空白のない日記


大切なことが何も無かった日を過ごして、夜になった。
私はぼんやり外を眺めながら、日記を開く。


窓から見えるのは星ではなく、黒。
黒のような、濃紺。
何も無い、空。
色弱な私にはあまり区別がつかない。

田舎であればきっと黒の中に浮かぶ白い光が見えただろうな。

日記の1文にそう書いた。

大切なことが何もなかった日は、書くことがない。
生きていたことが大切だとはよく言うが、そんなことを言ったら毎日生きていたことだけを書くことになってしまう。

別に今日という日に後悔する気は無いし、
特別な事があった日にしがみつくつもりもない。

私はカチカチッと音を立ててボールペンの先をしまう。

これといって書くことがない。

あ、今日は晴れだったな。
…いや、ゲリラ豪雨があったか。

日記の2行目に、ゲリラ豪雨にあった場所を書く。
傘を持ってなくて慌てて駆け込んだビルでは、サラリーマンが同じように雨に困っているようだった。
カバンで頭を隠したのだろう、カバンと肩がものすごく濡れていた。

持っていたハンカチを貸そうかと思ったが、なんとなくやめた。

あの時貸していたら、今日は特別な日になったかもしれない。

そんな思いまで、文にする。
それほどまでに今日、書くことがない。

なんだかんだ3行埋まる。
あと10行。何だこの日記、よく考えたら中途半端だな。
そんな思いも文にする。

ありきたりなことしか書けない日も
騒がしいくらい色々あった日も
この13行をしっかり埋める。

空白が無いことが、どこか美しい気がするから。

それを考えると、今日の空は空白でしかないな。
いや、今日も、か。

都会の空に星なんて見えない。
最後に星を見たのはいつだったろうか。

私はそれも1行にする。
星を見た日は5年前の帰省の時だ。
それが最後の帰省。
心からもう帰りたくないと思ったあの帰省。

家族も、親戚も薄汚い灰のようで
その日も星だけが綺麗だった。

仕事はどうなの
いい人はいるの
いつまでもあんたはダメね
お姉ちゃんはあんなにいい生活してるのに
あんたはなにやらせてもほんとダメ

ダメ、ダメ、ダメ

またちゃんと笑って誤魔化す私を思い出したらペンが言葉にならない線を描いた。

「あー…」

言葉を書けなくなった一行を塗りつぶす。

塗りつぶす。

塗りつぶして、塗りつぶして

その日の7行は黒くなった。

「そうか」

私は窓から見える空を眺めて呟いた。

「そうか、空白なんかじゃなかったんだ」

黒く塗りつぶされた行を指でなぞると、少し指が黒くなって。
自分でも何言ってるか分からなくなって笑った。

でも、どこか気持ちはスッキリしていた。
塗りつぶされた黒い行、
そこに自分の存在を認めて貰えた気がした。

とはいえ毎日これだと日記も少し寂しいから
明日からは何かある日に出来るよう、何か動いてみようかな。

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