チルだとかエモだとか映えだとか
インスタをやっている。
半年に1回、多くて3回。それくらいの頻度でしか投稿をせず、投稿してもストーリーしか使わないし、他は大体見るだけになっている。
直近の投稿は成人式の写真だった。
その前は正月のおせち。その前は去年の夏に行った旅行で、その前は自分の誕生日。さらにその前はおせち。
ちょっと投稿してみたくなったから+ボタンを押して何か投稿してみようと思ったけど、ライブラリを見たら面白いくらい投稿しそうな写真がなかった。
ご飯の写真とスクショ、あとは犬の写真くらいしかなかった。
インスタにわざわざ投稿しようと思う写真は見当たらなかったし、結局やめた。
世間の「インスタ映え」が話題になってから数年、原色系の何味か分からないスイーツから次第に芸術的な方向の映えへと変化していった流れに生きてきた世代としては、写真そのものにも何かしらの意味だとか綺麗さだとかを求めてしまうようになったのかもしれない。
オフショットが存在しないというか、してはいけないというか。
手ブレだって補正されるし修正もできてしまうカメラよりも、ある意味高性能な携帯のおかげで意味のない写真の数が減った気がしている。
写ルンですみたいに現像しないと結果がわからないかつてのカメラのようなものは、今やノスタルジーで「エモ」な存在へと変わりつつある。
エモい空間でチルして、映えを狙って、写真に収めて、それを投稿して、いいねを稼ぐ。そこには誰かの作業のような承認しか残らないのに。
でもこれって毎日記事を書いている自分も大して変わらないし、なんなら変わらないどころか同じようなものだろう。
でも、何かやらないと何も残らないし、今だって自分の周りでいろいろなストレスが渦巻いているけど、とりあえず書くことでなんとか動くようにしている。
無意味に見えることも本人からすればそれなりに大事にしていることなのかもしれないし、その辺を無関心でいることが社会的な寛容なのかもしれないなぁとふと感じた話。
ちょっと前に禁煙するかも。みたいな記事を書いた。
当分無理らしい。
自分のストレスを手っ取り早く昇華する手段として学習してしまったし、ストレスから解放されることは死ぬまでないだろう。
これも無意味なことだし、なんなら有害なことだろう。
それでもそこに意味を見出している以上、やめなくたっていいのかも。
そんなわけでとりあえず今日はこの辺で終わろうかと。
今日もバイトがある。働きたくないけど、とりあえず働かないといけない。
そんなわけで今日はこの辺で。
無意味なnoteでした。
もしかしたら2本書くかもです。
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