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ワインは酸化で酸っぱくなるのか | ワインあるある

ワインを長いあいだ放置していたら酢になった

こんな話を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。私は子供のころに母親が言ったこの言葉を聞いて、その後、長いことワインビネガーはワインを放置して造っているのだと思い込んでいました。

自分自身がワインを造る立場になってみると、今度は今まであまり意識していなかった話が頻繁に耳に入ってくるようになりました。

ワインが酸化すると酸っぱくなる

酸化という専門家っぽい単語が入ったり、酸っぱくなる、という表現に変わったりしていますが言っていることは最初のものと同じです。ただ、違っていたのは受け取り側の私自身。自分自身がワインを造っていて、酸化したワインというものを良く知るようになると、「そうか、やっぱりワインを置いておくと酢になって酸っぱくなるのか!」とは思えなくなります。

なにしろ世間でいうところの酸化防止剤というものを未添加の状態で、密閉度が完ぺきではない木製の樽に入れて数年寝かせているワインがお酢になることもなく、味を確認してみても酸っぱくないのです。こうした現実の前でいくら「ワインを置いておくとお酢になるんだ、酸っぱくなるんだ」と言われても「はい、そうですね」とは言えません。

でも世間では今でもワインは酸化で酸っぱくなると思われています。なぜなんでしょうか。
それはきっと、「酸化」というものが誤解されているから。

酸化ってなんだろう。今回はそんなお話をしていきます。

酸になるから酸化なのか

突然ですが、日本語という言語はとても便利な言語だと思っています。なにしろ1つの文字それ自体が意味を持っていて、わざわざ細かく説明しなくても数文字でその数倍の文字分くらいの意味を説明してくれます。「化」なんてその典型ではないでしょうか。

「化」とは化けること。ある状態になること。羽化といえば羽がある状態になることですし、老化といえば老いた状態になることです。
この流れでいえば、酸化とは酸の状態になること、です。

酸の状態と言われれば多くの人がイメージするであろうモノが、レモンかお酢です。レモンならクエン酸、お酢は酢酸という、いずれもとても酸っぱい味を伴う「酸」です。そもそも「酸っぱい」という字が「酸」を使っていて、もうこれだけで「酸味」=「酸っぱい味」と言っています。

なので、「ワインが酸化した」と言われれば「ワインが酸になった」と思ってしまうのはある意味で当然の流れです。そして、「酸っぱい味をしている酸になったワインは酸っぱい」のが当然、という流れもまた、当然です。

ここまで書いてきた文章も当然のことを当然だ、と繰り返している内容です。お前、しつこいよ。当然のことを言っているんだから当然なのは当然だろ、と言われてしまいそうです。
そう、こうした流れが「当然」だと思われがちなことがこの問題の本質です。

酸化は酸になることではない

ここで衝撃の事実を告げましょう。

ワインの酸化、の「酸化」は酸になることではありません。

この「酸化」は化学的な反応の名称です。具体的には「対象とする物質が電子を失う反応」を意味しています。クエン酸とか酢酸の「酸」はどこにも関わりません。
つまり、酸化によってワインが酸になることもなければ、酸になって酸っぱくなることもありません。ワインビネガーはワインに酢酸菌という微生物を添加しなければ出来ませんし、ワインをいくら酸化させてもそれだけで酸っぱくなることはないのです。

ああ母よ、あなたがお酢になったと思っていたワインは保管中に微生物汚染されてしまったワインだったのです…

注:
アルコールの分解反応が進むと、最終的に酢酸が作られます。この分解時の反応も酸化反応です。つまりワイン (厳密にはワインに含まれているアルコール) の酸化によってワインが酸っぱくなる可能性が全くない、とは言えません。
ただ私自身はこうした反応によって酸っぱくなったワインに出会ったことはまだありませんので、現実的に起こり得るのかどうかは分かりません

酸化をもう少し詳しく知ろう

酸化とは電子の移動のこと、といわれてもなかなか理解しにくいと思います。なにしろ電子なんてものは目には見えません。しかもこの化学反応はいろいろフクザツです。酸化は電子を失うことですが、この時に大抵は物質同士の結合反応が同時に生じています。この結合反応を化合、なんていいます。

酸化の代表例は、酸素との化合です。

ある物質と酸素が化合、つまり分子的に結合するとき、電子の交換が生じます。この時、酸素はほぼいつでも電子を受け取る側です。酸素と化合する物質は電子をあげてしまうので、その物質単体では電子を失ったことになります。つまり、酸化しています
酸化といえば酸素と化合すること、と認識していらっしゃる方もいると思うのでこの辺り、酸素の例を出すと正直なところ分かりにくいです。そこで、酸素が関わらない酸化の例を見てみます。

