【短編小説】 夢から夢 ~ 私のドッペルゲンガー ~
父が急死する、すこし前のことだった。
深夜に起きて、トイレへ行き、照明のスイッチを押してからドアを開けると、なかに父が座っていた。
「おめ、なにするん!」と大声で言われて私は「あ。あ。ごめん」と言ってドアを閉めた。
驚いた父の激しい剣幕に、こんな夜中に明かりもつけず、鍵もかけずにトイレにいれば、開けられてもしょうがないだろうと少々、腹立たしかったのを覚えている。そして、足踏みをしながらドアの前で2、3分待っていると、私の後ろの廊下から足音が聞こえてきた。
ふりむくとそこには父がいて、「ありゃ、おめ、なにしてるん」と言った。
人が死ぬすこし前には、その人と寸分たがわぬ姿をした、もう一人の自分、ドッペルゲンガーが出現することがあるのだという。
深夜に、ふと目覚めたときだった。
ベッドの近くに誰かがいるような気配がした。
私が暮らす家は、父も母もすでに逝き、ずっと独身の自分がひとりで住んでいたから、それは、あってはならない気配だった。
けれども、いっこうに、不穏な空気も漂っていないのだ。
私はベッドの上で半身を起こし、暗闇のなかで気配の方向に目を凝らした。
そこには、ちいさな子どもがいた。
子どもは動いて、とつぜん私の名を呼んだ。
その声に、私は驚いた。
もう10年ほども使っているオンラインゲームのキャラクター、小人族の男の子の声だったのだ。
私のプレイヤーキャラクターは、ポピンと名づけられた元気な男の子の造形だった。ジョブは盾で仲間を守り、剣で敵を倒すナイト。
それが、そのまま、ベッドの脇にいた。
四頭身ほどで、4、5歳に見える、ちいさな姿で。
ふだんよく着ている、コットンでできた村人の服(レベル1)を身にまとっている。
「何しに来たの」と聞くと、「会いたくなったのでー」と答えた。
ポピンはベッドに手をかけてよじのぼり、私の脇に座った。
ゲームのなかで、私はポピンであり、ポピンは私だった。
私たちは、村を襲う獣の群れを倒し、国家を牛耳る悪辣な敵を倒し、世界を破滅に追いやる巨大なモンスターを倒した。プレイヤーの多くが生還できない高難度のダンジョンにも出かけた。世界の成り立ちに関わる複雑な謎を解き明かす旅もした。仲間もたくさんできた。英雄と慕われ、村の子どもが宿屋をのぞきにやってくるほどだ。なかなかの成果だと思う。
私たちはそんなゲームの思い出話をした。
SFやファンタジーなどジャンルを横断する物語の素晴らしさ、出会った印象的なキャラクター、そしてゲーム内で知り合った、自分と同じたくさんのプレイヤーたち。最初にフレンドになった白魔術師の人、よく一緒にダンジョンへ出かけた竜騎士の人、酔っぱらったまま敵の範囲技に飛び込んでいった忍者の人、実際に病気で亡くなってしまった暗黒騎士の人、挨拶のあとに必ず「にゃー」とつける召喚士の人……。
彼らは私をポピンと呼び、ポピンの姿と声のまま、私は彼らと交流を育んだ。
ほんとうに、ゲームのなかで、わたしはポピンであり、ポピンは私だった。
そして、ふと気づいたのだ。
「もしかして、君が私のドッペルゲンガーなの?」
ポピンはびっくりした。「そんなこと、思いもしなかった」。そして、「でも、そうなのかもしれないね。ぼくは君だもの」
「だとすると、私はもうすぐ死んでしまうのだろうか」
「それはいやだー。ぼくはもっと遊びたい」。
ポピンは顔をしかめたあと、突然、頭の上に光り輝くエクスクラメーションマーク(!)を出現させて言った。
「でもさ、もしぼくが君のドッペルゲンガーだったら、新機軸だね!」。
そして、さも愉快そうな声音で、アハハハハ! と笑った。
暗い天井をぼんやり見上げながら、私は言った。
「死んでしまったら、どうなるのかな」
