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『GMK・大怪獣総攻撃』の解読 太平洋戦争と戦争責任(前編)

⚫︎戦争映画に見えない戦争映画大全
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』太平洋戦争と戦争責任(前編)


1、ゴジラとは何か?

 ゴジラとはなんであるか?
 ゴジラとは太古から海底の底に眠っていた恐竜の生き残りであり、それがたび重なる水爆実験によって目覚まされ、怒り狂って日本を目指して東京を破壊し尽くした。

 そのゴジラも核爆弾を超える破壊力の可能性を秘めた「新発明」によって東京湾で殲滅させられた。

 これが「ゴジラとは何か」という問いに関する答えの一つである。これは第1作目となる1954年の『ゴジラ』の表面上のストーリーから浮かび上がってくるものだ。

 ことゴジラは水爆実験の申し子であるというところから戦争と深く結びつきがある。だから  ゴジラは「戦争」という文脈から語られることが実に多かった。

 ゴジラの東京襲撃をアメリカによる東京大空襲と捉えることもできるし、広島、長崎に投下された原子爆弾だと読み解くことももちろん可能だ。
 しかし、そうした読み込み方にどうしても矛盾がいくつも出てくる。例えば原水爆実験を行っているのは日本ではなくてアメリカであるのに、どうしてゴジラは日本を襲うのだろうか。まして、日本は広島長崎の原爆による戦争被害者の立場にあるわけで、同じ核兵器の被害者であるゴジラが日本を襲撃する理由が思いつかない。

 一方で、ゴジラが東京大空襲のメタファーであるということは間違いはない。戦後9年しか経っていない日本において、本土空襲の記憶はまだ生々しいものだっただろうから、それと結びついていることも確かだろう。

 しかし、ゴジラがB29の大編隊であったとしても、本土決戦で上陸してくるはずだった100万人規模の連合軍部隊だったとしても、1945年に戦争が終結し、さらに1951年にサンフランシスコ平和条約によって、戦争が完全に終結していた1954年当時、ゴジラが連合軍であるという図式はどうもしっくり来ないのである。

「ゴジラとは何か?」

 この答えはかなり曖昧なまま、長く続いているシリーズの中で作り手によって様々に変容し、答えらしきものを見せてきた。
 しかしながら、近作の『シン・ゴジラ』でも『ゴジラ−1.0』でも「ゴジラが象徴するもの」がなんであるかについては、劇中では、はっきりと断言されなかった。

 そのなかで「ゴジラとはなんであるか」ということを映画内ではっきり規定して、ゴジラの日本襲撃がなぜであるかを明確にした作品があった。
 それが『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』(2001年・金子修介監督)であった。

 そして、これは怪獣映画でありながら、日本の近現代史を見つめた深淵な意味を持つ戦争映画でもあるのだ。

2、「ゴジラ戦没者説」の流れ

 ゴジラは何かということを解き明かそうとした 「ゴジラ論」 は、 映画評論、 文化人類学、 社会学、 民俗学など境界線なく各研究者から論じられてきた。日本の研究者はもちろん、 海外では特にアメリカでポップカルチャー論として 繁盛に論じられてきた経緯もある。

 日本におけるゴジラ論は、 文化人類学、民俗学、社会学などの立場から論じられたものがいくつもあるが、最も代表的なものが 「ゴジラ戦死者説」だ。

 日本に上陸してくる怪獣ゴジラが太平洋戦争で戦死した死者の魂であるという大胆な仮説を最初に述べたのは評論家の川本三郎である。川本は 1983年のエッセイ『「ゴジラ」はなぜ 「暗い」のか』 で次の様に述べた。

 そしてこのとき『ゴジラ』 とは単なる “戦災映画” “戦禍映画” である以上に、第二次大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの“鎮魂歌” ではないか思いあたるのだ。 “海から表れ、 そして海に消えていった”ゴジ ラは、戦没兵士たちの象徴ではないのか。そして東京都民があれほどゴジラを恐 怖したのは単にゴジラが怪獣であるからという以上に、 ゴジラが 「海からよみがえってきた」 死者の亡霊だったからではないのか。
(川本三郎『「ゴジラ」はなぜ「暗い」のか』「新劇 第 30 巻第 11 号」白水社、1983 年、25頁)

 川本三郎はゴジラが太平洋戦争で死んだ兵士、とりわけ海で死んだ兵士の魂ではな いかと考えた。太平洋戦争で戦没した兵士の霊が怨みとなって海から日本 へ上陸し、 日本を蹂躙したという解釈だ。

 ゴジラをいわば戦死した兵士たちの怨念としてとらえたのだ。 その兵士は、さらに限定されていて、日本軍の兵士ということになる。

 この説はさらに進化して、 1992年に宝島社 が刊行した『映画宝島 怪獣学入門!』 (宝島社 1992年) に掲載された赤坂憲雄の評論 『ゴジラはなぜ皇居を踏めないか』で、ゴジラが東京を蹂躙しながらも 皇居だけは破壊することなく、背をむけた訳について説明しようと試みた。
 兵士の魂は天皇制に支配されていて、皇居を踏むことは出来きない。 だから皇居に背を向けたゴジラはやがて海へ沈めさられるというわけだ。
 
