文学では就職できない時代に、文学を学んでいる大学生です。 おいしいもの、水族館、ねこ…

文学では就職できない時代に、文学を学んでいる大学生です。 おいしいもの、水族館、ねこ、優しいことば、冬が好きです。 無駄と言われるものを愛していきたい。

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「面白い」を文字で伝える。

高校時代に図書館報を作っていた。 高校生が作る学校図書館の図書館報といっても、 貸し出し回数ランキングとか先生のお勧め本紹介とか、 情報を外から持ってくるものではなく、 本という枠にとらわれず、本に関係することを、 自分の言葉で表現することにこだわりを置いたものだった。 1〜2ヶ月に1回、B4サイズに両面印刷の館報を作るのは大変だったが、 貴重な経験となっている。 と、そんな思い出話はどうでもよくて、 そんな図書館報作りから思い起こされる話を今回はしたい。 図書館報に

    • 2019年・2020年7月18日に。

      普段、ネガティブな感情を抱いても、心がざわついても、 それを表に出さないように意識して過ごしている。 負の感情は、正の感情よりも周囲を巻き込む力が強いから。 自分自身が何よりもそれを知っているから。 でも、今回はどうしても言葉にせずにいられなかった。 この感情を決して忘れてはいけないと思った。 これを読んだ人の心はざわついてしまうかもしれない。 嫌な気持ちになるかもしれない。 でも、何かが届いてほしい。 届くと信じたい。 誰かが亡くなったということを耳にすると、 手

      • オンライン授業が始まって10日ほどが経った。

        オンライン授業が始まって10日ほどが経った。 疲れた。 普段と履修しているコマ数自体は大して変わらないどころか、 少し少ないくらいなのに、疲れ方が桁違いなのだ。 文句ばかりも言っていられないのはわかっている。 でも、こんなに疲れるなんて思ってもいなかったのだ。 オンライン授業の疲れは大きく分けると ・肉体的疲労 ・精神的疲労 ・時間の圧迫感 の3つが思い当たる。 肉体疲労はわかりやすい。 パソコンを長時間見ていることによる目の疲れ。 同じ姿勢をずっと続けているので

        • 自由は制限の中に。

          世間的には一応今日がゴールデンウィーク最終日らしい。 こんなにも解放感のないゴールデンウィークは初めてだ。 休みは仕事や学校が休みの日、つまり職業から解放される日であると思っている。 普段追われている提出物、読まなければいけない文献・参考図書、迫る試験日… それらから解放されるのが休みの日ってものだ。 大学の授業もバイトもない今、私は無職のようなものである。 (少しばかりの勉強はしているのでニートの方が近いかもしれない。) 解放は縛られていないと実現できない。 確かに今

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        「面白い」を文字で伝える。

          理想は幻想と紙一重。

          某バンドのボーカリストがTwitterをやめた。 もともとTwitterに対していろいろ思うところはあったのだろうけれど、 今回の某元アイドルとの半同棲報道が決定的になったのはほぼ間違いないだろう。 人はそれぞれ理想を持っている。 理想は自分だけでなく、他人に対しても抱ける。 特に他人に対する理想は持っている分にはいいが、 次第に幻想になっていくことがある。 あの人はこうあるべきだ。 あの人が〇〇だなんて幻滅した。 あの人はそんなことしてはいけない。 人は時に自分の

          理想は幻想と紙一重。

          心にもソーシャルディスタンスを。

          メンタルは強い方だと思っていた。 感受性に乏しい方だと思っていた。 「全米が涙」みたいな映画を見ても、 「ハンカチ必須」みたいな小説を読んでも、 ほとんど泣かない。 いい話だなとは思っても、 お涙頂戴みたいなのが見え透いていて、 泣くまで至らない。 ニュースやSNSで 「感受性の強い人は意識的に情報を遮断するようにしましょう」 なんて言っていたけれど、他人事だと思っていた。 そう思っていた。 ここ数日なんとなく調子が悪かった。 天気が悪いからかなとか、 運動してな

          心にもソーシャルディスタンスを。

          さよならが苦手だった。

          昔から「さよなら」が苦手だった。 3学期の終業式後に行われる離任式が苦手だった。 「みなさん、今までありがとうございました」 「さよなら」 何度も何度も繰り返される「さよなら」。 教わっていなかった先生でも、あまり見たことのない事務員さんでも、 「さよなら」を言われるたびに、涙が溢れそうになった。 学校では毎日毎日「さよなら」を言っていた。 「起立」 「礼」 「さよなら」 あの「さよなら」が苦にならなかったのは、また明日会えると知っていたからだ。 「さよなら」

          さよならが苦手だった。

          メルカリとAmazonの梱包の話。

          家にいる時間が長いのと、大学の授業がなかなか始まらないのとで、 本をネットでたくさん買っている。 このご時世で外出はできないので、基本的にメルカリとAmazonと Amazonマーケットプレイスを使っているのだが、 昨日たまたまそれぞれで買った本が同時に届いた。 Amazonで買った本は、緩衝材(プチプチ)がついた紙袋にそのまま入っていた。 いつものAmazon梱包である。 Amazonマーケットプレイスで買った本は、 プラスチックの袋にそのまま入っていた。 いつも通り

