「面白い」を文字で伝える。
高校時代に図書館報を作っていた。
高校生が作る学校図書館の図書館報といっても、
貸し出し回数ランキングとか先生のお勧め本紹介とか、
情報を外から持ってくるものではなく、
本という枠にとらわれず、本に関係することを、
自分の言葉で表現することにこだわりを置いたものだった。
1〜2ヶ月に1回、B4サイズに両面印刷の館報を作るのは大変だったが、
貴重な経験となっている。
と、そんな思い出話はどうでもよくて、
そんな図書館報作りから思い起こされる話を今回はしたい。
図書館報に載せる記事を書いていたときに、
司書の先生によく言われていたことがある。
「面白さを伝えるときに、”面白い”と書いてはいけないよ」
では、どうすればいいのか。
せっかくnoteを始めたことだし、少し考えてみたい。
人になにかの面白さを伝えたい場面はいろいろある。
この本が面白かった。
この映画が面白かった。
このゲームが面白かった。
などなど。
面と向かって、相手に面白さを伝えるときは思い切って
「これ、面白いよ」
と言った方がいいと思っている。
「面白い」と口にするときの表情やしぐさが
その面白さを伝える手助けをしてくれるからだ。
それに音声である声はすぐに消えてしまうものだから、
即時に理解できる単純な言葉の方が適しているだろう。
では、面白さを文字で伝えるときはどうだろうか。
「面白い」を文字で書くと3文字。
ひらがなにしても「おもしろい」で5文字。
感情の「面白い」にはいろいろある。
よく言われる話だと、英語のfunnyもinterestingも
どちらも面白いと訳されることからわかるように。
「面白い」の感情は広大であるのに、
「面白い」という字は、その広さを表現するには小さすぎるのである。
だから、先生は「面白さを伝えるときに、”面白い”と書いてはいけないよ」と
言ったのだろう。
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「面白い」に限らず、文字は不完全である。
人の思いは無限であるのに、文字は有限だからだ。
しかし、人は言語化することでしか、その思いに気がつくことができない。
面白いという言葉があるから、面白いと思う。
楽しいという言葉があるから、楽しいと思う。
好きという言葉があるから、好きになる。
しかし、その言葉だけでは、その思いは表現することができない。
だからと言って言語化を諦めてはいけないし、
思いと言葉の有限無限の間で彷徨うのが、
文字を持ってしまった人間の運命、ってものなのかもしれない。
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