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映画「『風立ちぬ』の小さな考察−反ファシズムのミリオタ映画」

★本稿は2013年に公開された宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』公開直後に筆者が書いた考察論文を短縮し簡易化しエッセイにしたものです。
元原稿は公開する機会に恵まれず今日までお蔵入りとなっていました。
11年も経過していますが、その後の研究や考察は加えておりません。映画公開直後の新鮮な考察をそのままお読みいただければ幸いです。
         
筆者:永田喜嗣

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映画「『風立ちぬ』の小さな考察−反ファシズムのミリオタ映画」

1.映画『風立ちぬ』への大批評

 『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』は10人の論者と3人の対談者による宮崎駿の『風立ちぬ』を真っ向から否定的に捉えるもので、題名が示す通り空前の「大批評」であることは間違いない。13人全てが知力と経験を活かして『風立ちぬ』を包囲し撃破しようと試みている。
 
 筆者は当初、批評に対してではなく、『風立ちぬ』という映画のみを捉えてこれを「反ファシズム」の反戦映画として高く評価するという試みを行うつもりであった。しかし、書き綴っている間に『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』が出版され、この批評を避けて通れなくなった次第である。13人の批評者たちの知識と経験、筆の力から考え合わせれば、知力、経験とも及びつかない筆者が立ち向かうことなど至難である。

 しかし、『風立ちぬ』がファシズムを批判し、戦争を否定してやまない映画であることを明らかにするためには、この13人によって掛けられた宮崎駿『風立ちぬ』への大批評という包囲陣を打ち破らなくてはならない。

 だが、13人のそれぞれの論に全て詳細に検証してゆくことは紙幅の面を考えても、その意義を考えても有益とは言えない。ここでは13人の共通した『風立ちぬ』大批評の論旨を纏めてみることとしたい。

 13人の批評はある程度の共通点を持っている。要約すれば次の様な点である。

 第一の点は宮崎駿が零戦という殺戮兵器を美しい夢として捉えている点。

 第二の点は宮崎駿が零戦を巡る大日本帝国のアジア太平洋侵略を具体的に描かなかったという点。

 第三の点は宮崎駿のジェンダー思想の欠如という点である。

 本論では第三の点は述べない。筆者の関心は主人公、堀越二郎のフィクションとしての恋愛を描いたサイド・ストーリーではなく、日本のファシズムと戦争を巡る近現代史の表象に深く関係する第一の点と第二の点にあるからだ。

 第一の点と第二の点を批評に対して回答を導き出すのであれば、次の点が必要となる。

1.宮崎駿が軍事オタクであるという点。それに関係する原作漫画『風立ちぬ』の成り立ちと映画化。

2.実在した零戦の設計技師、堀越二郎という人物について。

3.宮崎駿が準備した反ファシズムと反戦のメッセージの表象(二人の外国人の存在)について。

 『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』では13人の批評者は上記の三点について踏み込んではいない。

 しかし、この三つの考察がなければ映画『風立ちぬ』を批評は出来ないと筆者は考えるのである。
 
 筆者の結論は「宮崎駿は映画『風立ちぬ』を創るべきではなかった。」と考えている。その点においては『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』の13人の批評者たちと意見は一致しているかもしれない。しかし、その意味は違っている。例えば13人の批評者が批判する点に従って映画を改修し、13人の批評者の満足にゆく作品が出来たところで『風立ちぬ』は新たな批判にさらされることはほぼ間違いないのだ。歴史とは違うと。

 筆者自身は完成された現行の作品『風立ちぬ』について感じることは、宮崎駿が現実の歴史を見据えた上でギリギリ行えた帝国主義やファシズムへの抵抗であり、その点においては高く評価できると考えている。これ以上の小細工を行ったところで13人の論者が恐らく共通に持っている歴史修正主義への反発を排除出来るどころか、逆に『風立ちぬ』は歴史修正主義的映画になってしまうことは明らかであるからだ。

 それ故、その様なギリギリの抵抗を行わなくてはならない作品であるならば宮崎駿は『風立ちぬ』を創るべきではなかったと筆者は考えるのである。

 宮崎駿は零戦が美しいとは劇中では述べてはいない。彼は「飛行機は美しい夢」であると映画を語り始め最後には「飛行機は美しくも呪われた夢である」と結論づけている。この台詞の有無に関わらず批評者たちが特にこの点を批判するのは宮崎駿が軍事オタクとしてのよく知られた人物であることにも起因している。

 実際に批評に目を通すと「軍事オタク」という言葉が散見される。その語調は幾分か白眼視的にさえ映る部分がある。それは平和主義者、反戦主義者としての宮崎駿のもう一つの顔としての「軍事オタク」という顔が批評者にとって理解し難い矛盾点であるからだろう。

 それは平和主義者で反戦主義者である宮崎駿が零戦を美しい、あるいはカッコいいと感ずる感性に深い背信的心情を持ち込むからであろう。噛み砕いて言えば宮崎駿程の映画作家が「軍事オタク」であっては欲しくないという願望でもある。

 『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』の対談で映画研究家のアンニ氏は宮崎駿の兵器が美しいという感覚と発言から「彼は本当に多くの矛盾を抱えたまま、作ってしまった感じがします。」と述べているが、宮崎駿自身はなんら矛盾など抱えてはいないと私は考える。

