「好き」をぶつけたい。

自分の好きなものを勧めるのには勇気が必要だ。「えぇ~、そんなものがいいと思ってんの?」という否定の言葉を恐れてしまう

ああ、本当にそうだなあと納得したのは、有川ひろ(有川浩)さんのエッセイ集『倒れるときは前のめり』を読んで。

有川さん自身が、後悔しているインタビューがあるという。

「そうですね、平成ガメラシリーズはけっこう好きですね」
何様だ!(中略)あれだけ楽しませてもらった作品に、言うに事欠いて「けっこう」などという留保をつけるとは!
「けっこう」「まあまあ」、これらの言葉は「好き」につける留保だ。そこには自分の感性を否定されたときに逃げ場を作ろうという計算がある。
(有川ひろ『倒れるときは前のめり』67~68ページ)

好きなものを好きだと主張するのには勇気がいる。反面、嫌いなものを罵るのはハードルが低い。小説でも映画でも有名人でも。匿名で発信できるインターネットではもちろんそうだし、対面でも、「私は嫌いだなー」という意見の方が言いやすい。

有川さんは作り手だから、否定される側の気持ちにも言及している。

私はうっかり好きな作家として名を挙げると一部の高邁な読書家に鼻で笑われてしまう作家である。それこそ「あんなのが好きなんて感性を疑う」と言われてしまうレベルらしい。
(同上、103ページ)

だから自分を好きと言ってくれる人のことが心配になりつつも感謝している、とこの項は締められるのだが、いろんな傷つき方をしてきたのだろうなということがにじみ出ている。

有川浩作品は「大人のライトノベル」だ。『図書館戦争』『三匹のおっさん』『植物図鑑』『空飛ぶ広報室』などなど、映像化された作品も多い。

文章のリズムが癖になるし、何より描かれるキャラクターが魅力的だ。それでいて「面白さ」だけが上滑りしているわけではなく、設定には説得力をもたせるだけの下調べが入念にされている。とくに初期作品には自衛隊や軍事関係が多いので、巻末の参考文献はムズカシいものが並ぶ。ライトに見えて驚くほど入念な準備がされているのだ。

けれど何だかんだ言っても、有川作品の最大の魅力は、(作品にもよるけど)ポップコーンみたいに会話がぽんぽんと飛んで、気づいたらジェットコースターに乗せられていてあっという間に読み終わっている……というようなところだ(あくまで私見)。

…と好きな理由を書き並べたけれど、例えば就職試験で「好きな作家は?」と聞かれて「有川浩です」とは答えない。他の好きな作家の中から、例えば山崎豊子とか司馬遼太郎とか、もう少し「賢く」見えそうな選択肢を選ぶ。有川さん自身もエッセイの中で、「(有川浩のファンなんて)進学や就職の面接では言わないほうがいい」なんて言ってしまってる。親切さに笑えた。

まあこれは使い分けであって、時と場合を選ぶことは大切だ。就職試験なんて自分の将来を左右するのだから、手持ちのカードの中からいちばんいいものを選ぶのは間違っていない。

けれど、例えば友人との会話で「どう思われるか」ばかり気にして、好きなものを好きと言えないのはおかしいし、自分を楽しませてくれた作り手に失礼だ

エッセイの中では有川さんの好きな小説や映画がたくさん挙げられている。名作から、戦争ものから、SFから、ギャグばかりのものから、ほんとうにごった煮という感じ。

だけどそれって普通ですよね。暗くて壮大な物語を求めるときもあれば、ただただ気楽に笑いたいときもある。ひとりの人間にもいろんな感情があって、世の中にあふれる無数の作品の中からそのときに好きなものを選ぶことができる。

「面白さに貴賤はない!」。『ライフ・イズ・ビューティフル』に号泣する気持ちと、『鷹の爪』のバカバカしさに笑っちゃう気持ち、どちらが上ということはないんですよね。
(同上、187ページ)

そして好きなものは好きとはっきり言いたい。
noteの「スキ」ってシンプルで便利だと思うんです。「嫌い」とか「ふーん」とかは何も反応せずにそっとページを離れればいい。

負の感情よりはプラスの感情を発信したい。それってすごく健全でいいと、私は思います。

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