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塾長のつぶやき

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永代囲碁塾 塾長の永代和盛が率直な感想を、本音で書いています。
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#院生

永代和盛の囲碁人生 Vol.32(院生の昼食、寮生の食事)

永代和盛の囲碁人生 Vol.32(院生の昼食、寮生の食事)

幕張囲碁研修センターでは寮長母さんが常駐しています。
その流れで院生手合の昼食も寮母さんが作ってくれます。
さすがに普段とは違い、人数が半端ないので別でお手伝いに来てくれる人がいました。

食堂

30席分くらいのスペースがあります。
さらに2mほどの高さがある本棚が壁一面に。
本の数は数百冊規模です。
あとは500mlのペットボトルが10本ほど入る冷蔵庫。
30インチくらいのテレビ。
テレビには

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永代和盛の囲碁人生 Vol.31(院生のシステム)

永代和盛の囲碁人生 Vol.31(院生のシステム)

私が入った当時を紹介します。

1995年頃の院生研修

・第二土曜日+毎週日曜日で月5回。

・研修時間は9時半〜16時半ごろ。
(クラスによって対局数や持ち時間が違うため、終わり時間は異なる)

・この頃の院生数は約60人。

・毎回、院生師範(棋士)が2名常駐。
この頃は新垣武先生、鄭銘瑝先生、北村洋司先生。

【A〜Cクラス】

・各クラス12人

・総当たりで毎月11局。

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永代和盛の囲碁人生 Vol.30(中学二年②・林間学校など)

永代和盛の囲碁人生 Vol.30(中学二年②・林間学校など)

真面目か不真面目か

永代少年は学校に真面目に通い(行くの当たり前ですけど)、部活も平日は皆勤賞。

宿題もこなし、テスト勉強もそれなりにしている中学生でした。

しかし、こんな中学生だと院生内では「不真面目」と呼ばれてしまいます。

それは囲碁の勉強時間が取れなくなるからです。

そして、院生の先輩からは「遊び虫」というあだ名までいただいてしまいました。(これは多分、学校に真面目に通っている

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囲碁人生が始まる日(長男編)

囲碁人生が始まる日(長男編)

5歳の長男が洪道場に行ってきた

ひな祭りも終わり、日に日にぽかぽか陽気を感じられるようになってきた。しかし、今日はそんな季節には珍しいほどの肌寒い日だった。
何かが起こる。そんなことを思わせる天気だ。

そんな日に5歳の長男が囲碁道場へ初めて行ってきた。

そこは杉並区阿佐ヶ谷の閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいる一軒家。
玄関口には「洪道場」と書かれた表札がある。

私はそれを見た瞬間に後光

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永代和盛の囲碁人生 Vol.29(中学二年①・三谷少年)

永代和盛の囲碁人生 Vol.29(中学二年①・三谷少年)

この時期からは記憶が曖昧なので、細かい時系列は気にせずに大まかに書いていきます。

てっちゃん

この頃に小学六年生の三谷哲也少年(現プロ七段)が幕張囲碁研修センターへ入寮してきました。

三谷少年のあだ名は「てっちゃん」です。

永代少年にとって初めての後輩です。しかも日本人の寮生と一緒に住むのは初めてでした。あれ?幕張って日本だよね?(笑)
(他の寮生はロシア、ルーマニア、フランス、台湾など)

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永代和盛の囲碁人生 Vol.24 (番外編・お金について 5・最終話)

永代和盛の囲碁人生 Vol.24 (番外編・お金について 5・最終話)

社会貢献

これで完全に分かった。

仕事とは「社会貢献」だ。

自分のためでなく、周りのために社会貢献をしてこそ、お金がもらえる。
社会の課題を解決して、そのお礼にお金をもらうのだ。
お金は会社からもらうものではない。

お客様や取引先からもらうものだ。
会社はその仲介に過ぎない。

会社勤めの人の中には会社からお金をもらおうとしている人がかなりいる。そして、それを自覚していない人も多数いる。

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永代和盛の囲碁人生 Vol.23 (番外編・お金について 4)

永代和盛の囲碁人生 Vol.23 (番外編・お金について 4)

神奈川での生活

一軒家を借りて、一階は子供囲碁道場。
二階は事務所兼、居住スペース。

ここに竹清勇さん(現四段)、永代を含む合計四人で寝泊まりしていた。(さすがに中島美絵子さん(現二段)はいません)

私は事務所スペースに敷布団を敷いて寝ていた。他の3人は和室だ。
今、流行りのシェアハウスのようなものだった。12年前からこれをやっていたのだ。流行りの最先端を行きすぎている(笑)