 「軍事オタク」であるという点と「反戦平和主義者」であるという点は何ら矛盾しないのである。「軍事オタク」と呼ばれる人々がどういう人物であるかについてよく観察することによって、それは明らかになる。論者たちは根本であると宮崎駿が「軍事オタク」であるという点を指摘しておきながらも、それ関連する「軍事オタク」そのものには着眼してはいないのだ。
ここでは、まず「軍事オタク」について考え、『風立ちぬ』という映画の原作の成り立ちについて注目してみよう。

3.軍事オタクとしての宮崎駿と『風立ちぬ』

 宮崎駿の『風立ちぬ』という作品は先に述べた軍事オタクの特有の世界観に存在しているという側面を持っている。

 軍事オタクとして宮崎駿は大日本絵画の『モデルグラフィックス』という軍事オタクやミリタリーファンが集まる戦争というものの本質を弁えた暗黙の了解の範疇で漫画『風立ちぬ』を連載していたのである。

 彼とて『モデルグラフィックス』の中に一歩足を踏み入れれば、軍事オタクの一人にしか過ぎない。

 それは軍装マニアの軍装パーティーという集会であり、エアソフトガン愛好家のフィールドでの戦争ゲームでもある。宮崎駿は安心しきってそこで堀越二郎についての物語を自由にのびのびと展開したことは容易に想像が付く。そこでの戦争の取り扱いは十全に軍事マニアたちの間で了解されているからである。

 それが戦争への賛美とならないことは明白だからだ。なぜなら、軍事オタクは一般大衆よりずっと深く戦争に触れ親しんでいるからである。

 兵器や軍事で戦争を意識する。それは歴史家あるいは思想家たちとはまた違った戦争へのアプローチであり世界でもある。宮崎駿もその世界の住民の一人である。

 宮崎駿は一人の趣味人として『モデルグラフィックス』の中で理解し合える仲間と『風立ちぬ』を楽しんだに違いない。

 ところが、ジブリの鈴木プロデューサーから一般向けのアニメ映画化の企画がもたらされる。宮崎駿は当初、難色を示したという。曰く『風立ちぬ』は子供向けではないから。噛み砕いて解釈すれば「軍事オタク向けであるから」ということだろう。

 軍事オタクだけに留めた閉塞的な良識を保った世界で展開された漫画を不特定多数の一般大衆に向けてアニメ映画化し公開するのである。それは先に筆者が空想として示した「街頭でエアソフトガンを無差別に一般大衆に無料で大量に配布したなら、たちまち秩序は崩壊する。」という危惧にも似た感情が宮崎駿の中にあったに違いない。

 戦争に免疫のない大衆は簡単に戦争というロマンに感染してしまうものだ。
『宇宙戦艦ヤマト』だ『機動戦士ガンダム』だと……。

 宮崎駿は軍事オタクであるから、恐らく誰よりもそのことを知っているクリエーターに違いない。

 果たして、軍事オタクの世界で生まれた『風立ちぬ』は一般大衆向けアニメ映画として製作された。後は宮崎駿がどうやってこの映画を大衆に与え渡すかにかかってくるのだ。

第二章 堀越二郎と『風立ちぬ』

1.堀越二郎への認識

 宮崎駿の映画『風立ちぬ』の主人公は堀越二郎である。
 堀越二郎は日本海軍の零式艦上戦闘機(通称零戦またはゼロ戦)を設計した事で知られる三菱重工の航空機開発部で活躍した実在した人物だ。

 宮崎駿が漫画『風立ちぬ』を連載した『モデルグラフィックス』の読者であれば恐らく堀越二郎の名を知らぬものはいないだろう。少なくとも軍事オタクで軍用機マニアなら奇跡の戦闘機「零戦」設計者堀越二郎については熟知しているはずである。

 1970 年代には堀越二郎自身が零戦開発を巡る回想録を書き記しているし、マニアならそれらの書に目を通していても不思議はない。だから、『モデルグラフィックス』誌上で宮崎駿が堀越二郎を主人公にした夢のフィクションドラマを描いたとしても軍事オタクたちの中で実在の堀越二郎の実像は決して揺らぐこともない。

 軍事オタクたちは宮崎駿と共に堀越二郎と日本海軍航空隊の航空機開発を史実に沿って荒唐無稽に変換された物語の中で自由に遊ぶことが出来たのである。

 堀越二郎は零戦開発者の一人である。彼は設計主任であった。その最も重要な設計という部門で彼は大いに力を振るった。

 彼の功績は零戦開発ばかりが語られるが、日本海軍戦闘機で初の単葉全金属製の「九試単座戦闘機」を設計し、その実用型の「九六式艦上戦闘機」を世に送り出した。「九六式艦上戦闘機」は日中戦争における初期の海軍航空作戦で主力戦闘機となった。その後継機が「零式艦上戦闘機」(零戦)であり、堀越二郎は太平洋戦争突入後 は国内の防空戦戦闘のための短距離陸上発進型の防空戦闘機「局地戦闘機・雷電」を設計した。その彼の最後の仕事は零戦の後継機「十七試艦上戦闘機・烈風」の設計開発である。「十七試艦上戦闘機・烈風」は実用化に至らなかったが「九試単座戦闘機」と「九六式艦上戦闘機」、「局地戦闘機・雷電」といった零戦以外の堀越二郎の設計担当機は軍用機マニアの中では零戦と並んで有名であり重要な機体なのである。

