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結局は感覚

自分をつくってる成分は自分から生み出されてきたもの。
人に傷付けられたと思っても、
傷付いたと認識しているのは自分。

起こる物事は同じでも
良いと捉えれば良い気持ちになるし
悪いと捉えれば悪い気持ちになる

結局は全て自分自身。

こう在るべき、これが正解

それは頭が出してる選択と答え。

それに対して心は全然違ったりもする。

頭が出す選択と答えの方が
世の中や多くの人に受け入れられやすく
足並み揃えて生きられるとは思う。

でも、心が発してることって
自分しか知らない。
それを見て見ぬふりしたら
自分を無いものにして潰しているのと同じ。

だから苦しくなる。

自分が心地良いと思うことって絶対大切。

心地良い、心地悪いは
頭では出せない部分の感覚的なもの。

違和感があるか、
感覚的にはどう捉えているのか
そういうところに目を向けていると
自分に近付けて、自分の声に従っているから
自分とも仲良しになれる気がする。

私の場合、頭と心の感覚が結構真逆。
だからバランス取らなきゃと思うけど
バランス取るとかではなく、

第一は自分の感覚に従う。
そして、一応世間的な感覚も知っておく

それで良いんじゃないかと思ってきた。

世間的な感覚だけに合わせて
全てが我慢偽りの自分になっていたら
個として生まれてきた意味がない。

自分の「個」を見てあげるのも
育てるのも、大事にしてあげるのも
自分でしかない。
そして守ってあげるのも自分。

自己主張が苦手だし、
誰にもわかってもらえないと思っているし、
人の目や評価もやっぱり気にしてしまうので、

他人や周りに期待をしてしまうこともあるけど、
そうではなくて、

いい意味で境界線は持っておいた方がいい。
それに、抱く感情も取る行動も、
誰かのせいではなく
全て自分の選択が現実を作っている
ということを忘れちゃいけない

自分に責任を持ち、
面倒を見て守っていかないと

「頭が痛い」「お腹が痛い」と言ったって、
どれほど痛いかは本人にしかわからない

自分にしかわからない「感覚」を
人に強要したり無理に共有しようとするのではなく、
自分でわかって大切にできれば良いのかもしれない

その分、他人の「感覚」も
大切に尊重するようにしたい

各々が、お互いが
そんな風にできる世の中だと良いな

まずは自分から

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