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趣味は人の心を理解する為の材料なのかもしれない


僕は趣味がそこそこ多い方である。
本を読むことや音楽に映画鑑賞など、とにかく好きと思えれば何でもやってみて飽きるまでとことん没頭してしまう。

他の記事でも言ったけれど、趣味は多いが飽き性ゆえにずっと同じ熱量を保つことが出来ない人間である。いつもサイクルがあって、例えば本を読む事に少し飽きれば映画に没頭し、それが飽きれば次の趣味へとずっとこのサイクルを保ちながらその時その時熱を持てる好きな事をしている。


最近気づいた事なんですが、僕が好きな物には一貫して自分以外の誰かの心情が色濃くでているものを好きになる傾向がある。
音楽にしても詞や楽器の演奏には、その人が人生をかけて伝えたい思いがそこにはあって、それを受け取る側が自分なりに解釈をし、心に落とし込む。


映画や本では主人公やその物語に自分の人生や生い立ちを重ねてみたり、自分とは違いすぎる価値観の主人公や生い立ちの場合は自分なりに理解しようと思ってみたり。


だれもが泣ける笑える音楽や映画よりも、特定の人に向けたモノや伝わる人に伝われば良いスタンスで作られたモノほど僕は好きである。そこに共感できなくとも好きだ。

そんな誰かが作ったモノの、内側にあって見えない人の心に触れてみる瞬間が僕は好きなんだと最近気づいた。

多分僕は今の自分の生き方を肯定する為の材料を探したい気持ちと、今の自分にはない新たな視点をずっと求めているんだと思う。そして、人を理解したいと強く思っている。


当たり前だけど、人生は一回きりでこの世には理解し難い人がわんさか溢れている世の中である。
理解できない、歩み寄れない、そんな場面がみなさんも沢山あったはずで勿論僕も同じだ。

好きなものにたくさん触れることで、人に少しでも歩み寄れる心を身につけれたら良いなぁとぼんやり思います。



いつか。分かり合えなかった人ともお酒を酌み交わして、あの時は若かったと笑い合える日が来ますように。

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