 しかし、世間一般では殆ど知られていないにもかかわらず堀越二郎は零戦設計者の冠が常に付き纏う。堀越二郎が有名であるというよりも零戦が余りにも有名であるからだ。

 『風立ちぬ』を待たずして堀越二郎は漫画や映画にすでに登場している。

 1974 年に刊行された立風書房の少年向き画報『太平洋戦争 日本の飛行機』の中に収録されている『劇画・零戦一代記・ゼロのすべて』の中にも堀越二郎は設計開発者として登場している。31ページの零戦誕生から太平 洋戦争集結に至る物語の中で堀越二郎は7ページに渡って登場している。

(桜井英樹『太平洋戦争 日本の飛行機』、立川書房、 1974年、63-69頁)

 この劇画には名前だけだが零戦の試験飛行で殉職した名テストパイロット下川大尉も登場している。零戦開発では堀越二郎と並んで有名な人物である。

 零戦誕生から太平洋戦争集結までを描いた1981年の東宝映画『零戦燃ゆ』(舛田利雄監督)では堀越二郎を北大路欣也が演じている。ここでは下川大尉を加山 雄三が演じ、日本海軍航空隊の戦闘機登場員としての立場から零戦開発に深く関与した小福田 租海軍大尉をあおい輝彦が演じた。またこの映画では東條英機の実子であり零戦開発チームに参加し、戦後国産旅客機YS11の開発に当たった東條輝雄(宅麻 伸)も登場している。

 アニメやゲームといった文化が成熟していなかった1970年代の小中学生にとって太平洋戦争の航空機 や艦船はプラモデルと共にホビーの王道だった。それに関する書籍も数多く出版され、そこには零戦が花形であり堀越二郎の名も必ずと言っていいほど記されていた。将来の軍事オタク候補生たちは既に堀越二郎を知り、成人になってから『零戦燃ゆ』などの映画でもはっきりと認識することが出来たはずだ。この様に零戦と堀越二郎は常にワンセットとしてパッケージになっていた。

 零戦開発といえば堀越二郎であり、堀越二郎といえば零戦なのだ。

 そして、『零戦燃ゆ』における登場人物を見ても分かるように堀越二郎を巡る零戦の開発メンバーの殆どが軍人であり、また登場する民間人技術者も実父が陸軍大将(東條英樹)であったりと軍事的な彩が強いものだった。

 実在した堀越二郎自身はどうであろうか。

 彼は戦後、航空機開発についての著作をいくつか残している。それを辿れば堀越自身もまた零戦開発についての苦心談や成功に纏わるエピソードを淡々と書き綴っている。ここにあるのは理系の技術者としての堀越二郎である。彼は特攻隊や終戦時の感慨についても多少は書き記しているが自身の零戦開発を戦争責任として否定する傾向は見られない。九試単座戦闘機の開発成功から発展型九六式艦上戦闘機、続く零式艦上戦 闘機の開発。堀越二郎自身も自分が「零戦開発者」であることを自認しているのである。

 軍事オタクや宮崎駿が抱いている堀越二郎像もやはり、劇画、映画、自伝におけるそれと同じであるはずである。

 零戦は日中戦争で試験的に前線に投入され、やがて太平洋戦争では真珠湾攻撃から沖縄特攻まで一貫して海軍航空隊の主力戦闘機だったのである。

 零戦は開発の途上で軍の機体性能への要求が大きすぎたため、運動性能と軽量化のため防弾設計を軽んじたために多くの将兵の命が失われた遠因となったことも戦後指摘されている。海軍の特攻機の主力はもちろん零戦でもあった。
零戦と設計者堀越二郎を巡っては栄光の戦闘機という賞賛の影にこうした忌まわしい事実も見え隠れしている。

 その零戦の設計者堀越二郎を主人公にしたアニメ映画を制作するとなれば軍事オタクの反戦主義者を除く多くの反戦主義者は「あの宮崎駿が零戦の設計主任を主人公に映画を作るんだって?」と眉をひそめたであろうことは容易に想像が付く。まずいち早く、その反発を顕にしたのは韓国の大衆だった。

 日本では当初、殆ど誰も反発しなかったが、恐らく公に語らなかっただけで同じ疑問を感じた者は多かっただろう。ドイツの新聞"Die Zeit"の評論でも反戦主義者宮崎駿が兵器を礼賛する作品を作ることに疑問を呈したのも同様の反応である。

 引退宣言の記者会見で宮崎駿が韓国の記者に対して「映画を観てから議論して欲しい」と言った言葉はとりわけ重要である。

 零戦=堀越二郎という観念が映画を観る前から知識人と呼ばれる層の人々にある一定の先入観念となって作用したことは否めない。
 元はといえば軍事オタクに向けられた限定された趣味世界の漫画であった『風立ちぬ』であった。それを一般大衆向けに発信するには恐らくその間に何らかの調整は必要ではある。何故なら軍事オタクほどに一般大衆は戦争について詳しくはないからだ。

