心に残すなら温もりのあるものを


生きてきた中で沢山の言葉を耳にしてきた。自分に向けられた言葉もあれば、見ず知らずの人のなんでもない会話がなんとなく届いてしまったり。今ではsnsなどで言葉が無数に飛び交う世界だ。

あなたはどれぐらい自分の言葉に責任を持てるだろうか?僕は正直、心の底から発言に責任を持てているとは言えない。こうして文章を書いてる時だって内心誰かを傷つけてしまうのでは無いかと思いながらも言葉に気をつけながら、自分の正直に近い言葉を選びながら書いている。書いているけれども知らないだけで傷ついてしまった人がいるかもしれない。もし居たとしたら申し訳ないと思う。

それでも書きたいから書いている。わがままかも知れないがこれぐらいの我儘は許して欲しい。

出来るだけ読んでくれた人が少しでも、明日も張り切って生きてやろう!と、こんな人がいるなら自分も大丈夫だ!と思えるような文章でありたいなぁと思いながら書いている。


言葉は発信する方より受け取る人の方が心に残っているものだ。

それもマイナスなもの程僕は心に残っているような気がする。どうせ残るならポジティブなものであってくれれば良いのにと心底自分の心を鬱陶しく思うことがあるんですが、学生の頃こんなことがあった。

放課後の帰り道、友達と帰っている時に言われた一言。

「お前は面白いけど、一緒にいてると周りの目が気になる」

強烈に心に突き刺さったのを今でも覚えている。自分が周りから浮いている存在なんだと痛感させられた瞬間でもあったし、自分を責めた。程なくしてその人との友達生活は終わりを告げる。別に何があったわけではないが、ずっとこの言葉が引っ掛かり友達を続けるのはしんどいと思った。悪気があったのか無かったのかそれは分からない。

きっとこの彼もそんな事を僕に言ったなんて覚えていないだろう。そして今でも僕が覚えているなんて事も思ってもいないだろう。

数え出したらキリが無いほどに傷ついた言葉は覚えている。もしかしたら僕も知らぬ間に人を傷つけていたのかも知れないとも思う。

言葉は簡単に自分から他人に渡すことができるのに、相手にとってネガティヴなものほど心の中に居座らせてしまう。それが全て悪い効果を生み出すとは思わないが僕はせっかく人に渡すものは明るく前向きになれるものを渡したい。僕も文章を世に公開している以上ひっそりとやっていたとしても言葉には気をつけて行きたいと思う。

傷ついた時に僕の文章が居場所になったら、そんな嬉しいことはない。傷ついたことがあるから人は優しくなろうとするし、相手の見せない部分を想像することが出来る。優しいから自分だけが傷つく方を選んでいる。

そんな人達ほど寄りかかれる場所が少ない。自分で解決しようとしてしまうからだ。そんな強くて脆い人達が疲れた時にフラッと立ち寄れる居酒屋ぐらいの立ち位置でこれからも文章を書いて行きたい。


最後に僕が人から言われて一番嬉しかった一言が、高校の時に僕が「お腹空いた〜」と言った何でもない独り言に、後ろの席の話したことも無い人がカバンをゴソゴソしはじめ僕に「これあげるわ」と言った一言だ。手にはおにぎり。

なんてことないワンシーンだが、たった一言に彼の優しさが詰まっているようで僕は嬉しかった。あれから数年たった今でも彼とは唯一の親友である。






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