「どうなるんだろうね」と、ポピン。そしてしばらく二人で無音のまま寝室を覆う闇を眺めていた。
するととつぜん、ポピンはこう言いだした。
「ここは、ぼくのいる野蛮な世界とちがう。まるで誰かの夢のなかに入ったみたい」
そして私の顔を見て「君もたぶん、いままでとはちがう夢のなかに行ってしまうんじゃないかな」
私はすこし考えた。
「自分の人生は蝶の見ていた夢ではないか、と言った中国の人もいたね」と私。
「ぼくも君も、その世界を生きるかぎり、その外側のことはわからない。だから、この世も、あの世も、夢のようなものだと思った方がいいのかもしれないよ」とポピン。
じゃっかん、楽天的にすぎるというか、いささか適当すぎる話かもしれない。
「でも、ぼくがこの世界に来れたら、英雄なんて呼ばれるより、もっと羽を伸ばしたい気がするね」
「そんなにきゅうくつなものかい」
「世界を救った英雄だから、なかなかできないことも多いんだ」
「そうなんだ……」
「そうなんだー……」
ポピンとの会話ではっきりと覚えているのはここまでだった。
いつものように目覚め、変な夢を見たな、とは思ったけれど、心のなかでは、単なる夢ではない、まざまざと誰かに出会った、リアルな感触が残っていた。
それからほどなくして、この国のある地域で洪水が起きた。
運の悪いことに、そこには、私がやっているオンラインゲームのサーバー群が置かれていた。
莫大なデータが破損し、ゲーム内の少なくないプレイヤーキャラクターが、もう二度と操作できない状態に陥った。
そのなかには、ポピンもいた。
彼のデータはすべて消失した。
私にとって、そのゲームの主人公は死んで、消えてしまったのだ。
私はそこで気づいた。
私こそが、ポピンのドッペルゲンガーだったということに。
その事件を機会に、私はゲームをやめた。
それから数カ月たったある日のことだ。
家の近所のコンビニエンスストアに店員手作りの張り紙があった。
私はそれを見て、驚いた。
そこにはあの夜に出会ったままの恰好をした、ポピンの写真が掲載されていたのだ。
〈写真1〉 にこにこ顔で両手にお菓子の袋を抱えるポピン。
〈写真2〉 カメラで撮られたことに驚くポピン。
〈写真3〉 コンビニのドアから一目散に逃げてゆくポピン。
それらの写真を配した張り紙にはコンビニエンスストアの電話番号とともに、こんな文字が、でかでかと書かれていた。
開いた口がふさがらないとは、このことだった。
そういえば、あのゲーム、序盤は村の家をまわって壺を割ったり、箱を壊したりして、出てきたモノを勝手に自分のものにしていたけれど……。
私はとりあえずお札を何枚か包み、匿名でその店に郵送することにした。
いったいあいつ、こっちでどんなことになっているんだ……。
そう思った私がネットで近所の住所を入力し、地元のニュースを検索してみると……。
お手柄、ちびっこ剣士 痴漢を撃退!
という見出しが目に入った。なんでも近所にあらわれた露出狂を、ゴミバケツの蓋を盾にし、ホウキを剣にした、ちびっこ剣士がフルボッコにして消えてしまったらしい。
なんてこった。
私はその夜、ベッドに入って、すこし考えた。
私がポピンのドッペルゲンガーなら、ポピンは私のドッペルゲンガーだ。
ポピンに会って、面と向かって文句を言うときは、私の死期が近いときになる。
そして私は、まだ、もうちょっと、生きていたいと思う。
いまがまだ、そのときでないのなら、ポピンをこのままにしておいてもいいのかもしれない。
目を閉じて、私はこう思うことにした。
この世界が、ほんのすこし、にぎやかになるだけだ。
ちょっと騒々しい夢を見たと思って、
なにもかも、そっとしておくことにしよう。
うん。
それで、いいのだろう。
たぶん……。
それでは、おやすみなさい。