 宮崎駿は果たしてこの問題をどのようにして解決したのだろうか。

「映画を観てから議論して欲しい」の言葉にはおそらくは反戦主義者宮崎の「調整」にかける自信があったに違いない。

 軍事オタクのために書かれた漫画を一般大衆に向けて今までの宮崎駿作品と思想的に何ら乖離のないものを作るということは宮崎駿にとって大きな試練だったに違いない。

 零戦=堀越二郎という一般的認識に対して、映画『風立ちぬ』が、どう発信してゆくか。それは宮崎駿という映画作家の手腕にかかってくるのである。

2.堀越二郎を巡る世界

 『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』においてアジア太平洋戦争が描かれていないという批判があった。宮崎駿が堀越二郎と零戦、それに関連するアジア太平洋侵略の部分を映像化しなかったのは何故か。その答えは主人公の堀越二郎にある。

 ここで他国の戦争加担技術者を例に挙げよう。
 第二次世界大戦中、ナチスドイツの液体燃料式ロケットで世界初の弾道ミサイルV2号開発に従事したヴェルナー・フォン・ブラウン博士である。フォン・ブラウンのロケット開発の動機は月旅行実現という子供の頃に抱いた夢だった。彼は民間団体である「宇宙旅行協会」で資金難に喘ぎながら液体燃料式ロケット開発に励んでいた。その彼をドイツ陸軍が目を付けて弾道ミサイル開発要員に引き抜いた。やがてナチスドイツの時代となり、英本土攻撃用報復兵器としてV2号ミサイルがフォン・ブラウンをヘッドにバルト海沿岸のペーネミュンデで開発されることになる。

 フォン・ブラウンはロケット開発に関してそれが殺人兵器であり大量破壊兵器であるという意識をそれほど持っていなかった節がある。彼にとってナチスや陸軍への協力、親衛隊への入隊も全てが月旅行の夢を実現させたいと願う動機からだった。
 ペーネミュンデの酒場で彼は同僚と自分たちは軍のためにロケットを作っているのではない、月旅行のためなのだと語り合い、その会話が密告されゲシュタポに逮捕拘束されるという事件も起こしている。
 フォン・ブラウンはナチ党員で英本土無差別攻撃に加担したが彼自身はその罪をどれほど感じていただろうか。少なくとも彼の著作や彼についての評伝にはそのような記述は見当たらない。
 BBCが製作した米ソ宇宙開発競争を描いたドキュメンタリードラマ『宇宙へ』はフォン・ブラウンを主人公にしたものだが、フォン・ブラウンが戦争を意識したり、戦争加担に罪を感じている様な場面は一切描かれなかったし、 V2号による悲惨な実態もパラレルに提示されることもなかった。僅かにアメリカにおいて反ナチ主義者から問い詰められるシーンがあるのみで、その場面でさえフォン・ブラウンは技術的問題とは関係がないと逆ギレする有様だった。それはナチスや戦争が、フォン・ブラウンが生きていた意識の世界とは別世界の出来事であったからに他ならない。

フォン・ブラウンが開発したV2号ミサイル

 V2号によるロンドン攻撃では多大な非戦闘員の命が奪われた。その数以上にV2号生産のための地下秘密工場では強制収容所から駆り出されたユダヤ人や囚人が酷使されそのために命を落としている。しかし、フォン・ブラウンにとってその様な出来事は彼の責任意識の範疇からは除外されている。彼は戦後、米軍の保護下渡米しアメリカ航空宇宙局の中心人物となって最終的にはアポロ計画を技術的に支え、人類を月に送るという夢をその生涯で完成させるに至ったのである。

 原爆開発に中心人物として携わりながらも戦後、核開発に強烈に反対の立場をとったロバート・オッペンハイマー博士とは全く逆をゆく人生である。
 フォン・ブラウンの様な技術者や科学者はいくらでもいる。アインシュタイン然り、オットー・ハーン然り。その様な居直った戦争加担者を反戦主義者や平和主義者としてドラマの中で描けば現実の歴史と整合性が全く取れなくなる。

 宮崎駿が題材にとった堀越二郎という技術者もこれらフォン・ブラウンと同じ人物である。数少ない堀越の著作を読んでみても彼の反軍的思想もなければ零戦を初めとする兵器開発に当たったことに対する苦悩も悔恨も一切見当たらない。彼は零戦とそれに続く局地戦闘機雷電、艦上戦闘機烈風の設計に関して誇らしく記しているのである。軍に反発する記述は戦争ではなく技術開発に横槍を入れる軍部の行動や事件に関してのみである。
 
 彼は自ら望んで兵器を開発に協力していたのだ。それは技術者の野心であり、技術者の夢である。堀越二郎は終戦の日の玉音放送を聴いた感慨を1970年に刊行した書で次のように述べている。
 
