブドウの品質が高くなる、と思われることがありますが、そんなことはありません。ある一定の範囲の中であれば確かに収穫量を減らしたほうが収穫されるブドウの品質は高くなりますが、その範囲を超えて減らしてしまうと別の要因が絡んできて逆に品質の低下を招きます。
ブドウの、ひいてはワインの品質を考えるのであれば、何でもかんでも減らせばいい、というわけではないのです。

そこで、ブドウの品質を維持したまま減らせる収穫の量を考えてみます。

まず、面積当たりの栽培本数は固定します。
続いてブドウの樹1本あたりの枝の本数ですが、あまりに減らしすぎてしまうと樹勢が強くなりすぎてしまいブドウの品質が下がります。現実的な範囲で考えると、4 ~ 6 本/樹 程度が妥当なところです。そしてこの時の枝1本につけさせる果房の数ですが、1 ~ 2房で平均2.5房/樹 程度にしてみます。
ちなみにこの2.5房/樹という設定は相当に”攻めた”数字です。おそらくどれだけ有名な造り手の有力な畑でもここまで絞り込むことはそうそうないはずです。

この辺りは収量制限のやり方に関する考え方があり、単純な掛け算で話をしていません。ちょっと理解しにくいかもしれませんが、とりあえずブドウの樹1本あたりから2.5房のブドウを収穫するんだな、と思ってください。

ブドウの収量制限については「ブドウの収量制限 | 具体的な手法と注意点」という記事にまとめています。ご興味ある方はそちらの記事をご覧ください。

さて、ブドウの樹1本あたりから収穫できる果房の量を2.5房まで制限しました。これによって得られる面積当たりの収穫量は、

2.5 房 x 4,000 本 x 0.3 kg = 3,000 kg/ha
2.5 房 x 10,000 本 x 0.3 kg = 7,500 kg/ha

となります。
ここから求められるブドウの原価は2ユーロ弱から6ユーロ弱/房とかなり上がり、収量制限前の5 ~ 10倍となります

43,000 / (2.5 x 4,000) = 4.3 € / 房
43,000 / (2.5 x 10,000) = 1.72
 
57,000 / (2.5 x 4,000) = 5.7
57,000 / (2.5 x 10,000) =
 2.28

ワインになった場合のボトル1本分のコストは7ユーロ強から20ユーロ程度と計算されます。

43,000 / 3,120 = 13.78… € / 本
43,000 / 7,800 = 5.51…
 
57,000 / 3,120 = 18.27…
57,000 / 7,800 = 7.31…

かなりワインの原料価格が上がってきました。この時点でワインの1本あたりの価格はすでに20ユーロに迫っています。日本円になおすと2,500円くらいです。
原料原価だけでこの価格、というのはなかなかに「高い」ワインとして有望なのではないでしょうか。

続きは、次回…?

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