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『はてしない物語』考察①「名前」と「虚無」の関係性

前回の記事ではミヒャエルエンデ著『はてしない物語』の長い長いあらすじ紹介と読了しての感想をご紹介しました。

今回の記事では『はてしない物語』の中で重要なカギとなる「名前」と「虚無」について考察していきたいと思います。

◆名前と虚無の関係性
『はてしない物語』の中でファンタージエン国を「虚無」から救うことは、人間が名づけることのみによって叶えられる、とされています。「名づけ」と「虚無」の関係性を考察していくと、エンデ自身の不変的な考えが読み解けていくように思えます。

ファンタージエン国の女王である幼ごころの君は、自身と国の健康を取り戻す方法が何故新しい名を得ることでしか叶えられないのかとアトレーユに尋ねられた際、下のように答えています。

「正しい名だけが、すべての生きものや事柄をほんとうのものにすることができるのです。……誤った名は、すべてをほんとうでないものにしてしまいます。それこそ虚偽(いつわり)の仕業なのですよ。」

ミヒャエル・エンデ『はてしない物語 上巻』上田真而子/佐藤真理子訳、岩波書店、p.293

女王の言う通り、名前とは、人、事物に関わらず、存在する全てのものの呼び名。ほんとうの名と、虚偽の名の違いは何なのかを考えると、作中、人間界にファンタージエンから虚偽を送り込んでいた人狼グモルグはアトレーユに、虚偽についてこう話している。

お前ら自身が、あっち(人間界)で、ファンタージエンなんてものはないと人間に思い込ませることに利用されてるんだからな。……人間どもを支配するのに虚偽くらい強いものはないぜ。人間てのはな、ぼうず、頭に描く考えで生きているんだからよ。そしてこれはあやつれるんだな。このあやつる力、これこそものをいう唯一の力よ。……おまえだって虚無にとびこむ順番がくりゃ、あやつる力の召使いになるんだ。意志もない、見わけもつかない一召使いにだ。……人間が知らないものを憎んだり、救いであるはずのものを疑ったりするのに役立つかもしれん。なあ、ちび、おまえたちファンタージエンの生きものが、人間世界では大きなことを起こすのに使われてるんだ、戦争をおっぱじめたり、世界帝国をつくったり……

上同書pp.250-251

それぞれの言葉がそれの持つ正しい意味の通り使用されなければ、結果的にその表現は「虚偽」になってしまう。「虚偽」を受け入れた世界で、人々は正常に「考える」ことが出来ないでしょう。何故なら「虚偽」を受け入れてしまったその瞬間から、その言葉は「正しく」使うことが不可能になるから。「虚偽」に溢れた世界で、現状を受け入れるだけの機械のようになってしまった人々は生きる悦びを失い、その受動的な集合体が「虚無」を生み出し続ける原因になってしまう。

本作だけでなく、言葉を、その言葉が根底に孕んだ意味を裏切らずに使うことは、エンデにとって永遠のテーマであるように思えます。敵国、邪魔な人種、邪魔な思想を持った人であれば殺しても「良い」、わが党こそが「正義」。エンデが見てきたナチスドイツは、「良い」、「正義」といった言葉の「ほんとうの名前」を意図的に「誤りの名前」に変えてしまった。そしてその「虚偽」が人々を戦争の道へとあやつってしまった姿をエンデはその目で見てきました。
当然のことですが、言葉とは多義的です。使い方によっては同じ言葉でも異なる意味が生まれることもあるでしょう。第二次世界大戦時、暗号の伝令をしていたエンデは言葉の持つ多義性を誰よりも知っています。一見の字面では到底理解できないようなメッセージを危険をかいくぐって伝達してきたエンデは、言葉のもつ力、重要性について、身をもって経験したことでしょう。だけれども、この「言葉を用いた多義的表現」と「あやまりの名前」は性質として全く別のものです。言葉と言うものは多義的で、だけれども根底に含まれている本質は変わりません。「正義」という名詞に道理や倫理という意味合いが含まれている限り、「戦争」や「殺す」といった非倫理的意味合いを含む言葉と併用は出来ません。そういった表現が有り得るとすれば、それは「あやまりの言葉」で固められた「虚偽」となります。

残念ながら、現実世界はこの「虚偽」の言葉で氾濫しています。そしてその「虚偽」が人間を「からっぽ」にしてしまい、世界大戦といった大きな悲劇を改めて引き起こしはしないかとエンデは憂いていることが数々のインタビューで読み取れます。だからこそ、彼にとっては「ほんとうの名前」のみを用いた物語を描くことで、読者が現実世界で「虚偽」に遭遇したとき、それが「虚偽」だと気づけるようにと望んでいるのではないかと思うのです。

 「誤りの名前」が「虚偽」を生み出し、それにあやつられた人間の意識から「虚無」が生まれる。

今回は「(ほんとうの)名前」と「虚無」の関係性について考察しました。次の記事では、ファンタージエン国における幼ごころの君の存在と、ファンタージエン国における善悪の区別について考察できればと思います。


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