 私は「これで私が半生をこめた仕事は終わった。」と思った。それと同時に、長い苦しい戦いと緊張からいっぺんに解放され、全身から力が抜けていくのを覚えた。これで飛行機とは当分、いや一生お別れになるかもしれない。そう思うと寂しく悲しかった。この十年間私たちは充実した日を送った。しかしその間に、日本の国はなんと愚かしい歩みをしたことか。愚かしいのは、日本だけではなかったのかもしれない。しかし、とくに日本はこれで何百万という尊い人命と、国民の長年にわたる努力と蓄積をむなしくした。一口に言えば、指導層の思慮と責任感の不足にもとづく政治の貧困からであった。いまこそ、「誠心英知の政治家出でよ。」と私は願った。
 (堀越二郎『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫、2012年、224頁)

 幻想シーンとして『風立ちぬ』のラストで描かれたカプローニ伯爵と堀越二郎の対話は零戦開発と戦争加担を省みて落胆を示すシーンであったが、これは宮崎駿の完全な創作であるということが伺い知れる。何故なら実在の堀越二郎は彼の著作から分かるように戦争加担に対して自身の反省などしてはいなかったからだ。

 つまり、アジア太平洋戦争で堀越二郎の活躍を描くことは殆ど無意味であるということだ。彼と零戦の悲惨な状況をパラレルに提示して見たところで何の映画的効果が得られるだろうか。先に挙げたBBCのドキュメンタリードラマ『宇宙へ』で同様にフォン・ブラウンの戦争加担について殆ど触れていないのと同様である。

 反戦という看板を恣意的に掲げさせるだけでは映画は現実から乖離するばかりである。

 何故なら堀越二郎は戦場にはいなかったし、零戦で死ぬ兵士たちと共に過ごしたわけではなく、名古屋や東京の三菱重工の一室で飛行機を設計していたに過ぎないからだ。フォン・ブラウンもロンドンで自ら造ったV2号ミサイルで死ぬロンドン市民を目の当たりにした訳ではない。

 逆に堀越二郎に戦争という現実との間で戦争加担者として苦悩させればそれは歴史的事実ではなくなる。堀越二郎と零戦を巡る歴史を修正する事になりかねない。

 ラストシーンの堀越二郎とカプローニ伯爵の対話は宮崎駿が堀越二郎に零戦による戦争加担に関して反省を促しす創作として付け加えられた反戦メッセージなのだ。

 このシーンが付加されているだけでこの映画『風立ちぬ』は史実や現実の整合性を取りながら反戦映画として十分に成立しているのである。

 『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』での論者たちが実在の堀越二郎を検証しているならば、この宮崎駿が映画作家として付け加えた堀越二郎の戦争加担への責任問題を指摘していることは容易に感じ取られたはずではないか。13人の批評者たちは現実に存在した堀越二郎を必ずしも見据えて批判したのではないのである。

 筆者は『風立ちぬ』の主人公、堀越二郎は全くの反戦映画上の機能としては「でくのぼう」であると考えている。あるいは「案山子」である。映画における堀越二郎は誠実で真面目、政治や周囲の環境、社会情勢や歴史にはほとんど関心を払っていない技術者である。彼の言動や行動には映画の中でも全く生気が感じられない。それは宮崎駿が感じ取っていた実在した堀越二郎その者であったのかもっしれない。堀越二郎という人物は大政翼賛の下で何も考えずに黙々と自分の仕事をこなして来た人なのである。彼にとって零戦に乗って死んでゆく人命の重さは除外されているかのようでもある。

 映画を分析する際に当然ながら主人公の言動や行動が最も注目を集めることとなる。その家族や恋人など近い所に位置する脇役は主人公と同様に注目される。『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』の13人の批評者たちは『風立ちぬ』の主人公、堀越二郎に捕われ過ぎたのではないかというのが筆者の考えである。

 宮崎駿は「でくのぼう」の主人公から遠くに存在する人物を使って反戦と反ファシズムを訴えている。それは劇中登場する二人の外国人である。

 『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』での批評者たちの一部は僅かにこの外国人について触れてはいるものの重要視はしていない。
しかし、筆者の見るところ、この二人の外国人は主人公やその恋人、上司、同僚以上にこの映画における最も重要な人物であると考えられるのである。

第三章 反戦と反ファシズムの二人の外国人

1.二人の外国人

 『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』の中でドイツ人やイタリア人など西洋の外国人は登場するが中国人や朝鮮人などアジア人が登場しないという批判がある。三菱の工場などで使役されていたと考えられる東アジア人の存在がないという批判である。また、批評者の一人はゾルゲを思わせる人物が登場するがドラマに機能していないと指摘している。

 しかし、筆者はこの指摘も妥当なものだと受け止めることは出来ない。
劇中、登場するイタリア人とドイツ人の二人の外国人の存在は重要であり、映画『風立ちぬ』の反戦映画としてのメッセージ性とドラマへの効果を与える機能を十分に果たしている見逃せないものである。

 映画『風立ちぬ』には二郎と心通わせる二人の外国人が登場する。一人はイタリアの飛行機設計者のカプローニ伯爵である。もう一人はドイツ人の紳士カストルプである。前者は実在の人物で後者は架空の人物だ。実在の人物カプローニ伯爵と二郎が出会うのは夢の中の世界で現実ではない。架空の人物であるカストルプと二郎が出会うのは軽井沢の山荘であり、現実世界である。