起業したばか

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永代和盛の囲碁人生 Vol.22 (番外編・お金について 3)

永代和盛の囲碁人生 Vol.22 (番外編・お金について 3)

株式投資

そこでお金も貯まってきたことだし、株式投資を始めた。
当初は経済を勉強してみようという軽い気持ちだった。
損をしても勉強代だ!ということで。
実際に体験するほうが勉強になると思った。

ちょうどこのころは小泉総理の長期政権でミニバブルの時期だった。
私は株式投資の初心者であるにもかかわらずに資金がすごい勢いで増え始めた。
月給10万5千円の男が、1日でそれくらい稼ぐこともざらにあった。

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永代和盛の囲碁人生 Vol.21 (番外編・お金について 2)

永代和盛の囲碁人生 Vol.21 (番外編・お金について 2)

永代和盛の囲碁人生 Vol.20 (番外編・お金について 1)
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この番外編を書き始めたらとてつもない長文になったので5回くらいに分けます・・・(笑)

プロを諦めて、長崎へ帰郷

プロになるのを諦めたのが19歳。
それから1ヶ月ほどで二十歳になった。
二年ほど前から10代でプロになれなかったら辞めるという宣言をしていた。
まぁ、後ろ向きな結果ではあるが有言実行をしたものだ

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永代和盛の囲碁人生 Vol.20 (番外編・お金について 1)

永代和盛の囲碁人生 Vol.20 (番外編・お金について 1)

小学生のころの将来の夢

小学校の卒業アルバムで将来の夢は「お金持ちになること」と書いた。
特に他に夢が思い付かなかったからだ。
当時は小学六年生から故郷である長崎を出て、囲碁棋士を目指す院生になっていたくせに‥(笑)

何となく、当時に流行っていた音楽でミスチルやシャ乱Qなどを聞いていたから、こういう人達みたいに一発当てて有名になればお金とかもたくさん入ってくるんだろうなぁ‥という単純な発想のよ

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永代和盛の囲碁人生 Vol.19 (平成9年度女流試験)

永代和盛の囲碁人生 Vol.19 (平成9年度女流試験)

平成9年度女流試験

この年で合ってるかどうかは定かではないけれど思い出を一つ。

女流試験は東京、中部、大阪で一人ずつだったり、中部と大阪が合同で一人だったり、全部合同で一人だったりと年によって全体の入段者数は違っている。これは今でもときどきあるような‥。

その影響だと思うのだが、中部から金賢貞(現四段)さんと大阪から井沢秋乃さん(現四段)が東京の試験を受けにきた。東京のプロ試験は全て幕張囲碁

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永代和盛の囲碁人生 Vol.17 (平成8年度女流試験)

永代和盛の囲碁人生 Vol.17 (平成8年度女流試験)

平成8年度女流試験

平成9年度の前に平成8年度の女流試験入段者を書いていなかったことに気付く‥。しかも、入段者は梅沢由香里(現・吉原由香里 六段)さんで囲碁界のスーパースターを紹介し忘れるという不覚。

しかし、平成8年度のことはよく覚えていない。永代少年が院生に入って一年目だったということもあるし、女流試験は永代少年とは関係ないということもあるかもしれない。

あと、一般のプロ試験は幕張研修セ

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永代和盛の囲碁人生 Ver.15(中学1年・2学期)

永代和盛の囲碁人生 Ver.15(中学1年・2学期)

正確な時期を覚えていないので、とりあえずまとめてみる。

体育祭

NO.7 「運動会」で出てきたが、小学6年の永代少年は日曜日に開催される運動会には院生手合が被るということに気付かずに応援団副団長にまでなってしまった。八方塞がりの状況になってしまったのであるが、幸運なことに雨で延期となり事なきを得たラッキーボーイである。

前回の反省を生かして、今回は事前に事情を説明して欠席とすることに。
体育

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永代和盛の囲碁人生 Ver.14(中学1年・1学期)

永代和盛の囲碁人生 Ver.14(中学1年・1学期)

初のテスト

中間テストもまぁまぁな順位だった。
結局、これが中学での一番の高順位となるのだが‥(笑)

普段の生活

その後も宿題くらいはきちんとこなし、部活動も週に5回か6回は行く真面目ぶり。まぁ、学校は楽しかった。

平日は授業→野球部→院生寮に帰る→夕食→野球見て→卓球→風呂→宿題→詰め碁を最長で5分くらいやりながら→寝るというルーティンだった。

日曜と第二土曜は院生だったので、野球部は

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