深夜特急4を読んだ
昨日に引き続き深夜特急を読んだ。
3のインド、ネパール編ではその過酷さに息をのんだものだが、今回はパキスタン、ウズベキスタン、イラン編ということで文化の違いはあれどようやく私たちの生活水準に近づいてきたのを感じ、また違ったおもしろさがあった。
今回はインド人のようななにがなんでも生きるという肉薄した意志を感じさせないゆったりとした面持ちの人々との出会いが多かった気がする。国境からいっしょにバスに乗ったヨーロッパ出身の旅行者たちも含めて。インド人ほど切迫していないが、それでもどこか欠けている彼らの言動は内から身を冷やすような熱狂に包まれていた。
そこには信条という深淵が顔を覗かせているのだろうなと思う。たぶん何が正しいかとかそういうのは関係なくて、生を前提とした無関心の貫徹みたいなものがあるのだ。
今回登場したロッテルダムの若者なんかがそうだ。他人が落とした食べ物を平気で口に運ぶほど困窮しているというのに物乞いに金を与えるというのはどこか狂っている。彼の言動を論理的に分析しようとすればするほど語り得ない闇にぶち当たる。そもそもなぜ旅をしているのかとか色々と疑問点がでてくる。それらの点は直接彼に訊かねば私達では到底辿り着けそうにないが、その意味すらあやしくもある。彼が私たちの望む答えをしてくれるとは到底思えないのだ。
また語り手にもそういう闇があった。同室でふさぎこんでいる白人にぶどうを差し入れしてやるが、いざ彼に助けを求められると自ら手を払いのけ去ってしまうシーンだ。これもやはり当人達でもあるのかわからない”答え”を導き出すことはできないんじゃないかと思う。最初に述べた通り、たぶん何が正しいのかそういうのは関係なくて、生を前提とした無関心の貫徹みたいなのが横たわっているのだ。
ここで、幸せだから、旅をしているからそういった生を前提とした無関心を発揮するのかと私は疑問に思う。もし、それが正しいならその何が私を冷たく熱狂させたのかとも。
いささか難しい疑問だ。なんせヒントのように感じたのはロッテルダムの少年が乗ってきたバスを指さして告げたこの言葉だけなのだ。
「From Youth to Death」 青春発墓場行
幸せな人の無関心は死が濃く匂う周辺に惹きつけられるのかもしれない。
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