 全編を通じて二郎に大きな与えているのはこの二人である。

 同時にこの二人の外国人の視点と言動は観客が最も感情移入している主人公、二郎に対しての道筋を付けるものであり同時に宮崎駿が主題を観客に語りかけるものでもある。

 いわばこの二人は映画『風立ちぬ』における狂言回しの役割を果たしている。

 オタク文化研究家で知られる岡田斗司夫はKindleの電子ブックで『風立ちぬ』論を何編か発表しているが『 岡田斗司夫の「風立ちぬ」を語る2~本当は残酷で恐ろしくて美しい「風立ちぬ」 』においてこの二人の外国人の存在に言及している。岡田は絵コンテにこの二人の外国人ついての表現に「狂気」という言葉が記入されていることを論拠にカストルフとカプローニ伯爵が二郎を狂気の世界に誘うメフィストフェレス的悪魔であると断じている。この見方も評論家が読み解いた一つの真実でもある。しかし、別の見方も可能だ。

 カストルプもカプローニも二郎に影響を与える存在であっても決して狂気にいざなうものではあり得ない。狂気と絵コンテに書き込まれていたとしてもそれは表面上の狂気ではない。

 それはファシズムや戦争に対して抵抗する立場にあるという「確信」という狂気であると解釈するべきであるだろう。戦争とファシズムという狂気が日常化している世界においてそれに抗するものは「狂気」を帯びる。この狂気の転換は宮崎駿の重要な思想的視点でもある。

 二人の外国人の存在は大日本帝国という範疇からはみ出した外界からの視点である。

 軍事オタクのために準備した漫画『風立ちぬ』を一般大衆にアニメ映画として送り出す宮崎駿が自身の思想との均衡を保つために仕掛けられたのがこの二人の外国人の存在と言動であると見てほぼ間違いはない。つまり、宮崎駿の反戦主義者、反全体主義者の思想がこの二人に集約されているのだ。

 宮崎駿が巧みに仕組んだこの二人の外国人を解体することで『風立ちぬ』の主題が明らかになるはずである。

2.反全体主義者のドイツ人、カストルプ

 カストルプは二郎が試作機の飛行実験に失敗して打ちひしがれて滞在する軽井沢の山荘で偶然会う謎のドイツ人だ。彼は二郎がドイツの航空機雑誌を時折サロンや食堂で読んでいるのを見かけ、二郎が滞独経験があること、航空技術者である事を見抜いて片言の日本語で話しかけてくる。

 カストルプは温厚な紳士だが洞察力が深い。

 彼は意味深い言葉を二郎に授ける。

 カストルプはヒトラーとナチスを「アレハ ナラズモノ アツマリデス。」と言い、軽井沢の滞在している山荘をトーマス・マンの『魔の山』に例える。カストルプは山荘での生活を次のように語っている。

 ワスレルニ イイトコロデス
 チャイナト センソウ シテル ワスレル
 マンシュウコク ツクッタ ワスレル
 コクサイレンメイ ヌケタ ワスレル
 セカイヲ テキニスル ワスレル
 ニホン ハレツスル
 ドイツモ ハレツスル

 カストルプは明らかに反ナチ主義者であり平和主義者、あるいはコスモポリタンであることが分かる。
 前述書で岡田斗司夫はこの「ワスレル」を二郎に兵器を作るというファシズムや戦争への社会的責任を忘却せよと誘っていると説いているがそれは真逆である。カストルプは忘却できる環境、軽井沢という「魔の山」で現実を思い出せと二郎に説いていると解釈する方がむしろ自然である。

 カストルプという名は宮崎駿がトーマス・マンの『魔の山』の主人公ハンス・カストルプから拝借したことは明らかだ。映画『風立ちぬ』のサイド・ストーリーである堀辰雄の『風立ちぬ』のサナトリウムと掛け合わせていることは間違いないが、カストルプがトーマス・マンの世界の住人の名を持っていることもまた重要である。

 トーマス・マンの『魔の山』は1933年のナチスによる焚書の対象になった書でもある。『魔の山』のカストルプは謎のドイツ人、カストルプが軽井沢の山荘にいる時点で既にナチズムの業火に焼かれ去った存在なのである。

 二郎と交友を重ね信頼関係が出来た後、やがて別れがやってくる。山荘のサロンでカストルプはピアノでドイツの歌を弾き語る。
その歌はドイツ映画『会議は踊る』の主題歌"Das gibt's nur einmal"『唯ひとたびの』である。

 1930年代の映画主題歌として余りにも有名なこの歌を宮崎駿が選曲したことは「ベタ」であるとドイツ映画やドイツ文化を知る者なら誰もが思うことだろう。選曲が単純すぎると。しかし、そうではない。

 この歌の選曲に宮崎駿は深遠な意味を込めている。

 映画『会議は踊る』はワイマール共和国時代のウーファが製作した世界的に当たったドイツ映画史における重要な作品である一方で、自由主義的気風の強い作品である。主役の一人を演じたコンラート・ファイトはナチを嫌いアメリカへ亡命。主題歌『唯ひとたびの』を歌った女優リリアン・ハーベイはドイツに留まったもののナチが政権を取った後は親ユダヤ的とされ監視下に置かれ、戦時下ハリウッドへ亡命した。宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは激怒しリリアン・ハーベイをドイツ人社会から完全に追放したという経緯がある。