 赤坂は川本の考えを踏襲し、ここでも天皇の軍隊の兵士たち、つまり日本軍の兵士に限定している。

 ゴジラは、ゴジラになる前に肉体を持った兵士として存在し、戦死して海に沈んだのち、ゴジラとなって 日本への郷愁と憎悪を持って再び故郷へ 帰って来るいうわけだ。
  そして、戦争で生き残った日本人によって再び日本から排除され、 また海 に沈められていったのが1954年の『ゴジラ』における戦没者のアレゴリーとしてのゴジラである。

 川本三郎の「ゴジラ戦死者説」は実のところは川本三郎が最初に唱えられたものではない。 1954年の『ゴジラ』 公開当時からその様な考え方は存在していたという証言がある。

 1995年に刊行された 『戦後史開封』 (産経新聞社) の中で、映画『ゴジラ』(1954 年)の音楽を担当した作曲家の伊福部昭はインタビューで次の様に述べている。

 ゴジラは海で死んだ英霊のような存在ではないか。 そんなことも考えるような 時代だったのです。 徴兵検査ではギリギリ合格の第二乙種だった僕も、召集令状 が今日来るか明日来るかという不安の中で何年も過ごしたものです。 ところが 戦争に負けると、民衆はアメリカから持ち込まれた自由を謳歌するのに懸命で した。 あのころ熱海や箱根に傷病兵の療養所があり、 その横を人々が楽しそうに 歩いていく。 それを見て、われわれは苦しんでいるのに、という気持ちもあった でしょう。 ゴジラが国会議事堂などをつぶすのは、 その象徴のような気もします。
(「戦後史開封」取材班『戦後史開封』産経新聞社、1995年、173頁)

 この記述から、川本三郎の 「ゴジラ戦死者説」は川本独自のものだが、すでに1954 年の ゴジラ出現の時点で「ゴジラ戦死者説」は感じられていたものであったことがわかる。『ゴジラ』 の作曲家、 伊福部昭もその一人だったのだ。

 そして、伊福部が思い描いたゴジラの正体もまた「英霊」であり、戦死した日本軍の兵士たちなのだ。

 こうした「ゴジラ戦死者説」は戦争で死んだ日本軍の兵士の魂だ。 つま り召集され戦争に駆り出され、遠い異国や海で戦争という理不尽な状況の中で死ななければならなかった兵士たちの無念の魂であるというわけだ。

  伊福部昭が指摘しているように、戦死しないまでも戦争で傷を負い、手足を失った帰還兵たちは、 戦争が終わってすっかり変わってしまった戦後日本の中に取り残され、 自身は戦争に苦しめられ続けているにもかかわらず、 周囲が新しい民主主義の中で何事もなかったよう に生きている姿に悔しさを抱いていたのだと捉えるのもひとつだろう。

  そうした戦争の犠牲者たちの思念がゴジラを形成しているという考え方は 「なぜゴジラが日本を踏 み潰すのか」という疑問にも答えてくれるものではある。

 ここで、頭をもたげてくるのは生き残っている日本人の同胞への責任という問題である。
 
 1945年、8月にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏によって大日本帝国は消滅し、新しい民主主義国家がスタートすることになった。
 つい先日までは「一億玉砕」「撃ちてし止まぬ」と教えられてきた日本人は、突如として「それは間違いであった」と教えられるようになり、みんながそれを信じたわけである。

 そして、1951年に講和と独立、新憲法のもと平和に暮らしている日本人があり、そこへ日本軍の戦没者たちの魂が怨念となってゴジラという姿で帰ってくる。

「どうして俺たちだけが殺されたのだ。俺たちだって国へ帰りたかったんだ」

 なるほど、ゴジラが国会議事堂を襲撃するのも無謀な戦争を遂行し、兵士たちを死地へ送り込んだ国家の責任を追及するものとしては矛盾してはいない。

 しかし、自国の戦争犠牲者に対する国家の責任、それを断罪するのがゴジラの目的であるなら、どうして自分たちの家族がいるかもしれない一般市民まで兵士の魂は犠牲にしたのだろうか。

 1954年の『ゴジラ』で原作者や脚本家、監督がそれを考えてのことかと問われればそうではないことを私たちは知っている。
 しかし、「ゴジラとは何か?」という問いに対しての答えとして「ゴジラ戦没者説」を採るなら、この問題は避けることができない。

 その上で、2001年の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の監督、金子修介は、川本、赤坂、伊福部の「ゴジラ戦没者説」を採用しながら、そこにあった解釈とは若干違うものに変更した。それによって、全ての疑問を解消させるに至ったのである。

 この変更が、この映画が怪獣映画でありながら、同時に深淵な意味を持つ戦争映画になった重要なポイントでもあったのだ。

 後編では『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』を中心に太平洋戦争との関わりについて解読します。

(後編に続く)


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