          メルカリとAmazonの梱包の話。

          Zoom飲み会をしたら、居酒屋の飲み放題が愛おしくなった。

          高校時代の友人2人とZoom飲み会をやってみた。 全員すっぴん眼鏡。 思い出話に花が咲き、 最近の恋愛話なんかしちゃって、 久々に楽しい時間を過ごした。 20時から始めたのに、日付かわって2時まで話していた。 終わった後は少しというか結構疲れていて、 そのまま寝てしまった。 いつもだったら、居酒屋の飲み放題で時間制限があるから、 せいぜい2時間とか、長くて3時間である。 それが6時間も話してたなんて。 人間はちょっと物足りないとか、もう少しほしいとか、 満たされ

          Zoom飲み会をしたら、居酒屋の飲み放題が愛おしくなった。

          人と喋らなくたって大丈夫。

          もともと人と喋ることが苦手だった。 苦手というより、好まなかった。 一緒にいるならまだしも、わざわざ画面を通してまで 喋りたいことなんてそうそうなくて、 LINEもTwitterも連絡手段でしかなくて、 コミュニケーションツールですらなかった。 だってそんなにコミュニケーションしてないもん。 最近の私は、いまいち他人に関心がない。 家にいるようになってから、他人への関心のなさは一気に加速した。 気がついたら丸一日、人と話していないなんてザラである。 でも、人と喋らな

          人と喋らなくたって大丈夫。

          ことばの海を泳ぐように、読む。

          『舟を編む』(三浦しをん著・光文社)の中で、 「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」 という言葉があるように、言葉はその広大さから海に例えられることが多い。 私は専攻柄、小説や詩を読むことが多いが、その読感は水にまつわるものが多い。 心地のよい小説を読んでいるときは、水の中をすいすい泳いでいるように感じる。 心地のよい詩を読んでいるときは、水の中にゆっくりと沈んでいくように感じる。 水の中でも、呼吸は苦しくなく、むしろ体の余計な力が抜けていく。 ときどき差し込む光を水の

          ことばの海を泳ぐように、読む。

          繰り返しの毎日に。

          オリンピックが延期になったくらいから、この日々が信じられていない。 大学も授業開始が遅くなり、バイトもなくなり、 自分の周りに確実に影響が出ているのに、まだ実感がない。 月末の通帳を見たら信じられるのかもしれないけど、それもまだわからない。 この毎日に、辛い思いをしている人はきっと多い。 多かれ少なかれ、みんな悲しかったり苦しかったり、そんな思いを抱えている。 むかし、 「幸せの基準は人によって違います、人の置かれている環境はそれぞれだから」 と話した記憶がある。

          繰り返しの毎日に。

          恋人から友達に戻るなんて幻想でした。

          正直、これを世に出すのはどうだろうと今でも迷っている。 私自身、本名を使わず、TwitterやFacebookと紐づけないことで、 意図的に匿名性を楽しみながらnoteをやっており、 友人や知り合いに個人を特定されることを恐れているからだ。 特に恋愛なんてプライバシーの、アイデンティティのかたまりだ。 少し変わった恋愛をしてた私の場合はなおさらだ。 でも、書かずにはいられないほど、私の心の中に今でも彼は住みついている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          恋人から友達に戻るなんて幻想でした。

          ミルメークと映画館。

          名前は知っていた。 画面の中で見たこともあった。 でも、それだけだった。 とうとうそれは私の目の前に現れた。 未知との遭遇ってやつは、いつでも私をわくわくさせてくれる。 単調な毎日の繰り返しである今ではなおさら。 牛乳をあたためる。 レンジが返事をするまでの1分半の間、鼻歌なんか歌っちゃって、 自分でも自分は今すごく機嫌がいいと思う。 チン。 そっとマグカップを取り出して、湯気をあげる牛乳の匂いをかいだりして、 やっぱり私はご機嫌だ。 そっと袋をあけて、中をの

          ミルメークと映画館。

          1パック385円のいちごから。

          春になり、いちごが安くなってきた。 決して高いものは買えないけれど、1パック300円代になると 「たまにはいいかな」とかごに入れる。 上京してきたばかりのころは、いろんな果物を買っていた。 いちご、りんご、キウイ、バナナ。 親がよく食べさせてくれたものたちばかりだった。 3人兄弟で三等分しなくていいのが、なんだか嬉しかった。 1パックを独り占めできるのが、なんだか嬉しかった。 だが、しばらくして買うのをやめた。 家計簿をつけ始めて、食費がかさんでいることを知った

          1パック385円のいちごから。

          教育の矛盾と、私の葛藤。

          私は大学で教員免許の取得を目指しながら、 某予備校でチューターのアルバイトをしている。 今回の新型コロナウイルスの影響で、教育業界はさまざまな対応を迫られている。 大学生という教育の受け手として、 チューターという(少しばかり)教育を施す側として過ごす中で知った 現在の教育が抱えている矛盾の話を今回はしたい。 教育は公共性を持ち、全員に平等な教育を施す重要性は言うまでもないが、 それは個人の自由につながるからである。 かつて武士の子は武士になり、商人の子は商人になると

          教育の矛盾と、私の葛藤。