 これらの出来事はカストルプが存在する時間より後に起こる出来事であるが「ドイツモ ハレツスル。」と予言する言葉と符合しているのである。

 カストルプは『会議は踊る』の主題歌を歌うことで彼の立場をより明らかにしているのだ。それは反ナチ主義者、反全体主義者としての立場である。

 カストルプは宮崎駿が用意した映画『風立ちぬ』における唯一の反ファシズム主義者なのだ。
 
 彼が二郎に及ぼした影響は大きい。軽井沢で別れたままカストルプは日本当局に追われる。彼はスパイであったのかもしれない。その影響で二郎もまた特高警察に逮捕されそうになる。
二郎は無意識のままにカストルプの反ファシズムの思想を受け入れている。

 九六式陸上攻撃機を完成させた三菱重工の同僚、本庄と話す二郎の会話にそれが見え隠れしている。

 二郎 どこと戦争をするのかな。
 本庄 中国、ソ連、イギリス、オランダ、アメリカ。
 二郎 破裂だな。
 本庄 俺たちは武器商人じゃない。いい飛行機を作りたいだけだ。
 二郎 そうだな。

 二郎の「破裂だな。」という言い方は軽井沢の「魔の山」で聞いたカストルプの片言の日本語「ニホン ハレツスル」から来ている。本来なら「破滅」というべきところを二郎は日本人で日本語をよく理解しているにも関わらず「破裂」という言葉を用いる。聞いている本庄は軽い違和感を持っただろう。二郎は全く気にせず無意識にこの言葉を用いて日本の運命を予言している。

 これは二郎の中にカストルプの反ファシズムの精神が自然に宿ったことを暗示しているのだ。

3.戦争加担者のカプローニ伯爵とその夢

 カプローニ伯爵が登場するのは二郎の少年時代からである。この実在したイタリアの航空機設計者は二郎の夢の中の世界で対面する。カプローニが二郎と会って話すのは全くの幻想であるわけだ。カプローニは二郎少年に飛行機を示す。

 それは大型の複葉爆撃機である。「あの半分も戻ってこまいよ。敵の街を焼きに行くのだ。」そう言って爆撃機に搭乗するパイロットに手を振るのである。

 いいかね 日本の少年よ。飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもないのだ。飛行機はうつくしい夢だ。設計家は夢に形をあたえるのだ。

 カプローニは既に飛行機が戦争の道具として利用される事を身をもって体験している。爆弾の代わりにお客を乗せるというカプローニは夢の中で二郎に戦後に開発を夢見ている大型旅客飛行艇を披露する。カプローニは戦争がやがて終わりを告げ飛行機が夢である時代が来ると信じている。この時点では二郎は少年で飛行機設計者になることを単純に夢見ているのである。

 カプローニが戦後、旅客飛行艇に取り組んでいる間、次郎は先人の後を追って三菱重工で飛行機の設計に専念している。ドイツのユンカース社視察の折に二郎は夢で再びカプローニに出会う。カプローニはまた大型爆撃機を作らざるを得なくなっている。

 完成した大型爆撃機に村中の住民を満載して飛行している。カプローニはこの飛行を最後に引退するという。彼にとって飛行機の設計に専念した10年目に当たり、それをひと区切りにするのだという。彼は二郎に今度は二郎が10年に美しい飛行機の夢を賭けてみよと促す。
カプローニは二郎に次のように語る。

 きみはピラミッドのある世界とピラミッドのない世界とどちらが好きかね?空を飛びたいという人類の夢は呪われた夢でもある。
飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命をせおっているのだ。それでもわたしはピラミッドのある世界をえらんだ。

 そして、ラストシーンである二人の最後の幻想シーンでの会話へと繋がる。
 
 終戦後の場面である。荒廃した日本の国土を見せた後、牧歌的な大草原で堀越二郎とカプローニ伯爵が再会し会話する。

カプローニ
きみの10年はどうだったかね。力をつくしたかね。

二郎
はい。おわりはズタズタでしたが。

カプローニ
国を滅ぼしたんだからな。あれだね、きみのゼロは。うつくしいな。いい仕事だ。

二郎
一機ももどってきませんでした。

カプローニ
征きて帰りしものなし。飛行機はうつくしくも呪われた夢だ。大空はみな、のみこんでしまう。

 ここ来てカプローニに言葉は最初に二郎に語った言葉と明らかに変化を遂げている。
カプローニは少年時代の二郎に「飛行機はうつくしい夢だ」と語ったのにも関わらず最後には「飛行機はうつくしくも呪われた夢だ。」と述べている。

 カプローニが体験したことを二郎は十年遅れて追いかけて来た。カプローニの第一次世界大戦と二郎の第二次世界大戦。二人の夢は10年という時を隔てて共に戦争によって敗れたのである。美しい夢のはずであった飛行機は結局「殺戮と破壊の道具」から逃れられなかったのである。

 第二次世界大戦が終わった時点でカプローニも二郎も戦争に加担したことを認め、それが「呪われた夢」だったと回想している。この二人は決して戦争を礼賛するつもりでも夢の実現のために戦争を利用したのでもなく「ピラミッドのある世界をえらんだ」罪を認識しているのである。
 
