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俺もモキュメンタリーがやりたい。

無名人インタビューに参加することにした。

人生初インタビューかもしれない。何かやらかす瞬間まで取っておきたかったインタビュー童貞は案外簡単に捨てられるらしい。

そして、自分は全力でそのフォーマットで遊ぶことにした。

『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』という映画がある。

自分の目に映るものすべてを映像化して残したいと思って、文字通り体からカメラを離さないティエリーという男がバンクシーとマブになり、唯一バンクシーと個展やイベントをしたりしていることが映画になって残っている。

グラフィティとかアートの潮流をさらっと押さえられているので、アートを知らなくてもそれなりに「あ〜、ティエリー?ガガの?」みたいなマウントジャブが打てる。

そして、この映画はバンクシーが監督で、さらにこれが初映画監督作品になっている。

さて、おかしいと思わなかっただろうか。

自分が登場する作品をしれっとバンクシーが監督をしていることにーーー

ドキュメンタリーに見せかけたメタフィクション的ノンフィクション、いわゆるモキュメンタリー的なドキュメンタリーがしれ〜っとされる。

これにシビれたわたくし長押し、いつかこんなモキュメンタリーをやって読者とかファンをおちょくってみたかった。

無名人インタビューは世の有象無象、何者でもないけれどもただ素晴らしく日々を謳歌している人のインタビューをして、社会に発信をする企画。

それに同じくnoteをやっている大学の同期がインタビュアーとして参加しているらしい話を聞いて、ふとこんなことを思いついた。

(これ、完全に他人ということにして「はじめまして〜」からインタビューされて、実はめちゃくちゃ知り合いでした。みたいなことやったらおもしろいんじゃね??)というもの。

今打ち込んでいて正直面白さを感じなくなっているけど、どうなるかはやられてみないとまだわからない。

どうやら人の尊厳をいい感じにおちょくることが好きなのかもしれない。そこから立ち直るところが見たい。

トゥルーマンショーが好きだ。

自分がリアリティドラマのモニタリング対象と知った主人公が色々頑張ってそこから飛び出していくストーリーの映画で、自分が主人公であることを獲得できる骨組みに最近は泣きそうになってしまう。

というわけで、まだ話していないけど自分について書かれる記事の最後にはこんな文言を足してもらいたい。

『と、書いていたが私はこのインタビューをした長押しとそろそろ2年の付き合いになる』

みたいなやつ。

叙述トリックにもならないけど、ちょっとやってみて欲しい。そんな気持ちだ。

昨日は飲み過ぎた。

飲み放題で出てきたハイボールの色が黄色過ぎた。炭酸のウイスキー割りが出てきたあたりから記憶がない。

恥ずかしさしかない。家に帰って寝てからの記憶もない。

キツい。これからゼミの飲み会だ。苦しい。もう行きたくない。行きたくないなぁ……行ったらそれなりに楽しむつもりではあるんだけど。それでも、うーん、しんどい。

待てよ、1日は既にご飯に呼ばれているし、2日は法事できっと飲むことになる。明日全力で肝臓を休めてあげなければ体が保たなくなることに今気づいた。

苦しいなぁ。苦しい。まんじゅうこわいとかじゃなく、ただ酒が怖い。怖いなぁ。

ではまた。

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