例えば銅 (Cu) と亜鉛 (Zn) が化合するとき。化学式は次のように表されます。

Cu²⁺+ Zn → Cu + Zn²⁺

CuとかZnの記号の右肩にある2+というのが電子の数を表現しています。つまりこの式の意味は、銅と亜鉛が化合するときには銅が持っていた電子の2つが亜鉛に移動しますよ、ということです。
酸化とは電子を失うこと、ですので、この場合には銅が酸化されたことになります。

ワインの酸化とはなんなのか

酸化というものがどういうものなのか、何となくお判りいただけたでしょうか。化学は苦手だし、よく分からない。という方でも大丈夫です。少なくとも、ワインの酸化が酸になることじゃなかった、という点をご理解いただければ十分です。
ワインは置いておいてもお酢にはならないのです。ワインビネガーを作りたいときには酢酸菌を入れましょう。(酒税法の扱いなどで個人がやっていいことなのかどうかは知りません。もしやられる時はしっかり調べてから個人の責任でお願いします)

最後の少しだけ、ワイン的なお話をしましょう。

ワインで話題になる酸化の対象は主に、フェノール類とアルコール (エタノール) です。ワインの香りに関する一部の成分もまた、酸化の対象となります。

フェノール類とは赤ワインに色や渋みを持たせている成分です。タンニン、と言われる場合もあります。これらのフェノール類はとても酸化しやすい物質です。
酸化しやすいということは、化合しやすい、ということでもあります。つまりいろいろくっつきやすいということです。細かいことを全部省いて簡単に言うと、いろいろくっついた結果、ワインの色が経年で濃くなったり最終的に枯れた、といわれる薄めの茶褐色になったりしますし、渋みがまろやかになったりします

ワインに含まれているフェノール類の量が多いと、それだけ色が変わったり渋みがまろやかになるまでに時間がかかります。こうした酸化しきるまでの時間を酸化ポテンシャルとか熟成ポテンシャルとか言ったりします。
赤ワインは白ワインよりも多くのフェノール類が含まれていますので、相対的に酸化しきるまでに時間がかかります。赤ワインが白ワインよりも長期間の熟成に向いている、といわれるのはこれが理由です。

アルコールは酸化するとアセトアルデヒドという有害な成分になります。
アセトアルデヒドは低濃度では果実香に似た香りをもっており、その生成はワインの香りにも影響を及ぼします。また独特の刺激性があるため、一度認識すると比較的簡単にワインのなかでの存在が分かるようになります。

アセトアルデヒドはその毒性から飲酒による頭痛の原因になる可能性があります。

酸化防止剤が頭痛の原因というのは本当か | ワインあるある

ワインの香りに影響を与える可能性のある酸化では、カロテノイド(カロチノイド、carotenoid)という成分の酸化もあります。
カロテノイドが酸化するとノルイソプレノイド (Norisorenoid)という物質に変わります。これは特にリースリング(Riesling)というブドウ品種を使ったワインに含まれている物質で、石油のような香りを持つTDN (1,1,6-trimethyl-1,2-dihydronaphthalene: トリメチルジヒドロナフタレン)という物質もノルイソプレノイド類の1つです。

つまり、リースリングの品種特徴香といわれるペトロール香は酸化のもしくは熟成の産物です。

徹底解説 | ぺトロール香

Rieslingに特徴的な香りを考える | モノテルペンとノルイソプレノイド

アセトアルデヒドにしてもノルイソプレノイドにしても少量であればワインの個性を出すものとして好意的に受け入れられることもありますが、量が増えてくると不快臭(オフフレーバーといいます)として忌避されるようになります。一般にオフフレーバーとして認識されるようになると、そのワインは酸化劣化したワインと言われるようになります。

酸化防止剤の役割

ワインの酸化は時としてポジティブにも受け取られますが、ない方がいい場合は少なくありません。そうした時に役立つのが酸化防止剤です。

ワインに酸化防止剤を入れると、どんな成分よりも速く酸化します。なんならすでに酸化してしまっている成分に強引に電子を渡して自分が酸化し直します

つまり酸化防止剤は隙あらばワインの有効成分から電子を奪おうとしている連中に自ら半ば強引に電子を渡してしまうことでそれ以上、別の成分が電子をとられないようにしているのです。
電子を渡された物質はそれで満足してそれ以上を求めませんので、結果としてワインに本来入っていたフェノール類などは酸化せずに済むわけです。

ワイン用の酸化防止剤としてもっとも一般的に使用される二酸化硫黄 (亜硫酸)は自ら電子を渡して犠牲になる役割以外にも、微生物を抑制したり、人体に有害なアセトアルデヒドと結合したりといった役割をいくつも担っています。

二酸化硫黄、正しく理解していますか? 1

少し長くなってしまいましたが、ワインの酸化というものがなんとなくでもお判りいただけたでしょうか?

ワインは酸化してもお酢にはなりませんし、酸っぱくもなりません。

いろいろ書いてはいますが、今日はとりあえず、このことを覚えてお帰りいただければと思います。


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