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永井荷風の「吾妻橋」を読んで、いつか港区女子文学・パパ活文学が生まれることを期待する

永井荷風といえば、「あめりか物語」や「ふらんす物語」など、高等遊民的な立場で海外での生活を記した文学作品が有名だ。そんな永井荷風が戦後に書いた短編小説集・随筆集を読んだ(上記リンクご参照)。

合計18の作品が掲載されていたのだが、中でも目を引いたのは、現代でいう「パパ活」を行なっていた女性を主人公とした作品「裸体」「吾妻橋」だ。

戦後の永井荷風はよく浅草の街を歩き、ストリップ劇場の踊り子たちと談笑をしていたらしい(以下日経新聞の記事ご参照)。上述した「裸体」と「吾妻橋」はおそらくこの時の体験をもとに生まれた作品と思われる。

ネタバレにならない程度に二つの作品のあらすじを記載しておきたい。

「裸体」の主人公である若い女性は、勤務先の50代の禿げ上がった男性との関係をきっかけに彼に養ってもらうようになるものの、次第に男性の方から接点がなくなり、食いぶちがなくなっていく。そこでまた新たなパパ活をするのかと思いきや、自立して生活をしていく、、、というのが大雑把なあらすじである。

「吾妻橋」の主人公である女性は、パパ活というよりはむしろ立ちんぼを生業としている。そんな彼女とある日、亡き母親のことを思い出し、きちんと供養してあげなければ、と行動に移す。

いずれもとても美しい描写が特徴的な作品である。

この2作品を読み終えた後、港区女子の中でもパパ活を行なっている者たちに想像が及んだ。

もし永井荷風のような文筆家が現代にいたら、きっと今の港区女子のパパ活事情も文学作品として仕立て上げてくれるのではないか、と。

猥雑で社会通念上好ましくないとされるテーマは、時に小説やドラマの格好の題材となりうる。それは永井荷風の「裸体」や「吾妻橋」の時代から、現代にいたるまで不変である。むしろ、娼婦や立ちんぼ等が登場する物語ほど格式高い文学作品になりうる点も、ドストエフスキーやモーパッサンの時代から現代に至るまで不変である。

社会通念上好ましくないテーマこそ、人間の微妙な心理や本性を露呈する。そのため格式高い文学作品が生まれやすくなる。

おそらく港区女子もパパ活も、20年前の渋谷のギャルや援助交際と同じく、あと数年もすれば廃れていくのだろう。そんな中、一時的にせよ盛り上がったこの「パパ活」「港区女子」現象を文学作品として昇華し、芸術作品として後世に遺してくれる、現代の永井荷風が出てくることを期待したい。

そんなことを思った休日だった。


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