 付け加えるなら、このシーンに登場した死んだ菜穂子の言葉、「あなた、生きて」に対する堀越二郎の「ありがとう」という返答も堀越二郎の戦争加担責任を免罪するものではありえない。岡田斗司夫は前掲書『 岡田斗司夫の「風立ちぬ」を語る2~本当は残酷で恐ろしくて美しい「風立ちぬ」 』において、これを免罪であると語っているが、それは誤りである。

 何故なら、堀越二郎は菜穂子に「ありがとう」と言っているのである。本来ならば戦争に加担し、カプローニが言うように「国を滅ぼした」罪を自認して自分は生きている資格がないと堀越二郎は考えているのである。それに対する「あなた、生きて」という言葉に堀越二郎は「ありがとう」と答えるのだ。

 罪が許されたのではなく、罪を背負ってでも生きなければならない。宮崎駿は実在した堀越二郎という人物が著作などでは公には見せてはいない戦争加担者としての十字架を背負って生きるという生き方をここに創作として付加したのだ。
 
終章 『風立ちぬ』の真価

 『映画芸術445号』の『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』の13人の批評者にとどまらず、映画『風立ちぬ』は批判に晒されている作品である。アジア・太平洋戦争で活躍した軍用機を礼賛し、反戦に対してあまりにも甘い映画であると受け止められがちである。

 しかしながら、『国民的映画『風立ちぬ』大批評!』の13人の批評者たちの批判も映画『風立ちぬ』の零戦という軍用機という存在やアジア太平洋戦争の悲惨な実態が描かれていないという点に終始している感がある。
 例えば対談で映画研究家のアンニ氏は次のように語っている。

  『零戦燃ゆ』は、パイロットたちが一人一人死んでいくというのをリアルに描き、最終的に彼らの手によって零戦を壊していくというラストになっていますが、この作品の方がものすごくマシだという気がします。

 映画『風立ちぬ』と零戦をあくまでも結びつけて考えようとするのが、批評者たちの一つの視点である。しかし、宮崎駿は零戦をラストの幻想シーンに登場させたのみで劇中も零戦はおろか、その前身である九六式艦上戦闘機の開発さえ描いてはいない。そもそも、零戦の搭乗員を描いた反戦映画『零戦燃ゆ』を『風立ちぬ』の批評のための比較として引き合いに出すこと自体、『風立ちぬ』という映画作品を理解していないのではないかという疑問すら残る。

 『風立ちぬ』は『零戦燃ゆ』でも『雲ながるる果て』でも『きけ!わだつみの声』でもないのだ。

 『風立ちぬ』は戦争に加担した技術者の物語であり、前線へ趣いて戦争を体験した人物を主人公にしたドラマではないのだ。仮に『西條八十物語』というアニメ映画があったとして『零戦燃ゆ』と比較することがあるだろうか。

 これは明らかな映画『風立ちぬ』に対する誤解である。これは零戦が劇中には殆ど取り上げられていないにもかかわらず、零戦という兵器の存在に捕らわれ過ぎているために映画の本質そのものを見過ごしてしまっている一例である。

 批評は零戦と堀越二郎のみを捉えすぎであると同時に、悲惨な戦災場面がなければ反戦映画にならないという反戦映画そのものへの認識の偏狭ささえ、そこに感じられる。純粋にこの映画を鑑賞して国粋主義的であるとか反戦メッセージがないとか感じるものが果たしてどれほどいるであろうか。

 筆者はこの映画を鑑賞すれば宮崎駿が本来、軍事オタクの為に用意された漫画『風立ちぬ』を慎重な創意工夫によって最大限反戦メッセージを発信する映画へと転化したかが十分理解できるものを考えている。

 堀越二郎という罪の意識のないまま戦争に加担してゆく「でくのぼう」を淡々と描き、その罪を暗に東アジア外のしかも、イタリアとドイツというファシズムとナチズムの同盟国民という二人の外国人の視点から批判することによって反戦映画として巧妙に作劇することに成功しているのである。その点から論じるなら『風立ちぬ』は実に完成度の高い考え抜かれた反戦映画であり、反ファシズムの映画であると筆者は信じて疑わない。

 宮崎駿が用意した二人の外国人の存在を軽んじ、零戦という兵器の礼賛しているのではないかという誤解を抱き、直線的な戦闘場面や戦災シーンが希薄であるからといってこの映画を批判することは大きな誤りであると筆者は断言したい。

 むしろ批判するのは宮崎駿でも映画『風立ちぬ』でもなく、この映画に便乗して零戦というものを大いに商業的に利用した出版界やメディアの在り様であり、この映画の興業のために準備された映画とは印象を異にする宣伝や広報の方法である。そうした極めて資本主義的な映画利用こそ批判すべき対象であると筆者は感ずる。

 その状況に押されるかのように映画自体を批判し、否定することは映画を観て映画を観ていない事にほかならないのではないか。

 映画を語るには映画を十分に観なくてはならない。 

「映画を観てから議論して欲しい」と宮崎駿が語ったこの言葉こそ、映画『風立ちぬ』を観ながらにして映画『風立ちぬ』を観ていなかった批評者が耳を傾けるべきであると筆者は考えるのである。


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