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どうやったら、自分に自信が持てる様になりますか?

自信がないと悩んでいる人はとても多いと思います。

かつては私も、自信が感じられないまま生きていました。


自信というのは、自分を信じる事

こんな言葉を見た事があります。


つまり、自信がある人というのは、

自分の事を信じられているから、

それが自信となっている、という事なんだなと思いました。


スピリチュアルでも、自分は神という言い方をしますが、

これは、自神とも書けます。


自分こそが神だったんだ。

という意味が込められている訳です。




では、自信が無いと悩んでいる人はどうしたら良いのか?


それは、

自分というものを感じられる様にしていく、

というのが根本的な解決策になります。



自分が思っている事、

つまり、本音をいつでも感じられる様にしていくという事です。


これが出来るか出来ないか?

それこそが自分というものの土台となっているからです。



この土台を、心の土台と呼んでいますが、

心の土台が無ければ、自分というものを感じる事が出来ない訳です。


当たり前ですよね。

けれども、この当たり前の部分に普通の人はその事に気づけていない訳です。



なぜなら、そこには抑圧という心理が働いているからです。

抑圧した事は、無意識下に押し込められます。


無意識下に入ってしまえば、

自分では感じられなくなってしまうのです。


それが無意識ですからね(笑)

やってしまえば、とてもやっかいな事になる訳です。


でも、抑圧した事を1つずつ感じていく作業をしていけば、

少しづつ、自分の本音というものを感じる事が出来る様になってきます。


これは、意識的にやらなければ出来る様にはなりません。

しかも、無意識という心理状態の特性を理解している必要もあるのです。



抑圧を少しづつでも解消していって、

自分の本当に思っている事を感じていけば、

自分に対して安心感が出てくる様になってきます。



それを繰り替えしていくと、

「これが自分なんだ」と思えてくるのです。



その「これが自分なのか」という安心感の先に、

自分というものに対する信頼が生まれてくるのです。



こうして自分を感じていくことで、

自信がある自分へと成長していくのです。



そして最後には、自分って尊いものなんだな。

と心底思える様になった頃、

自分こそが神なんだ、という自分に対する絶対的な尊敬の想いが出てくるのです。


スピでは、↑ここだけを切り取って言っているのです。



つまり、スピリチュアルというのは、

人間にとって、かなーり段階を踏んだところを言っているので、

「自分を神だと思えない」という人が続出しているのです(笑)



けれども、きちんと段階を踏んで1つ1つやって行きさえすれば、

いつかは必ず、

自分の事を神だと思える自信ある自分となっていけるという事なのです。

その段階を、確実に1段1段登り続けていく事が何よりも大事だという事です。

私は、これをやったから、自信を取り戻せただけの話しなのです。



自分に自信が無いと悩んでいる人は、

心の土台をきっちりと築いていく事で、

自ずと自信も持てる様になっていけるのです。



自分に自信がないと貧しい人間関係しかもてなくなる


自分に自信のない人は、どうしても他人にとりいってしまう。

とりいってうまくいかないと、今度は強烈に反発する。


しかもとりいっていく相手というのが、まともな人間でないことが多い。

たとえば他人をなめる人間、他人を嘲笑するような人間、

そういった人間にとりいっていく。


おそらくそのように他人を嘲笑するような人間にとりいることで、

他人への軽蔑を共有し、

そのことで神経症的自尊心をたかめようとするのであろう。


自分に自信のない人は、他人をありのままに見ることができない。 


欠点のある人間に暖かい愛情の眼をそそぐことができない。 

すぐに軽蔑する。 

軽蔑することで傷ついた神経症的な自尊心をいやそうとする。


また、格好をつけているような人間、一見偉そうに見える人間にとりいる。 


それは自分に自信がないと、

どうしても他人が実際以上に偉く見えてしまうからである。


このように自信のない人間は他人を過小評価したり、過大評価したりする。

また自信のない人間は自分の属している集団に誇りをもっていないことが多い。


つまり自分の属する集団の価値観や行動様式に準拠して行動しようとしていない。

そこでその集団を軽蔑しているような人間にとりいったりする。


自分に自信のない人間は自分を軽蔑し、

同時に自分の仲間を軽蔑している。

そこで自分の仲間を軽蔑している人間に迎合していきがちなのである。



しかしその迎合していった人間と仲間への軽蔑を共有したからといって、

自分への軽蔑がなくなるわけではない。


自分に弱点がある。

自信のない人間はその弱点を隠す。


隠したからといって自信が出てくるわけではない。

心の底では自分の弱点をよく知っている。


すると、その弱点をもっていない人間に出会うと、

さーっと心がひかれていく。


そのひかれる度合いは、

その弱点から出てくる劣等感の強さに比例するであろう。


ところが、その人はたまたま或る弱点をもっていないというだけのことで、

他の欠点はたくさんあるかも知れない。


不美人であることに苦しんでいる女性はハンサムな男性に心ひかれる。

その男性が心の冷たい男であるかも知れないが、

そんなことには眼がいかない。


老人であることに劣等感をもっている人は、

若い者に受け入れられたりすると、

アンバランスに喜ぶ。


そして仲間の老人をけなしがちである。

若いというだけで、情緒的には未成熟で、礼儀知らずの、

どうしようもない若者を賛美したりする。


自分に自信がない人間は格好をつけた偽者に心を奪われがちである。


自信のない人の特徴は、

本物と偽者との見分けがつかないということである。


本物とは情緒的に成熟し、人を愛する能力をもった人間ということである。

偽者とは利己主義者で他人への思いやりも感謝の気持もないということである。


それだけに自信のない人は、貧しい人間関係しかもてない。


貧しい人間関係しかもてないといっても、

決して心の貧しい人にしか出会っていないというわけではない。


他人への思いやりのある心のやさしい人とも出会っているのである。

しかしその人達との関係を築かないで、

逆に一見立派そうに見える身勝手な人達にとりいってしまうのである。



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