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ダサいのは今だけだから

『あとどれぐらい生きられるんやろか?』

そんなことを考えた時、僕は文章を書いた。誰がどう見たって僕の文章は下手くそだ。けれど、いつか終わってしまうと分かっているなら、恥じらいや周りの目なんてどうでも良くなっていた。

小さい頃から僕は、臆病で前に出るタイプではなかった。ただ、目の前の人気者に憧れ、はたから眺めるばかりで行動に移すのが苦手だった。そんな僕でも、いつだって人気者の座をスナイパーの如く狙っていた。自分にパスさえ回してくれれば、いつだって的確なシュートを打って見せるのに...なんて思いながら、結局僕にパスなんて回ってきやしなかった。

ある種の番狂わせを僕は小さい時から狙っていたのかも知れない。今になって思う、自分からボールを取りに行かない人間はパスどころかベンチにすら入れないんだ。脇役どころか、エキストラAのまま終わってしまった学生時代。ロクに人間関係すら築けなかった人生。いまだに諦めの悪い性分。

歯車が錆びつき狂いまくった時計の針は、いまだにカチカチと音を立ててゆっくりと回り続ける。僕はまだ諦めきれずに、あの頃と同じようにいつだって狙っている。あの頃と違うのは、教室の隅っこにはもう居ないと言うことだ。そして、パスを貰おうなんて事もサラサラ思ってもいない。

本当は、あの頃からボールは自分の足元に転がっていたんだ。そのことから目を背け、恥じらいや周りの目を気にして自分の本心から目を背けていただけだった。

ずっと大好きなバンド、WANIMAの『ここから』と言う曲の歌詞にこんな言葉がある。『ダサいのは今だけだから』この言葉があったから僕は今でもこうしてぎこちない言葉をまっすぐに文章を書くことができる。憧れと現実との狭間を気にするあまり結局何も動けなかった自分に『ダサいのは今だけや、信念を持って行動し続ければきっと大丈夫』そう言われた気がした。僕にだって、いや僕だから書けることがある。これは誰もが平等にあるはずだと、奮い立たせることができた。


僕にとって文章を綴ることは、過去の自分との対話でもある。

思い出したくない、思い出にはならない過去もひっくるめて、今の自分の素直な心と照らし合わせながら、昔を振り返ることは決して楽しい気持ちだけではない。それでも書く理由の根本にあるのは、過去の自分と折り合いをつける為でもある。あの頃と決して変わらない地続きの今を生きてるからこそ、僕は変われない自分と、変わりたくないから変えない自分を見つめていたい。

辛かった記憶をそのままにせず、文章という形で表現できる居場所を見つけてしまったんだからやらずにはいられない。書いては消して、書いては決してを繰り返して綴るこの文章は、誰に褒められなくとも僕は胸を張ることができる。これ以上僕は何も失うものはないし、奪わせやしない。

周りの目なんて気にしてる暇はない。ましてや他人が自分のことをどう思うかなんて知ったこっちゃない。気にするべき事はきっとそこじゃない、自分の本当の気持ちに素直に生きることが一番大事なんじゃないだろうか?いつだって向き合うべき相手は過去の自分自身だ。


最後に、Hump Backと言うバンドの『番狂わせ』の歌詞を引用するなら、出るとこ出て、引くとこ引いてとびっきりおもろい大人に僕はなりたい。



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